2001年4月

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4月28日(土)
  今日目を覚ましたら午後2時だったのには驚かされた。いかに最近仕事が忙しかっ
たとはいえ、これほど自分が疲れていたとは知らなかった。とりあえず任される以上
のことはやらないと済まない、働きバチ的な習性は、身分が社員からバイトになって
も余り変わらないようだ。仕事の領域を広げた分、ポカも少し多くなってきたので気
をつけたいところ。詩に振り向ける時間が少なくなってしまったのは、ぼくにとって
は本末転倒なことだ。
  
 夕方、今日が最終日の「伊藤聚展」(ガレリア・グラフィカ)に駆け込んだ。伊藤
聚は1999年に亡くなった詩人で、ぼくは学生時代から物凄く好きで、かつ影響も受け
た。都立大学前の古本屋で買った『目盛りある日』(れんが書房新社)を、何度読み
返したかわからない。聚さんの詩は、話者の心理描写などはせず、ひたすら事物のイ
メージを日常の秩序から解き放って氾濫させるというものだ。いわゆる<筋>という
ものがなく、イメージ一つ一つが屹立して、読んでいるこちら側を攻撃してくるよう
な言葉の使い方をする。人間は普通、「主体」として振る舞うことを強制され、かつ
それに誇りを持つが、聚さんの詩を読んでいると、きりきり弾丸のようにうねるイメ
ージ群に撃沈され、「主体」の座から追われるようなスリルを味わうことができる。
同人誌「卵座」でぼくが初めて書いた批評文は「伊藤聚論」だったし、その後ご本人
とも親しくする機会が持てた。詩集をいただき、年賀状をいただいた直後の突然の死
(まだ64歳)には心底びっくりしたものだ。
  聚さんは詩の他に、夥しい量のビジュアル作品も残している。ドローイング、コラ
ージュなどの作品が、詩作品と同じようにイメージをきらきらさせて、会場を埋め尽
くしていた。多くはポストカード大の紙に描かれた、具象とも抽象とも言えない独特
なタッチの作品には、それらの作者でありながらそこに描かれたイメージの主人であ
ることを拒み通す決意のようなものが感じられた。聚さんはご自身が描いたイメージ
にぷすぷす刺し貫かれることを楽しんでいたのではないだろうか。それらを眺めいっ
ていると、聚さんがもう亡くなった人であることをすっかり忘れてしまう。物事を秩
序づけ、解釈し、整理しようとする人間の習性に対する敵意が、ぎらぎらと生きてい
る。会場には刊行されたばかりの『伊藤聚詩集成』(書肆山田 7500円)が置いてあっ
たので買った。全6冊分の詩集の作品が収録されていて、これは大変なお買得の本だ。
人間、家庭、会社、政治・・・に徹底抗戦をしかける言葉の存在を知りたい人は、思い切
ってこの一冊を購入することをお勧めします。多分、まだ配本前で店頭に並ぶのはちょ
っと先になると思うけど。

  帰ってから祐天寺のカレー屋さん「カーナ・ピーナ」でマトンのカレーを食べた。ぼ
くが住んでいる祐天寺にはもう一つ、「ナイヤガラ」という鉄道マニアの人がやってる
汽車の内装を取り入れた店が有名だが、カレーを食べるなら圧倒的に「カーナ・ピーナ
」だ。小さな店だが、スパイスの効いた複雑で豊かな味が楽しめる。マトンという肉を
ぼくはそれまで余り好きでなかったのだが、ここでマトン・カレーを食べて始めて独特
の風味のうまさに気がついた。食べ物のくせ≠ニいうのはうまみ≠ナあることが多
い。ただし、ちゃんと調理されていないとだめだよね。おいしいマトンを食べさせてく
れる店、誰か教えてください。


