2001年1月

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1月28日(日)
   昨夜は都立大学ジャズ研OB会(なんて立派なものじゃないが)の新年会があり、 大
雪にもかかわらず横浜の中華街まで出かけていったのだった。ちょっと遅れて店の中に入
ると、もう全員がそろっている。結束が固いというか、「義理立てはしないが面白そうな
場所には必ず顔を出す」という昔からの原則が貫かれているようだった。
   しかし、みんな、ほんっとに変わらない。学生時代、部室や飲み屋で交わした会話の た
だ中に座っているかの気がしてしまうほどだ。皆企業に勤める社会人であり、家庭を持っ
ている人が大半。36歳のぼくが最年少の部類に入るから、OB会のメンバーも「おやじ」
の年に達したと言うべきなのだろう。それにしても、今ドキの40代というのは何でこんな
に元気なのだろうと感心させられる。「自分が楽しく生きる」ことをモットーに、趣味は
とことんやる、興味のないことには見向きもしない、その辺が妙にハッキリしているのだ。

   メンバーの中に安部和幸さんという人がいる。学生時代からピアノの達人として知られ
ていた人なのだが、現在でも勤めの傍ら、年に1枚くらいの割合でCDを自作している。
帰り際に、99年製作のCDをいただいたので、早速聴いてみることにした。タイトルは「
My Back Pages」、ボブ・ディランの名曲である。今回の作品集ではオリジナル曲は抑え、
キース・ジャレットやチック・コリア、ディラン、ビートルズらの曲のアレンジを主として
いる。
   これが実にいいのだ。思わず三回も繰り返して聴いてしまった。聞き覚えのある懐かし
いメロディーが(と言ってもあくまでハーモニーの美しさを秘めた曲が注意深く選ばれて
いて、いわゆる懐メロ≠フ範疇に入るような、有名なだけで粗雑な造りの曲は除外され
ている)オリジナルの演奏には全く見られなかった豊かな表情を湛えて迫ってくる。音楽
の造り自体はとてもオーソドックスだ。安部さん自身のジャズ・ピアノをフィーチャーし
たコンピューター音楽という体裁なのだが、鬼面人を驚かすような前衛的な切り口を見せ
つけることもなければ、リズムを大幅に変更することもない。リミックスも行わず、電子
音を強調することもない。ピアノが紡ぎ出す暖かな歌は原曲にとても忠実で、むしろオリ
ジナルの演奏以上に原曲の素のままの美しさに敏感だとさえ言える。そして、ここがミソ
なのだ。ビーバップ以後のジャズの主流は、恐らく「演奏によって曲を壊す」ことを一つ
の目標としている。元の曲が口ずさめるようなきれいなポップ・ソングであっても、それ
を「高度な」即興演奏技術によって元の曲とはわからないような姿に切り刻み、解体し尽
くす様をまざまざと見せることで、聞き手と自分自身の度肝を抜こうしたのだ。もちろん
それがすばらしい成果を生んだことは周知の通りだ。しかし、安部さんがこのCDで試み
ているアプローチは、まさにその逆を衝いている。作曲者の頭の中で一つの曲が孕まれた
瞬間の、音楽がこの世に生を受けるきっかけとなった人間的な生々しい情感にとことん遡
行しようとしたのだ。遡行の作業は、曲を成り立たせるハーモニーの細かな表情を徹底的
に丁寧に洗い出すことによって行われた。作曲者自らが演奏時に見逃してしまった表情も
含めてである(というのは、作曲者も演奏する時には、「ジャズ」だとか「ロック」だと
かのバンドのスタイルに制約されるからである)。安部さんのピアノはもちろんジャズを
ベースにしたものではあるが、伝統的なジャズが売り物にしてきたアクロバティックなア
ドリブの凄まじさとは無縁である(多分やろうと思えばそうもやれるとは思うけれど)。
もっと個人的な歌、フォークソングに近いもの、雰囲気的には弾き語りに近いものを感じ
る。安部さんがこのCDで演奏した曲は、恐らく長年の間安部さんが愛し抜き、心の中に
現れては消え、消えては現れ、ほとんど身体的な記憶と化したものばかりなのだろう。自
分自身の原風景と対峙するために、文字通り素のままの「原曲」に対時する。今度はこの
演奏が、聴いた者にとっての原風景となるんだろうな。
(非売品らしいけど、欲しい人にあげられるくらいの在庫は残ってます? 安部さん?)

