2005.11

2005年11月

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11月20日(日)
 多摩川美術大学の学生を中心とした劇団「小指値」の第三回公演「俺は人間」
を見に行った(タイニイアリス)。第一作の「顔よ!勃ったら1M」を見たこ
とがあったが、今回の作品はそれよりもずっと見ごたえのあるものだった。
 冴えない若者の男女。彼らは恋人同士というわけでもなく、友人というほど
でもなく、<知り合い>という感じ。男のほうはプー太郎、女はヤリマンで、
どちらも毎日の退屈さと空虚さに苦しんでいる。男は、捨てられたロボットと
称する男と、これまた用済みのアンドロイドと称する三人組の女に、もつれた
恋愛関係のゲームを演ずるように命令する(その中には最初の男女も入ってい
る)。いかにも嘘っぽい関係がだらだらと続いたあと、やがてみんなそれに飽
きてゲームは自然消滅してしまうが、他にやることが見つからない。
 ストーリーはかなりナンセンスで錯綜しており、どこまでほんとでどこまで
嘘かよくわからない。しかし、全員が主体性を欠いており、しかもそのことに
気づいて苦悩しているが、その「苦悩自体が全く深まらないこと」に更に苦悩
しているようだ。
 その苦悩を表すために、演技は全編「ダンス」をしているかのように行われ
る。実際踊るシーンも多く見られるが、仕草を奇妙に誇張した演技の方法が取
られ、人間が人間としての重みを持たないおかしさと悲しみが表現される。役
者の演技は皆非常に熱がこもっていて、感動的だった。やることがなく、やり
たいこともなく、自分たちの個性に価値が見出せない、それで、ほとんど「仕
方なく」、個々の体のあり方だけでも見せようというのだろうか。体の突出は、
各人が主体性の薄さについて苦悩していることの裏返しであるように思える。
そのことが、目に見える形で律儀に演じられている点に好感を持った。


11月12日(土)  このところジャズのセッションにばかり行っていて、詩作をさぼるばかりか ロクに本も読まない日が続いている。そろそろ新しい作品を書き上げたい欲求 が湧いてきているので11月中には一作は完成させたい。  しかし、ジャズって面白いね。個性を音にダイレクトにぶつけられるところ がいい。しかも、共演者の出した音に対して自由な反応を即座に返せる。ミュ ージシャンが集う「場」そのものが核になるという音楽は、ジャズ以外には余 りないだろう。ひところのフュージョンブーム、4ビートブームが去って、商 売になりにくくなると同時に、ジャズは演奏したい人々の手の中に戻ってきた 感じがする。ジャズは大スターがいなくなって衰退していると言われているけ れど、演奏を楽しみたい人にとっては逆によい時期を迎えているのではないだ ろうか。  即興音楽であるジャズは、たぶん詩と同じで、聞くよりもプレイすることに 重心がある音楽なのだと思う。聞き手が潜在的に演奏者である部分が大きくて、 だからジャズは鑑賞音楽としては基本的に商売にはならないことを利点として 発展していくべきだと思うのだ。  だけど一部の「天才プレイヤー」を崇拝するという昔ながらの風習もまだま だ盛んなので、仲間同士でやりたいことを自身の身体のありように即してただ やる、というところにはなかなかいきつかない。今は過渡期なんだろうな。  10月の終わりに、鈴木志郎康・石井茂の写真展を見に行った。鈴木志郎康 さんの「My多摩美上野毛」は、来年の3月に多摩美術大学を退職される志郎 康さんの思いがこめられたもの。生徒さんや建物を撮っているがその一枚一枚 に撮影者との距離の近さが感じられる。こんなふうに感傷というものを全面的 に押し出した写真を撮るのは、志郎康さんは初めてではないだろうか。もちろ んただ感傷的な作品というのではなくて、感傷的になる気持ちというものをい ったん突放してものめずらしげに眺めるといった面白さがあった。つまり、ユ ーモアが横溢しているところがいいなあ、と思った。石井茂さんの写真作品は、 「Light Scape」と名づけられた連作。全てピンホールカメラで撮ったもので、 光が光を追いかけっこしているかのような不気味さが面白かった。裸体の映像 など、普通は何がしかの人間的なエロティシズムを醸し出すものなのであるが、 そういう人間臭が剥ぎ取られて、物体としてのエロスが漂っているのに驚かさ れた。おとぎ話の世界に「本当に」紛れ込んでしまったかのような奇妙なリア ルさがあるので、写真好きの人には絶対オススメですね。  美術展は最近比較的まめに足を運んでいるのだけど、面白かったのは池口史 子の展覧会「静かなる叫び」(損保ジャパン東郷青児美術館)。あの堺谷太一 氏の奥様ということで、逆に画壇から距離を置かれてしまい、苦労をされた方 のようだ。しかし、ぼくにはそれが非常に幸いしているように感じられた。画 面の特徴は「無人であること」。人のいない、郊外の殺風景な光景を描いた絵 が多いのだが、人物のいる絵でも、無人の空間にたまたま誰かが居座ったとい う感じなのだ。花瓶に生けた花の絵に迫力がありすぎたりと、画家の心の異様 な孤独感が楽しめてしまう作品群だった。デッサンがスーパーリアリズム風と 言っていい程非常に正確なので、余計不気味さがある。不遇っていうのは表現 にとって悪いことじゃないですね。賞を取られたようなので、逆に今後の画業 が心配(?)。  そう言えば、歌手の本田美奈子さんがなくなりましたね。なくなるちょっと 前の映像が繰り返しテレビで流れていたけれど、30代後半とはとても思えな いような、少女のような表情が印象に残った。それはとてもかわいらしいのだ けど、その分気味が悪かった。きっと18歳くらいの気分を維持したままずっ と芸能界で頑張ってきたのだろう。時代が、年齢による気持ちの変化を人に強 制しなくなったこともあると思う。それは、年齢別の生き方が消滅し始めてい ることでもあり、一つの文化の消滅でもあるように感じられる。ああ、あと少 しすると、本田美奈子さんのような感じの、少女のようなおばあさんが普通に 街を歩くようになるのだろうか? これは結構恐ろしいことだぞ。