4月21日(土) ぼくは物に執着することが余りない。車も持っていないし、このパソコンを買ったの だってたかだか二年ほど前のことにすぎない。現代人の必需品とされる多くの物抜きで やっていけてしまう呑気なぼくだが、今日遂に携帯電話を買ってしまった。仕事のスケ ジュールが過密になり、携帯なしでは不都合が生じるようになってきたからだ。ぼくは 子どもの頃、21世紀になったら一般の人が宇宙旅行に出かけられるようになると固く信 じていた。そうならなかった代わり、誰も彼もが自分用の小さな電話を持ち歩き、いつ でもどこでものべつ幕なしに喋りまくっている風景が待っていたとはね。自分では買う 気がしなかったが、人が夢中になって街中で小さな機械に向かって声を張り上げている のを見るのは結構好きだ。よく「人目もはばからないで、私的な会話に夢中になるなん て」と電車の中での携帯電話の使用が非難されるが、何がそんなにいけないのかわから ない。相手はその場にいないだけで、ちゃんと電話の向こうに存在しているのだし、大 声や下品な話でさえなければ公衆道徳的な意味でも全く問題ないと思う(但し劇場やコ ンサートホールでは電源を切らなきゃね。あれ、すっごくうるさいから)。よそよそし い「公的」な空間の中に、携帯をかけている人の周りでだけぽっかり別の空間、個室の ような親密な空間の薄い膜が形成されているのを見ると、微笑ましい気分にならなくも ない。携帯電話を嫌だと感じる人は、「公共空間」というものを、個人が「公人」とし て振る舞うための場に限定しなければならないと考えているのではないだろうか。様々 な立場の個人の声と体が共に在る空間として「公共空間」を捉えているぼくは、お行儀 が多少悪くなったって、個人個人が好きな振る舞い方をするやり方のほうが好ましい。 だけど、ぼくにはそんなにしょっちゅう話をしたいと思う友人も恋人もいなかったし、 前の会社の時は大抵社内に篭もって仕事していたから特に必要とは思わなかった。今日、 説明書をざっと読んで、友人の誰かに記念すべき最初のコールをかけようと思ったがや め、自分自身の「自宅」の電話にかけてみることにした。 その第一声、「もしもし、ツジです。カズト君、いらっしゃいますか?」−−。
4月15日(日) 昨日、詩人北爪満喜さんと写真家蓑田貴子さんのジョイントの展覧会「くつがえされた 鏡匣(かがみばこ)」を見に行った(CASA 日暮里 4/24まで)。ジョイントと言っても 詩と写真をそれぞれの専門家が造って合体させるのではない。北爪さんはデジカメで撮っ た写真に日録の文章をつけて展示し、蓑田さんはそれぞれ印象的なタイトルをつけた写真 とともに、同名のタイトルの詩作品を書き下ろして冊子にして発表する。お互いの専門領 域を取り替えっ子する形の展示を行うことによって、「プロとしての表現者」としての枠 に囚われない、個人が表現したいものを表現するという意味での本来的な意味での表現者 として二人は振る舞った、ということができると思う。北爪さんは、出会って心が揺れ始 めた、と感じた瞬間の風景の微妙な表情(仰向けになった猫と目が合った瞬間とか、陽射 しに透けて薄い輝きを放つプラスティックとか)を危ういタイミングで掠めるように撮っ ている。この想念がもう一歩濃くなると、夢幻のイメージが飛び交う北爪ワールドが始ま るのだなと思わせてくれるが、濃厚になる数歩手前の魅力も格別である。詩よりも更に私 的な舞台裏を覗く感じである。蓑田さんの写真は、そのままではただ流れ去ってしまうだ けの身の回りの風景を、時間の推移の幅を備えた、生き物のような動的な存在≠ニして 捉えていくもののように思われた。「滲んだ色」「碌青色の水」「日暮れまで消えないで」 「骨をくわえた獣」というような詩的なタイトルは、風景とは体験されるものであり、写 真に撮られたからといって視覚の内に閉じられてしまうものでないという考えを示すため につけられたのではないだろうか。写真家だからと言って、写真だけで表現を完結させな ければならない理由はない(彼女の写真作品は写真だけで充分すぎる程雄弁ではあるが)。 