   コンピューターの普及によって、CDの自作が手軽に行えるようになってきたことは実
に喜ばしいことだ。資金不足故に、今まで消え去る他なかった良質の音楽がCDとして残
される可能性が出てきたわけである。これはプロのミュージシャンにとって「商売敵」が
増える、ということではない。プロのミュージシャンだって、商業ベースによらない自分
の思い通りの音楽を作りたいことがあるだろう。その時、プロ、アマチュアの境を踏み越
え、よい音楽家同士がよい音楽を発信するために肩を組むことがどんどん出てくると思う。
その基盤になるのは「遊び」を生の本質的な営みと捉える精神である。「遊び」の精神を貫
くためには創造的でなければならない。20世紀は「消費」の世紀だったが、21世紀は新
たな「生産」の世紀になるのではないか、そうなればいいな、そう思った。



1月25日(木)
   アルバイトが休みの日だったが昼に食料を買いに行ったのと郵便局に行った他は外へ
出ず、一日中家にいて何をするでもなかった。冷たい雨が降っているのをカーテンごしに
感じていた。本も開いてみたがたいして読まず、お茶を何杯も飲んでぼんやり時を過ごし
た。「外へ出てみよう」などと書いたばかりなのに、生来の引きこもり体質が勝ってしま
ったようだ。誰にも会わない時間は、それだけで宝物のように価値がある。朝目覚めて、
今日は独りきりだ、と思うと胸がちょっとわくわくする。夜仕事から帰宅する時も、これ
で独りになれると思うと心の底から嬉しい気持ちになる。独りを楽しむということは、「
自分に帰る」とか「自分を取り戻す」とかいった類のことではなく、自分の名前が自分に
押しつけてくる役割から解放されるということではないだろうか。つまり、自分が自分で
なくなることを楽しむわけである。自分が自分でしかないことは苦しい。自分が自分であ
ることは、大小の期待が集まる中である役割を演じることであり、それは制約の中で生き
ることだ。この制約から逃れるために敢えて犯罪を犯して反社会的存在になるという手も
あるかもしれない。が、それは愚かなことだ。何故なら、それはそれで「犯罪者」という
役割の中で生きることを自分に課してしまうからだ。ぼんやりして、誰にも会わず何もし
ないという時間を確保することが、役割から逃れる一番いい方法であるように思える。
   何もしないでいると、不意に詩が書きたくなってくる。日頃、書こうといくら思っても
書けないのに、何もしないでいようと決め込んだ途端、書きたい気分がふっと湧いてくる。
ぼくにとって詩は、自分が何者でもない奴になった時の産物なのだろう。今日、久しぶり
に新作に取り掛かることになった。



1月21日(日)
   昨夜は詩の出版社書肆山田の新年会があった。初めてお会いする人、久しぶりに顔を会
わせる人、いろいろな話ができて楽しかった。
   昨年、詩集「エドマンドの懐中電灯」を出されたという蟹澤奈穂さんからは、「詩はも
ちろん好きでよく読むけれど、詩よりもダンスなどの言葉のない表現空間の方により詩
を感じることが多い」というご意見を窺った。言葉にならないような生々しい感覚を言葉
で拾い上げていくというのが本来詩の役割のはずだが、それができていないのかもしれな
い。詩の言葉が人間の社会活動に従属しきってしまっているから本来の力が出ないのでは
ないか、詩の言葉が人間の生活よりも言葉自身の生活を大事にすれば、こうした不満に応
えられるようになるのではないか、と思った。自分の生活に合わせて言葉を酷使するので
はなく、自分の中にいる「言葉たち」が生活しやすい環境を整えていくのが詩人の仕事な
のではないかということである。この、「言葉の生活」という概念に対しては、いずれ少
しまとまった論考を書いてみたいと考えさせられた。
   一年前から剣道を習い始めているという長尾高弘さんからは、「昔の日本人は、足を高
くあげず、すり足で歩いていた」とのお話を窺った。今のテレビの時代劇を見ても、誰も
すり足で歩いてなどいない。しかし、戦闘という概念を日常的に持っている人間は、いつ
でも攻撃−防御の行動を安定して起こせる体勢が身についているということだった。重き
を置く概念によって日常の仕草ががらりと変わるというのは、当たり前と言えば当たり前
だが、経験に基づく話だけあってスリルがあった。
   ぼくは昨年末から勤め始めている某オンライン書店の宣伝をしてみたが、思ったより興
味を持っていただけたようだ。いや、オンライン書店に興味を持ってというより、既存の
書籍の流通についてすごく不満を持っていて、現状からの脱出口としてオンライン書店に
期待しているというほうが正確かもしれない。書き手の人が、原稿の作成だけでなく本の
流通にも何らかの形で携わってみたいと考えるようになったのは面白いことだ。大手取次
が書店に見計らいで書籍を送りつける「パターン配本」が恒常化し、一時的に売れるもの
以外のものが商品として認知されにくくなった挙げ句、書肆山田に集うような知的な分野
の著者たちが読者の顔を見失い始め、不安に陥り始めているように感じられた。商業主義
が悪いなんて思わない。ゆっくり着実に息長く届いていく本というものもあるのであって、
逆にそういうものもきちんとフォローして利益をあげていくのが正しい商業主義と言える
のではないかと思うのだが、この国ではその種の商業主義は根づいていないかに思われる。
   他にも久しぶりにいろいろな人といろいろな話をしたが、一人の人間が隠し持つキャパ
シティというのは思いの他広いものだ。今年は今までの出不精を改めて、少し積極的に外
に出てみるかな。


