2005.12

2005年12月

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12月31日(土)
 会社のクレーム処理でここ数日バタバタし、昨日も出社するハメに。何とか
うまくおさまりそうですが、気分も落ち着かなくて最悪の年末でしたね。これ
から帰省するので少しゆっくりしようかと思います。

 渋谷の松涛美術館で見た芝川照吉のコレクション展がすごく面白かった。こ
の人は、戦前毛織物で財をなした芝川家に入籍し本業そっちのけで美術品のコ
レクションと美術家の支援に身を入れたことで有名な実業家。関東大震災後に
そのコレクションの大半は散逸し、最近になるまで彼の「仕事」が注目される
ことは少なかったという。
 彼が遺作展を開いたことが再評価のきっかけになったという青木繁や、親交
の特別厚かった岸田劉生の作品を見ることができるのはそれ自体嬉しいことだ
が、ある特定個人の美意識を中心としたアーティストの和と輪がしっかりと展
示の中で感じられたことはもっと嬉しいことだ。
 「表現」を媒介にアーティストと愛好者との間にほとんど裸のつきあいがあ
り、真剣なやりとりが行われる、ということは現在では滅多に見られない。ア
ーティストは自分の作品の評価や話題性にしか興味がなく他の人の作品には無
関心だし、愛好者たちはマスコミが流した情報によってしか作品を判断しよう
としない。そうした傾向が極点にきていて、「表現」がまともに問題にされる
ことは少なくなってきていると感じられる。
 芝川に宛てられたアーティストたちの色鮮やかな絵葉書の数々は、個人と個
人がしっかりコミュニケーションを切り結んでいる様子を物語っている。見て
いて非常に暖かな気持ちになってくるのだ。
 こうした関係をどうやって再構築していくか、これはあらゆるジャンルの表
現者にとって一つの課題となるところのものだろう。
 作品としては、藤井達吉の工芸作品が最も印象に残った。斬新さと人懐っこ
さが同居した楽しいデザインの作品の数々を、芝川は日常生活で実際に使った
のだという。作品が生活と交流している様子が想像され、ますます楽しい気分
になった。

 苦しくも楽しくもない一年がまた過ぎていきますね。
 来年もよろしくお願いします。


12月18日(日) 12月。さすがに仕事が忙しい。疲れてちょっとカゼ気味になってしまいま した。結構用心していたんですがダメでしたね。皆さんも気をつけてください。  詩人に12月と言えば「現代詩手帖」の年鑑でしょうか(笑)。今年は詩集 も出したことだし、久々に買ってみました。あれは詩人の住所が載っていて、 少々値は張るけれど結構便利なものです。  「今年の収穫」で挙げられた詩集をバラバラと見ていたら、荒川洋治のコメ ントにびっくり。「『書きたい』詩ばかりが書かれ、『書くべき』詩を書く人 がほとんどいないように思われる」だそうだ。バッカじゃないの、書きたい人 が詩を書くのは当たり前のことだ。作品の巧拙にかかわらず、詩を書きたい人 が詩を書き、発表までするということは、表現にとって単純にいいことだろう。 なんでこうこの人は、文学を管理したがるのだろうか。「書くべき人」がいる というのなら、荒川にとっての「書くべき」詩人を実名でズラズラ並べればい いだけのこと。「書きたい」詩ばかりが書かれ、なんていう但し書きは必要な い。肝心な点をぼかして、文壇の重鎮面をしないでほしい、といったところ。  多分荒川洋治にはもう、一つ一つの作品や書いた人の顔というものが見えな くなってきていて、茫洋とした「傑作」「駄作」という区分だけしか頭にない のだろう。「傑作」をチョイスし認定し、自らも「傑作」を書き、世の中に詩 の価値を広める詩壇の重鎮、という肥大化した自己イメージが、こんなつまら ないコメントを書かせたのかな。  詩を世に広めたいなら、一人一人の詩人と向き合い、詩の読者一人一人と向 き合い、自分自身にも向き合い、ということをやらなければだめ、でしょう。  11月後半にヤンソンス指揮バイエルン放送交響楽団、12月11日にゲヴ ァントハウス弦楽四重奏団を聞きに行った。  バイエルン放送交響楽団は今ドイツで最も人気のあるオーケストラだそうだ が、いかにもドイツ的なという感じの重厚で深々した響きとクールな機能性が 同居したすばらしいオーケストラだった。曲目はチャイコフスキーのピアノ協 奏曲1番(ピアノ:ブロンフマン)とショスタコーヴィチの交響曲5番。超メ ジャーな曲同士だが、新鮮な驚きに満ちた演奏だった。チャイコフスキーの方 は、まずブロンフマンの名技に唖然とする。ノーミスの完璧さもすごいが、そ れ以上に力いっぱい歌うカンタービレの息の長さというか強さに感動。器楽奏 者というよりまるで歌手のようなんですね。ヤンソンスもそんなブロンフマン にぴったり添うようにチャイコフスキーの叙情性を繊細に表現して、感動的だ った。ショスタコーヴィチは、意外にも(!)端正な演奏で、大袈裟に鳴らす とか派手なテンポの切り替えなどせず、八分目くらいの音量で古典派の音楽の ように演奏した。これがなかなかいいんですね。ショスタコーヴィチの音楽の 構造とかサウンドの木目がクリアに感じられ、とても気持ちよかった。  ゲヴァントハウス弦楽四重奏団(紀尾井ホール)は、ベートーヴェンの初期 から中期にかけての作品を3つ演奏した(6番、11番、8番)。第一ヴァイオリ ンのフランク=ミヒャエル・エルベンのうまさにもうなったが、やはり全体の アンサンブルの重厚さに感動した。最前列で聞いたせいもあったが、細かいパ ッセージもよく聞こえ、互いのやりとりの呼吸が音楽の呼吸としてしっかり感 じられたのだった。ぼくはベートーヴェンの作品群の中では弦楽四重奏曲が最 も好きだ。交響曲にはない、陰りのある感情が感じ取れるからだ。その分、他 のジャンルの曲よりやや難解に聞こえるかもしれないが、ベートーヴェンとい う人の人間の核に一番近いところから音が造られている気がする。  今日から、ヤマハの音楽教室でジャズ・トランペットを習うことにした。講 師は、好きで何度か聞きにも行っている原朋直氏。自分の演奏の、リズムの取 り方やノリが今イチ不安だったので、この際徹底改善しようと思ったわけだが、 今日早速呼吸法について注意を受けた。トランペットの演奏は、すばやいパッ セージもひっくるめて、基本的に全てロングトーンの呼吸法でひと息に吹くべ し、との指摘にはっとさせられる。なるほど。ぼくはいつも空気の流れを一旦 喉元で切って一音一音吹いていたのだが、それでは疲れるし音楽の流れが妨げ られてしまう、とのこと。一丁、頑張って練習してみよう。