冊子にまとめられた詩も魅力的だった。観察が細かく、鋭いことに驚かされる。さすがに 目≠フ分野の人は違うな、と感じさせるものばかりだ。 表現物が「その道のプロ」の独占物であるはずがない。キャリアに関係なく、誰でもい つでもどこででも、表現はできる。なのに、皆どうしても「モチはモチ屋」式の考えに囚 われがちだ。北爪さんと蓑田さんは詩と写真の分野で「その道のプロ」なのだが、その枠 を超えて表現したいものが出てきたので、素直にその欲求に従ったのだろう。表現者は職 人ではない。誰でも自分の中に潜在的に表現者を抱え持っていると思うし、それには何の 資格も免許も必要ない。「表に現す」ことが表現なのだ。こういう展示をキッカケに、詩 がいろんな分野に顔を出すようになればいいな、と思った。 北爪さんのサイトに関連ページがあります。
4月9日(日) 最近職場の中がゴタゴタしていて少し気が重い。社員の人と外部スタッフの人との考え に行き違いがあり、双方の言い分がわかるだけにもう少し歩み寄りができないものかと思 ってしまうのである。ぼくは前は係長職についていて、会社をやめた今はアルバイトの身 分である。実はアルバイトの身の上というのはとても楽で気持ちがいい。自分に任された 仕事さえすればよく、組織についての責任を負わなくてよいからである。部下の訴えと管 理者の命令の間で板挟みになっていた時と比べれば、気持ちの余裕に雲泥の差がある。 但し、アルバイトには発言権はあっても決定権はない。自分の提案がどんなに優れたも のであっても社員や管理者がうんと言わない限り(それどころか、不幸にも彼らが忙しく てそのことについて考える余裕がない時ですら)反古にされてしまう。また、自分の考え では効果的でないと思える計画でも上が決定してしまったら異議を唱える余地は残されて いない。自分の意見に固執すると挫折を味わってしまうだろう。 まあ、こんなことはどんな会社でもそうだ。会社というものは、労働条件に差のある複 数の人間が集う場所だから、考え方の相違が即、従業員同士の深刻な対立を生み出してし まう。考え方の相違は待遇の不平等とワンセットになって語られるのだ。 今日、久しぶりに野村尚志さんの詩集『ビオラ』(七月堂、1998年)を読み返した。野 村さんは学生時代、立て看に詩を書いてキャンパス内で発表するという過激な試みをして いた人である。就職はせず、アルバイトを転々としながら生活している(最近はNHKの カメラマンのアルバイトをしていると聞いたから、以前より生活は安定しているはずだ)。 彼の作品は日常的な生活体験をテーマにしながら、同時に言語の働きについて複雑な考察 をも巡らしていくという、素朴さと先鋭的な表現意識を併存させたものである。暖かみの ある生活感情が醸し出す無二の親密さの裏に、それを虚構の器で「述べる」ことへの警戒 心が貼りついていて、強い緊張感を持つ。 そんな野村さんの詩を長い間関心を持って読んできたのだが、『ビオラ』の最初のほうの 詩にそう言えばアルバイトと社員の対立を描いた作品があったなと思い出したのである。 「私がバイトを変えたわけ」と「私がバイトをやめたわけ」という二編の詩がそれである。 これらの詩はほとんど「作品」の体をなしていないほど説明的にして感情任せである。「 やめたわけ」のほうは、「まずは私がバイトをやめるに際して、三十枚コピーして、社員や、 バイトのフリーター、高校生、大学生、専門学校生、それからタクシーの運ちゃん、パー トさんに配ったビラを読んで欲しい。」と前置きがあってから「チャーハンの食べ残し」と 題されたビラの内容が掲出される−作者がバイトしていたチェーンの飲食店で、森田という 社員(作者より年下)がおり、作者に「女子高生の食べ残しのチャーハンでも食べたら?」 と軽口を叩く。作者は侮辱に怒って、謝罪と退店の旨と未支払分の給料の支払いを要求する 「要求書」を店につきつける。