2000年12月

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12月31日(日)
  とうとう20世紀最後の日が来たのだが、表向き、ぼくの生活には何の変化もない。狭い
部屋は乱雑で散らかっているし、独身のままだ。更に、堅実に勤めていた会社もこの秋に
やめてしまった。母親はこの生活を「19歳の頃から何も変わってない」と評してあきれる
のだが、まああきれられても仕方がないのだろう。
  しかし表向きにはどう見えようと、この2000年という年はぼくにとっては大転機の年だった。
必ずしも居心地の悪くなかった会社を退社をしたのは、自分にとってより本質的な仕事と
考えていることに取り組もうと思ったからで、おかげで次の詩集の準備もできたしこのホ
ームページも開くことができたわけだ。
  それに最近、某オンライン書店でアルバイトを始めることにした。これは必ずしもお金
のためではなくて(生来ケチなおかげで多少の貯金はあるのだ)、オンライン書店という
ものの可能性を見てみたいという好奇心のためでもある。ぼくはどうしようもないくらいの
機械音痴で、この飾りっ気一切なしのホームページを作るのにも死ぬほど苦労したのだが、
それでも今、本というものの流通を真剣に考えようとすると、インターネット上の取り引
きを避けて通れないことくらいはわかる。今、現存のリアル書店たちは、90年代の出店競
争のためにどこも売上を大幅に下げており、人件費を削ることと大手の出版社からもらう
報奨金とでなんとか経常利益を確保している状態だ。人件費を削ったおかげで多くの書店
では日常業務をこなすのに精一杯、接客サービスは低下し、独創的なフェアや埋もれた名
著の発掘などには手が回らない状態になっている。書店員が本の専門家でなくなっている
のだ(ちょっと昔は本のツワモノといった感じの店員がどこの本屋にもいたのだが)。ま
た、大手出版社の報奨金という奴(つまり売った分のバックマージン)がまた問題で、全
体の売上は下がっているのに一部の大手出版社の売上は上げなければならないから、平台
がそうした出版社の本で埋ることになる。当然、商品の自由競争は阻害され、顧客の需要
を視野に入れないシリーズものの版元フェアが多くなる。顧客離れがどんどん進行するこ
とになるわけだ。オンライン書店は、その離れていった顧客を本の世界に呼び戻すのに一
役買えるだろうと期待している。オンライン書店は、ベストセラー本の派手な大量販売に
向かない代わり、一人一人の顧客の個別のニーズに対応した「小売り」ができる。昔々に
出た本であっても画面での表示の仕方によっては新刊同様の商品として扱うことができる。
より内容・品質重視なのだ。問題はそれで今後利益が出るかなのだが、とりあえず可能性
に賭けてみようと思ったわけ。

  詩の世界もインターネットでの展開が本格化するだろうと思う。それは流通の仕方だけ
でなく、作品の中身にも影響してくるはずだ。最近読んだ鈴木志郎康さんの作品「球体遊
び」(詩誌「感情(速度)−22」所中)などからそんな変化が感じられる(紙媒体に載せ
られた作品だが)。


夜の部屋の隅の闇の暗黒に目を据えて
思念の白い線を引く。
闇に立方体の図像を浮かせる。
その六面に内接する球を描く。
その球面から等距離の中にある中心。
<中略>
人体を思念の前に置く。
人の身体は複雑で膨大な数の曲面から構成された立体なんだ。
その表面の内側、つまり体内という内部がある。
その内部に立方体を思念する。
そして内接する球を想定する。
つまり、人はそれぞれがその内部に、
想像された球を持ち得る。


  夜寝る前の「わたし」はこうして純粋に思考上の球体のモデルを仮想する。そしてその
モデルを現実世界にいる人間に対して応用していくのだ。


十月二十三日、
秋の雨の駅構内で、
階段を下りてくる掃除の叔母さんと擦れ違いざま、
彼女の内部に白銀の球体を思念してみる。
わたしの目に、彼女がほんのり明るんだのを確認。
次いで、階段を上る二人の女高生の背後から、
それぞれの体内に黄身色の球体を思念する。
いやー、これはいい感じだった。
二つの風船が上がって行った。


