2005.7

2005年7月

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7月30日(土)
 エディ・パルミエリ率いるアフロ・カリビアン・ジャズ・オールスター
ズの演奏をブルーノートで聞く。たまげましたね。メンバーはブライアン
・リンチ(Tp)、ドナルド・ハリソン(As)、コンラッド・ハーウィ
グ(Tb)、ジョー・サンティアゴ(B)、ジョバンニ・ヒダルゴ(コン
ガ)、ホセ・クラウゼル(ティンバレス)。
 エディ・パルミエリのピアノはCDで聞くよりもずっと端正で優雅なも
の。前奏の長いソロを除くとバッキングに徹する場面が多かったが、独特
のやや暗めで攻撃的なノリはやはり魅力的で、ソロイストを鼓舞する力を
持っている。フロントは名人ばかりで、特にブライアン・リンチは高音の
輝きが信じられないほど。ラテンのトランペットはああでなくちゃ、と思
わせるものがあった。トロンボーンとは思えないほど速いパッセージを楽
々とこなすハーウィグのプレイも印象的だった。ジョー・サンティアゴの
生み出す弾力的なリズムもすばらしかった。この人は非常に多くのベース
のパターンを知っていて、盛り上がってくると基本パターンをパッと崩し
て演奏に変化を与える。一番ビックリしたのはジョバンニ・ヒダルゴのコ
ンガで、手が何本あるのかわからないような複雑ですばやい動きに度肝を
抜かれる。無伴奏の長いソロでは、まるでマジック・ショーに見入ってい
るような興奮が会場に漲っていた。
 この人たちのやっている音楽はラテンとは言え、お気楽なものではなく、
現代音楽やジャズの先端を通過した革新性がある。音の実験というものが
クラシックやジャズや電子音楽の専売特許でなくなり、これから大衆音楽
のフィールドでどんどん行われていくことになるのだろう。満員のお客さ
んの満足そうな顔を見て、頼もしい気がしたのだった。

 エディ・パルミエリの公演で顔を合わせたパーカッションの大塚さんと
一緒に、その足で青山のプラッサオンゼへ。バイオリンのさやかさんやベ
ースの小泉さんが演奏するソンを聞く。こちらはまったりした家庭的な音
楽で、癒されましたね。プラッサへは10年ぶりくらいに足を運んだのだ
が、こじんまりした落ち着くいい店ですね。料理もおいしいし。昔はちょ
っと緊張して来ていたのだが、会社帰りに寄っても丁度いいような雰囲気
だった。ぼくも大人になったんですかね。

 さて、ぼくの所属するロス・ボラーチョスも一週間前、ボデギータでラ
イブをやり大入り満員だったですね。ただ、演奏は最近ちょっと手馴れて
しまっているかな。もっと精度の高いものを目指したい気がします。


7月3日(日) もう7月。夏真っ盛りですね。夏真っ盛りというには雨が多くて、梅雨に 逆戻りという感じではありますが。忙しさにかまけて6月は一回しか<錨> コーナーを更新していないことに気づいたので、ちょっと焦っているとこ ろ。  6月の下旬に、高校時代のクラスの仲間で横浜中華街に集まってご飯を 食べた。韓国から帰国して日本の大学で教鞭を取ることになった仲間の、 帰国祝いみたいな集まりだ。久しぶりの中華街でワクワクしたし、ご飯も おいしかったし、話も弾んで楽しかったですね。ただ、こういう集まりの 時にいつも痛感するのは、自分は高校時代、ホントに内向的だったんだな ということ(まあ、今もですが)。つまり、高校時代こんなバカやってた な式の話題にノレない。友達とつるむということが非常に少ない少年時代 を過ごしたのだな、ということが確認されたわけだ。クラス会に出ると、 高校時代の内向性が、今の今まで持続していることを思い知らされてハッ としてしまう。まあ、内向的な少年であったことを今更悔やむ気持ちはな いし、内向的でなかったら詩なんか書いてなかったろうとも思う。こうな ったら自分の内向性を死ぬまで楽しんでやる、という感じです。  しかし、みんな変わらないね。多少大人になって温厚になったとは言え、 喋り方は全く昔通りだし、頑として自分のスタイルを変えない、みたいな ところがある。みんな40代という年相応の雰囲気が希薄なのだ。ぼくの 世代の人間は、オジサン、オバサンになろうとしてもなれないんじゃない かな。それはそれでちょっと不安だ。  準備している新詩集のカバーに使う写真を受け取りに、写真ギャラリー Rooneeへ。2年ほど前に見た、ここの代表者である篠原俊之さんの 写真作品が気に入っていて、今度の詩集のカバーに是非とも使いたいもの だと考えたのだ。篠原さんは、元、東京写真文化館のキュレーターで、若 手の写真家の作品を見ることに関しては並ぶ者のない人だ。Roonee も、そのために立ち上げたと言ってよいだろう。だが、彼自身も写真家で あり、他の人が決して目を向けないようなものに鋭く視線を向けて、細か い事物の表情を丁寧に写し取る。彼がカメラを向けると、事物が人間的な 物差しからはずれた独自の生命を持つようになる。ぼくが買ったのは、針 金がぐにゃぐにゃ絡まっている作品なのだが、対象をよく注視していて、 殺伐とした中にある存在のリズムを感じさせるものである。詩集は8月に は出る。出来上がったらいの一番に篠原さんにお見せしようと思っている。  その帰りに、Bunkamura・ザ・ミュージアムで、レオノール・ フィニ展を見る。シュールリアリズムの絵画というより、ある種の日本の 少女漫画の前身という印象を受けた。ナルシシズムというものを厳しく突 き詰めていった末に獲得した表現ではないかと思った。厳しいナルシシズ ムというのはヘンな言い方だが、自分の気性とか生活とか趣味とか身体の 調子とかを毎日厳しく点検して、非常にまじめに自分というものに溺れて いく。そこに、ある倫理的な姿勢が感じられる。萩尾望都の漫画には特に 非常に近いものがある。  江古田のバディでサルサのライブをやったかと思ったら、7月は10日に 六本木スダーダ、24日に六本木ボデギータでライブがある。さすが夏はサ ルサのシーズンですね。