2004.9

2004年9月

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9月26日(日)
 気がつくと9月も終わり。いやはや、忙しくも慌しい毎日で、家に
帰るといつもグッタリです。昔、「モーレツ社員」なるものがいたそ
うだが、今や「モーレツ社員」でない社員は会社にいない、といった
感じですね。最早、定時の労働時間というものが意味をなさなくなり、
体力の許す限り働き続けなければならなくなってきた。競争社会にな
ってくるとこういうことも起こる、ということなのだろう。サザエさ
んとかちびまる子ちゃんのような、一家がそろって夕食を取れる家庭
というものは、まだ存在するのだろうか。
 
 こういう事態を、ぼくはいいこととも悪いこととも思っているわけ
ではない。そして、本当の仕事人間から見れば、ぼくなどまだまだノ
ンビリしているほうなのだ。企業間の競争がここまで本格的に厳しく
なった時代というものを目の当たりにすることは、それなりに面白い。
名の通った企業であっても簡単に赤字転落したりするし。今後は、金
融機関といえども、政府は今までのように手厚く保護することはしな
くなるだろう。会社から言われたことをやり遂げるのが今までの会社
員の仕事ぶりだったが、今は末端の社員であっても会社の利潤をそれ
なりに気にかけながら仕事をすることになっている。その分社員とし
ての意識が高くなったという言い方もできるだろうし、社会や地域と
いったものを考慮に入れず、所属する会社の利益や会社の中でも自分
の位置を優先する利己的な人間が増えたという言い方もできるだろう。

 自分としては、会社の仕事を一生懸命にやりつつ、なおかつ自分の
中の「反会社員」的な部分を大事にしたい、といったところ。利潤と
か効率とかシェアとか知名度といったものに対抗する価値観を育てて
いきたいですね。

 忙しいとその分、休日を有効に過ごさなければ、との思いから、今
月も結構いろんなものを見に行った。東京シティフィルによるワーグ
ナーの「ローエングリン」(文句なしの緻密な演奏振り)、庭園美術
館の「エミール・ノルデ展」(色彩の繊細な滲み、ぼかしに、迫力を
感じた)三鷹美術ギャラリーの「牛腸茂雄 自己と他者 展」(人の
心にズカズカはいりこんでくるような、あるずうずうしさが印象に残
った)などなど。
 ただ、こうした「文化的体験」も、心に余裕がなくなると、ただの
「休日の有効利用」に陥ってしまう気がする。本当自分が楽しんで味
わっているのかについて、自問したいところ。

 以前会社の同僚であった前川知大さんが作・演出をつとめる、劇団
「イキウメ」による「思慮深いモンスター」の公演を見に行った。こ
の劇団の公演を見たのは2度目だが、前作以上に楽しめた。現実では叶
わないような願望が叶ってしまう秘密の場所を見つけた男女が繰り広
げる、ちょっとしんみりしたお話。妻子を別れるはめになった男は、
この秘密の場所で妻や娘のコピーを作り出してしまい、暖かい家庭の
雰囲気を堪能する。が、実は、このコピーは実際にいる人間の記憶を
奪う形で存在しているので、コピーが一人歩きすればするほど、元の
本人たちは記憶を失うことになってしまい、いずれが廃人同様になっ
てしまう。また、この秘密の場所を他人の目から代々守っていた一家
があるが、その長男は既に自宅ではひきこもり同様の生活をしていて、
生き生きしているのはコピーの方だけである。実物とコピーが対面す
ると統一された元の人間に戻るとわかった周囲の人間たちが、合体の
準備を進めようとするが、それは独立した人格を持ち始めたコピーを
「殺す」ことでもある。ひと悶着の末、遂に一同は合体を成就させて
しまう。
 レムの「惑星ソラリス」のようなストーリーだが、哲学的な問題に
踏み込むよりは、家族とは何か?というより身近な問題を突き詰めて
いく作品に仕上がっている。各人の生活の事情や性格がきめ細かく描
かれており、上質のホームドラマを見るような感動と緊迫感があった。
 但し、何故役者たちがこんなにせかせかとセリフを読むのか、今一
つ理解できない。昔の夢の遊眠社や第三舞台がスピーディーなセリフ
回しと身のこなしを特徴としたことは理解できる。彼らの芝居は、ス
トーリーや個人の内面の描出ではなく、イメージの転換に重きを置い
たものだからだ。イキウメの舞台は、登場人物たちの生活を丁寧に描
くところに特徴があるのだから、各人がどういう心持で言葉を口にす
るのかが最も問題となるのでなければならないはずだ。演劇という芸
術の中の会話は、リアリズム演劇であっても、現実の談話からは大き
く乖離してしまうものである。セリフは劇中の人物に向かって発せら
れると同時に、劇の鑑賞者に向かって発せられる。また、現実の談話
によくある、いい間違えとか文法の誤り、シンタクスの不統一といっ
た要素も排除される。イキウメの舞台は、大きな意味でのリアリズム
劇であり、それならば、現実の談話をもっとよく観察して、どういう
現実の談話にどのようなリズム構造が隠されていて、それをどう抽象
化すれば、アカの他人の集まりである劇の鑑賞者に対して「現実」の
感触を与えられるのか、もっとよく考えてほしいな、と思った。台本
はとてもよくできているのに、均一なテンポでセリフを口にされては、
場面をじっくり味わうことが難しくなってしまう。それがちょっと惜
しかった。

 9月12日に、恒例の甲府のサルサ・フェスティバルに出演。快晴でお
おいに音楽とバーベキューを楽しんだ。名古屋のバンド、ドメスティ
コのメンバーである木内君(TP)が同じバンドのアカリちゃん(SA
X)と結婚することがわかって大騒ぎ。このアカリちゃんという人は
よくできたコで、ウチのバンドがペルー人のお客さんの飛び入りで悩ま
されている時に、そのペルー人からマイクを奪い取って「グラシアス」
の一言で退散させるという荒業をやってみせた。ウチのバンドのメンバ
ーはこの一件ですっかりアカリちゃんのファンになりました。木内もい
い嫁さん見つけたもんだ。お幸せに!

 次のライブは10月24日(日)で、場所は六本木のボデギータです。お
ヒマな方は聞きに来てね。