  「わたし」は現実の人間たちをレーダーのような視線で見て、球体のイメージを抽出して
いくのだが、「いい感じだった」のような素朴な感想をもらすところを見ると単純に機械
化された主体になりきろうとしているわけでないことがわかる。「わたし」はまるで人工
知能といったような、機械と人間の境界上の曖昧な領域に自分を立たせることを楽しんで
いるかのようだ。こういう視点の取り方というのは、「生きること」を「視点というもの
自体を独自に存立させること」だと仮想しない限り、決して出てこないものであるように
思える。「仮想現実」という日常の生活から一線を引かれた領域があるのではなく、「仮
想」されることによって「現実」がぼよんぼよんと揺らめくように形成されていく。そし
てこの「仮想」という行為は決して超越的な立場から為されるのでなく、脳や視覚システ
ムを含んだ身体と外界との複雑で具体的な接触から生まれてくるのだろう。その不安定な
接触の具合で「いい感じ」だとか「うん、これだな」とかいった価値判断がなされ、その
ことに自ら励まされるように、不透明な生の時間を泳ぎ渡っていく。
  こういう詩作品は、「仮想」という行為を現実の重要な局面として捉えることのできな
い人には発想することができないと思う。「歴史的」な現実、「実存」的な現実、「超越
的」な現実といったような区分を、作者自身はものを書くという「日常的」な現実に寄り
かかりながら使い分けていく書法では「球体遊び」のような作品は作れない。「仮想」と
いう概念はこれらの現実の区分にもう一つをつけ加えるものではなく、それらの区分がま
さしく「仮想」であることを示して、それらの区分と区分の間を内側から食い破っていく
ものではないだろうか。また、こうした「仮想」ということを現実概念として明確に持つ
ということは、マスコミ中心であった情報化社会の激変ぶりとも関わりを持つことのよう
に感じられる。

  とりあえず、これから例年と変わり映えのしない正月を過ごしに実家に帰ろうと思いま
す。では、皆さん、良いお年を!

12月25日(月)
  昨日のクリスマス・イヴだが、何と知人のお母様が亡くなられて、そのお葬式に行って
きたのだった。69歳というから、亡くなられるにはまだ惜しいお年だろう。21世紀を
目前にして悔しいお気持ちもあったかもしれないが、お茶に合唱にと楽しい趣味に励
まれ、大勢のお友達に囲まれて、の人生だったというから本人としては納得のいった
69年だったのではないだろうか。そうであったことをお祈りしたい。21世紀になると
いっても、奇蹟が起こるわけではなく、死が待ってくれることもないのだ。

  少し前、友人たちとオペラを聞きに行った帰り、「20世紀後半の音楽家で誰が後世に
残るか」が話題になった。前半には、シェーンベルクなりストラヴィンスキーなりの、
世界中の音楽家に影響を与えた大作曲家が何人もいた。しかるに後半はブーレーズや武
満がいるとは言え、総じて「小粒」なのではないか、ということを言う人がいた。ぼくは
そういう考え方には反対だと言った。階級社会の残り香の漂うヨーロッパの国際的な楽壇
は確かにすばらしい美意識を育て上げ、その価値基準は大変な影響力を持った。「大作曲
家」たちは美意識のグローバリズムに支援されて「大作曲家」になったのではないか。皆
「革新的」な作曲上の発見を行って音楽の進歩に貢献した、ということになっている。し
かし、そうした考え方だと、むしろシェーンベルクやストラヴィンスキーが小さな成功や失
敗に一喜一憂し、個人的条件に左右されながら創作に励んだ味わいのある「小作曲家」で
ある面を見逃してしまう怖れがある。一方向的な進歩より、様々な曲面にもまれて生まれ
る変化の方が、ぼくにはより面白く思える。20世紀後半は、大衆から生まれて大衆にかえ
るような、極めて雑多な性質の音楽を作り出した。確かにその大きな部分を、文字通り
ポピュラー音楽≠ニ呼ばれるような商業的グローバリズムが支配していたとは言え、その
力を更に利用する元気のいい小さな音楽たちがたくさん生まれていったような気がする。
「大作曲家」が生まれないのが、20世紀後半の音楽のいいところなのではないだろうか。
その中で、いつまでも人の心を打ち続ける音楽があれば、「大作曲家」が書いたものでな
くとも、それは「後世」に残り続けるだろう。
  あと一週間足らずで21世紀という時代がやってくる。特別な力が君臨することのない、
しかし変化に満ちた時代であることを願います。