1月14日(日)
   21世紀になって2週間がたったが、相変わらず世相が荒れており、悲惨な事件が跡を た
たない。自分を不遇に扱った病院への腹いせのために患者に筋弛緩剤を投与して死なせた
准看護士の男の事件は特に印象に残った。彼は学生時代はスポーツマンで、怪我のためスポ
ーツの道をあきらめたが、その時受けた治療の行為に感動して医療の道を歩んだということ
だ。最初勤務態度は極めて真面目らしかったが、やがて待遇の不満などからいくつかの病院
を転々とし、問題を起こした病院に移ってきたらしい。病院の経営その他の体制もめちゃめ
ちゃなようだが、それにしても純粋な動機で医療を志した人間が罪のない人の命を奪うこと
で憂さをはらすとはどういうことか。もちろんぼくは彼のことを知っているわけではないし、
報道も隅から隅まで読んでいるわけではないので細かいことは全くわからない。しかし、自分
の気持ちに忠実に行動し続けたという点では一貫していたのかもしれないと思う。善も悪も関
係ない、「自分の気持ち」という過激な一元論に追いたてられるように、犯罪に至ったのでは
ないだろうか。病院に復讐するならするで、もっと別の方法がいくらでもあっただろうに。

   こういう事件が起きるたびに、彼には遊び場≠ェなかったのだろうかと思ってしまう。
凝り固まった想念をほぐすような、どこかに自分を超えた存在があることを実感できるような
遊び場≠ェ。ぼくは宗教心などというものを持たない人間だが、詩を書くことで自分を超えた
何かと対話しているような気持ちになれなくもない(いつもそうなれるとは限らないのだが)。
芸術表現を含む何らかの表現行為によって「自分」が「自分」一人だけで完結する存在ではない
ことを実感するということは相当重要なことではないだろうか。別に家族やら何やらの共同体に
回帰するのがいいということではない。世界というものが自分の完全な等身大であり自分が死ん
だら終わるのだという考え方を脱して、もっと余裕をもって世界を楽しむことはできないのだろ
うか。それには機能で埋め尽くされていない遊び場≠ェ必要だ。こういう事件が起きるとすぐ
「管理の強化」が叫ばれる。そのことに少しも異論はない。だが、それだけでは再発防止にはつ
ながらないと思う。学習の場でも職場でも、もっと心と身体の移動の自由を許し、個人の好きに
させ、その「好き」がどういう効果と効率を持つかについて指導と管理を行うという社会が実現
できないかと思う。今のままだと、部品化された作業の中で、自分がやっていることの全体的な
意義を理解する機会がなさすぎる。芸術表現は日常的な価値観を攻撃する力を持つが、攻撃され
ることによって日常に対する注意が呼び覚まされる効用は、忘れてはならないのではないかと思
う。やはり遊び場≠ヘ必要なのだ。

   祖母が永眠した。合掌。



1月5日(金)
   皆さん、新年そして新世紀、明けましておめでとうございます。

   せっかく世紀が変わったというのに、今年は例年にもまして怠惰なだけの正月を過ごし
てしまった。甥っ子と遊んでくたくたになった他は運動らしい運動もせず、結局初詣にも
初日の出を拝みにも行かなかった。正月気分というものを全く味わうことなくただの休み
を取っただけだったが、これはこれでいいものだ。こうやってだらしない時間を流れてい
くうちに“死”というものに流れ着くことになるのだろうな。どうも九州にいる祖母の具
合が良くないらしい。食後のお茶を飲みながら、母親が「意識が薄れることが多くなって
きたみたい。覚悟しなきゃいけない日がくるかもしれないよ、何しろもう93歳だからね」
と言う。「そんなに悪くなってたの。でも苦しがっているわけじゃないんだよね。ああ痛
いのが一番やだな。痛くないのなら死ぬのも特に恐いってことはないね。その時は自分は
もういないわけだから」と呟くと、母が「そうだね」と返した。正月早々不謹慎な会話を
交わしてしまった。「いる」と「いない」の中間を、生きているような気がした。