2003.11

2003年11月

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11月30日(日)
  めちゃくちゃ仕事が忙しくてしばらくサイトを更新する気力がなかった。
どうもスミマセン。土日はどっと疲れが出て、一日中眠ってばかりいました
ね。しかしこの「眠る」という行為はなかなかオツなものである。昨年、自
律神経失調でぶっ倒れたことの反省から、一日7時間は睡眠を取るように心
掛けることにしたのだが、今度は眠る快楽に目覚めて(?)しまった感じな
のだ。ぼくは夜更かしが好きなので、休みの日の前の晩は2時頃までは平気
で起きている。で、だいたい10時頃に目覚めるのだが、目が覚めても布団
の中で本を読んだりなんかしてぐだぐだ1,2時間程過ごす。正午頃になっ
てやっと床上げするというわけ。この眠りの前後の1,2時間というのがぼ
くの現在の人生のゴールデンタイムであり、最もかけがえのない時間となっ
ている。今のぼくには、眠りと覚醒の間をさまようこと以上の快楽があると
は思えず、これに比べたら、海外旅行に出かけたりきれいな女の子のいる豪
華なパーティに足を向けたりすることなどは一種の苦痛に思えるほどである。
  労働を拒絶して睡眠を貪ること−これを徹底させるとホームレスの人生が
待っているわけだが、ぼくは精神的には潜在的なホームレスなのであろう。
ホームレスの人生を選ぶことによる不利益をいろいろと想像すると恐怖を感
じてしまうのであるが、その恐怖はもしかしたら取り越し苦労かもしれず、
思い切ってなってみたら案外気分のよいものかもしれない。恐らく、もし世
の中の半分の人がホームレスの人生を「選ぶ」ということをしていたら、ぼ
くは間違いなくそちらの側に加わっていただろう。大勢に順応するという性
質を持ったおかげで、ぼくは大きな幸福をみすみす逃しているのかもしれな
い(冗談めかしてはいるが、半ば本気でそう思っている)。

  とは言っても仕事と睡眠で終わるわけではなく、コンサートとオペラには
しっかり行って今月も元気に散財してきた。
  ゲルギエフ指揮のキーロフ・オペラによるムソルグスキー「ボリス・ゴド
ゥノフ」(東京文化会館)、同じくゲルギエフ指揮東京フィルのベルリオー
ズ「レクイエム」(サントリー・ホール)、沼尻竜典指揮二期会のベルク「
ルル」(日生劇場)。いずれもとても楽しかった。
  「ボリス」はぼくの一番好きなオペラの一つ。とにかく音楽が美しい。劇
伴の音楽というふうには全然感じられなくて、つまりお話の説明をやってい
るようなお気楽なところがなくて、終始直接こちらの心に語りかけてくる。
恐らくこの当時にしては非常に新しいことをいっぱいやっていて、リズムが
パターンから逃れていて自由に弾け飛ぶようなところであるとか、和声が常
に転調して揺れ動くところとか、19世紀に書かれたとは思えない斬新さが
随所にある。その斬新さが、作者が革新性さを意図しているというよりは、
心の思うままに音符を綴っているうちにとてつもなく新しいものができちゃ
った、というものなのでますます驚くわけだ。演奏は実に繊細で、いわゆる
「ロシア臭い」爆演ではない。登場人物の心のうちが、脇役に至るまで、よ
く届いてくるような演奏だった。ベルリオーズもまたすばらしい演奏で、超
のつく大編成の大がかりで派手な曲にもかかわらず、小さなメロディまで優
美に歌いきる感じだった。ゲルギエフという指揮者は、耳がよいのか、オー
ケストラの響きのバランスがとてもよく、細かいところに神経を集中しなが
ら全体を作り上げる。大曲を小味で聞かせてくれるという点で、得難い音楽
家なのだということができると思う。
  「ルル」は滅多に演奏されない未完成の難曲。だが、20世紀のオペラと
いうのもすっかり古典になったのだなあと今更ながら思わせるような、流麗
な演奏だった。とにかく非常に聞きやすく、「ボリス」よりもかえって古典
的に感じたほどだ。ベルク他の20世紀オペラは、今後ますます「聞きやす
い」演奏で聞くことができるようになるだろう。逆に、「ルル」や「ペレア
ス」から前衛性を蘇らせる工夫のほうが必要になってくるのではないか。

  アメリカにいる姉夫婦が、娘の1年遅れの七五三をやりに日本に帰ってき
た。8歳になる姪っ子は、16万円もする着物をウチの親に買ってもらって
ゴキゲン(孫は子よりもかわいいというのは本当なのだろう)。少し前まで
はワガママさが目立っていたのだが、もうかなり自省心がついている。それ
にしても、甥っ子も加わってのわけのわからない、いつ果てるともない「ご
っこ遊び」の相手をしてくたくた。子供のパワーってすごいですね。それに
しても、アメリカ人の父親と話す時は英語、ぼくらと話す時は日本語と、言
葉を使い分ける時の姪っ子の表情が面白かった。話す言葉によって、仕草や
表情も微妙に変わるんだなあ。一人の人間が2ケ国語を話すのではなく、一
人の人間がアメリカ人になったり日本人になったりするわけですね。


11月10日(月) 小雨の降る中、衆院議員選挙の投票に行ってきた。しかし、何てことだ。 ぼくは入れたい候補者がいないのに、ただ棄権するのはヤだな、という動機 だけで投票に行ってしまったのだ。名前を書く段になって迷い出す始末であ る。こんなことなら棄権すりゃあよかったかな。 政治経済には全く無知なぼくの考えは、1)福祉重視でその代わり消費税 は10%くらいまでアップしてよし、2)郵便や道路事業の民営化には賛成 だが文化事業も含めて肝心なところはしっかり「国営」してくれ、3)自衛 隊の海外派兵は止むを得ないが国連決議の下でなければダメ。そのために国 連の再建に努力すること(できればアメリカ軍やフランス軍に、日本と同じ く“自衛隊”の名称に変更することを勧める?)、といったところ。まあ経 済的に負け組である人間としての甘甘な考えであることは百も承知だが。 結果として民主党が躍進し、自民党も過半数を保った。二大政党などとい っているけれど、要するに自民+元自民だ。本当は、社民党や共産党のよう な考え方の人の方が頑張りやすい状況にあると思うのだが、全くそうはなら ないんだなあ。ぶっ潰れるべきは自民党ではなくむしろ左派政党の方なのか もしれない。党名も変え、理論武装もして出直して欲しいですね。 スクロバチェフスキー指揮サールブリュッケン放送交響楽団の演奏で、ブ ルックナーの7番を聴きに行った(東京オペラシティコンサートホール)。 実は急に大事な会議が入り、前半のモーツァルトの34番を聞き逃してしま った。一緒に行った友人によると、ものすごくいいモーツァルトだったそう なので、悔しかったが、メインのブルックナーは感動的だった。とにかく音 がいい。よく聞いていると、団員の一人一人は名人級ではない。トチりそう になることもあるし、ソロが歌いきれない時もある。しかし、アンサンブル になると、実にいいバランスで豊かに流れ、歌う。通俗的だが、音楽の背景 にそそりたった山とか河のせせらぎとかの自然の美しい姿が見えるようなの だ。指揮のスクロヴァチェフスキーが余程各パートの響きのブレンドに気を 配り、音楽の凹凸を計算しているからだろう。ブルックナーはオルガン音楽 のような響きがするとよく言われるが、今回の演奏はそんな言い方がぴった りだった。いつまでも聞いていたい気分だった。