12月18日(月)
  昨日ぼくも参加しているサルサバンド、ロス・ボラーチョスはライブを2回もやった。
と言っても1回目は結婚パーティの仕事だが。それでもライブには違いなく、2回目のク
ロコダイルでの舞台ともども楽しく演奏できた。このバンドは結成して16年目にもなるが、
聞きに来てくれるお客さんの様子が随分変わってきたなと思う。始めたばかりの頃は、ま
だ「サルサ」なる言葉自体が流通していなくて、一部のラテン・マニアの人だけが熱狂的
に騒いでるといった感じだった。場所によっては、演奏している我々をお客さんが遠巻き
にして眺めている、ということもあった。その後、「ランバダ」が流行ったり(覚えてる
人います?)、本格的日本人サルサバンド、デ・ラ・ルスの活躍があったり、村上龍がや
たらサルサを宣伝したり、ダンス・ブームがあったりして、急速にラテン音楽が浸透して
きた。我々のような素人バンドの演奏を聞きに、ライブハウスに入りきらない程の人が集
まったりして、一時は気持ち悪くなるくらいだった。そうしたバブリーな時期も去り、
サルサの楽しみ方も成熟期(?)に入りつつあるようだ。マニアはマニアで高度な情報交
換をし、一般の方は一般の方で新奇の目で見ることなく、自然に踊りに参加したり体でリ
ズムを取って聞いてくれる。つまり、ラテン音楽に対し、ありもしない「正しい楽しみ方」
を勝手に想定してたじろぐことが少なくなり、素直に自分自身の感情を開くようになった、
ということ。これは大きな進歩ではないだろうか。今回の結婚式ライブで行った「ダンス
レッスン・コーナー」にはラテン初めての人も大勢参加して、曲が進んでもそのまま体を
動かし続けてくれたし、クロコダイルでの演奏では、ウチの歌手たちのダンスが面白いと
いって(!)終始笑い転げてくれた二人連れの女性のお客さんがいた。マスメディアの宣
伝力によって強制的に聞きに来させられた感のあった80年代のバブル期に比べると、何
か寄席を楽しみにくるような気安さがあるように思える。演奏家の自己表現のための芸術
音楽ではないサルサの本質は、聴衆が普段は隠れている自身の陽気な感情を表に出す機
会を作り出すことにあるのかもしれない。それはきっと、演奏のうまい下手とは別の次元
の問題であるのだろう(ウチのバンドはもっとうまくなる必要はあるが)。
  この受け手の感情を引き出す、という要素こそは、現代詩の最も不得意とするものであ
り、同時に最も必要とされている部分であるように思われるのだ。

12月13日(水)
  9月末で会社を辞めてしまってから2ヶ月余りがたった。休日も持ち帰った仕事の片付
けで終わっていたほどの仕事漬けの毎日から一転して、いつ起きてもいつ寝ても何も言わ
れない境遇となった。ギャップでとまどうことがあるかなーと思っていたが、いざ退職してみ
ると全くそんなことはなく、第二詩集の準備やら買って積んだままにしていた本を読むこ
とやらで、快適に日々は過ぎていくではないか。職を持たないことがぼくの天職なのでは
ないかと思う位だ。思えば、今まで家族→学校→会社と自分には常に「所属先」があった。
自分を回収する場所と折り合いをつけながら、やりたいと思うことを極めて限られた時間
の中でやってきたわけだ。しかし、ぼくは「他人に時間を占有される」ということを当然
だと思っていたわけではない。決まった時間に決まった場所で決まったことをするという
ことを毎日行いながら、それは本来「特殊な事態」なのだという認識を持ち続けていた。
充分な時間を自分に帰属させたいと思う人はためらうことなく「計画失業」すべきで
ある。金銭が必要になったら必要なだけ働けばよいのである。時間にしても金銭にしても
必要なだけあればいいのだ。それ自体を目標にしてしまうから、プー太郎になったりワー
カーホリックになってしまったりするのである。ぼくは企業の中で働くことも決して嫌い
ではない。しばらく失業状態を楽しんだあとは、また会社勤めをしてもいいと考えている。
「職についていない」ということは別に何もやっていないことではない。現にこの極度に
機械音痴な辻という人間も、表現活動のために日夜パソコンの前で悪戦苦闘しているで
はないか。
  とにかく、会社をやめることだけでなく、全ての「やめる」という行為にはもっと積極
的な価値付けをすべきである。家族をやめる、即ち、離婚するとか家出するとかいった行
為も含めて。機能しているシステムの中から抜け出る時は、それに参加したり作り上げた
りする時と同等以上の決断力が必要だ。
  というわけで、この未熟なホームページを、全ての「やめる」価値がわかる人に捧げた
いと思います。とか何とか言っているうちに、このホームページ自体が終っわっちゃった
りして・・・。