この「要求書」は全文掲出される。傑作なのはこの「要求書」 を記した紙の裏に、「もうバイトのみんなにも会えないのか、と思うとなんとなく淋しくて」 自作の中で一番好きな詩を書き付けてしまうところである。「なんでもないあなた」という 叙情的な詩がそれで、これまた全文掲出される−以上でビラの内容が終わり、最後に会社側 と戦い抜く決意を表明してこの詩全体がようやく終わる(この説明で作品の意味がわからな い人は七月堂さんに本を注文してください)。 入れ子細工式の作品なのだが、もちろんボルヘスのような芸術至上主義的なものではない。 野村さんはこの作品において詩人としての自分と怒るアルバイトとしての自分を、戦わせた り協働させたりしている。詩人としての自己に主導権を握らせないようにして、怒りを作品 内で完結させず、読者と分かちあい、作品の外で持続させていこうとする試みなのだろう。 係長職からアルバイトに身分が移行してみて初めて面白さが身に染みた。いい作品なのだか どうだかわからないが、職場内のいざこざに悩む方、是非ご一読ください。
4月1日(日) 遂に4月に突入、世間で言えば新学期といったところ。風が暖かくなり桜も咲き始めて いる。この、桜が咲くと充実感を覚えてしまうという習性は何とかならないものだろうか。 桜の木の下を歩くと自動的にウキウキした気分が盛り上がってきて「ああ春だなあ」など と呟きそうになってしまう(?)。考えてみるとかなり恥ずかしい。日本人のライフスタ イルが変わってきて伝統的な日本の風習というものがだいぶ希薄になってきてはいるが、 「桜=新学期=気分一新」という(明治以来の?)イメージはしばらく崩れそうにない( 軍国主義とダブるイメージもまだ少しの間続くかな)。まあ、これはこれで悪くはないが、 ぼくは酒が余り強くないのでお花見というのはちょっと苦手だ。 詩人の清水鱗造さんのホームページの中に「うろこシティ」という掲示板のコーナーが ある(http://www.shimirin.net/kboard/kboard.cgi)。 詩の話題が交わされていていつも面白く拝見し、また自分も加わったりしているのだが、 今は鮎川信夫の詩について議論がされている。ぼくは鮎川信夫の詩に余り関心がなく、ま ともに読んでこずに過ごしていたのだが、彼の存在をはずして戦後の詩を語ることができ ないことはもちろんわかっている。この際と思い、幾つかの詩を精読してみた。その結果 思ったことは、鮎川信夫という人は読者を「国民」という単位で考えていたのではないか、 ということだ。それも真剣に。これって我々にとってはすごすぎ! ではないか。無論、 国民の全てが一人の詩人の作品を読むわけではないが(あっ、最近の教科書では荒地派の 詩が載ってるようだからかなりの人数が読んでいることになる)、しかし、鮎川にとって は自分個人の問題と「日本をどうするか」という問題が、ほとんど同一線上で捉えられて いるように思われるのである。個人的な体験に素材を取ったような作品でも、決して諸事 情の描写に筆を費やさない。体験(初期の作品では戦争体験が主になるが)は観念として 受け止められ、作者の高度な現実認識の素材となる。その訴えるところの中身は、敗戦を 教訓とした個人主義・個人責任の徹底ということであろう。知識人としての自覚を持つ鮎 川は、詩によってその職務をまっとうしようとしたのではないだろうか。体験から抽出し た思想をレトリックで飾り、大衆の心に思想内容を強く印象づけることを試みる。その分 関わりのあった個々の人物や事象の「個」性は希薄になっていく。 しかし、骨の髄まで知識人であった人の詩というのは、今読むとかえって新鮮である。 まず単純に、元気があるなあ、と思わせる。大衆に、国民に、一心に「戦後」の生き方を 問いかける姿が浮かんでくる。戦後詩の出発点に位置する鮎川信夫は、「知識人対大衆」 という図式の中という制約はあったにせよ、語りかけていく意志、コミュニケーションへ の意志を熱く持っていた。彼をヒーローに仕立て上げて市場を形成していった詩壇という 共同体は、「一部の創作者対一般読者」という図式だけ鮎川から借り、鮎川の本質部分で あるコミュニケーションの部分を切り捨てていく。こののち現代詩はどんどん内向して隠 語に近い語法の追求に耽った挙げ句、読者から見捨てられるハメになるのだ。 興味のある方は上記のURLから議論の流れを辿ってみてください。900前後から話が 始まっています。 アメリカ在住の若い詩人・中村葉子さんから、サイトに新しいページを開いたので見て 欲しいとのメールをいただいた。 <日々創作2 http://www.na.rim.or.jp/~internal/hagoromo/youko/hibisousaku.htm> である。彼女は昔、中野かどこかで詩を瓦版のような形にコピーした詩作品を通行人に配っ ていたことで有名(仲間内では)な人。雨戸を閉め切って部屋に引きこもり、周囲に心配 をかけながら果敢に詩を書いていた姿が思い出される。 このページには、自分で撮影した自分の写真が彼女の言葉とともに貼り出される。 「自分が自分をカメラで撮るとなったとき、私は何を狙って撮るだろう。そして私は何を撮 られたいのか。撮りながら考えてみようと思い立った。少し構想を考えているうち、一時間 に1枚、12時間で12枚の写真を撮ることにした。3月7日午前10:00からはじめて 午後9:00までの12時間。一時間毎に目覚しをセットする。目覚しが鳴った時、その時 いた場所で、その時していることを撮る。  目覚しが鳴る。まず、カメラのアングルを決め、カメラを固定し、セルフタイマーをセッ トする。その作業に3分はかかる。どうにもカメラが固定できない場所では更に時間がかか る。やっと自分の入る位置にカメラを固定し、自分を撮る。そこでは3分前、10分前の自 分を自分で演じることになる。そんなことは撮る前か判っているが、問題は3分前の自分を どう見せるのか。自分を撮ることで自分の欲望が見えてくる。見えてくるだろう。 その欲望 の所在を知りたい」 彼女は自分の姿を撮ることが目的なのではなく、自分を演じる自分とは何かについて考え るためにわざわざ自分の姿を撮ろうというのである。その結果、 「他者との関係によって、変化し続ける自分。ただの「人」 そして他人の中に、もっと生 きたい、生き続けたいという欲望が「へやの中の私」のように、私を作らせるのだ」 という認識が生まれる。静止した自分の存在の不思議さを自分で覗き込む、そのまさに覗き 込んでいる行為が反転して、他者との関係の中で生きている自分を希求する意志を生む。「 ひきこもり」の生活の中で自我を育ててきた彼女にとって、こうした作品をひっそりと作り 上げることが、他者とのつながりを築きあげていくための手立てなのではないかと思えるの である。まずコミュニケーションへの飢えがあって、それが創作の原動力になる。描きたい ものがまず自分の中にあって、それを流通させるためにコミュニケーションの問題を考える というのとは違うのだ。以前路上でビラを撒くように詩を配っていた中村さんは、「受け渡 し」の量と速度を控える分、「受け渡す」ことで自分の生がどう変わっていくか、それが他 者とどう関わっていくことになるのかを、じっくり見据える方向に関心をシフトさせている。 中村さんの意識の成熟が見られるように思うのである。 「知識人」という立場から大衆に時代を生ききる思想を語りかけていった鮎川信夫と、自分 自身の存在を確かめることから他者の必要性を考えようとする中村葉子。これほど対称的な 二人について同時に考える機会を持つとはなあ。