2006年10月

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10月29日(日)
 ちょっと仕事が忙しくて〈錨〉コーナーの更新をさぼってしまいました。
今日、持ち帰っていた仕事にようやく区切りがつく。駆け足でこの2週間
ほどの出来事を書くと。

 22日に六本木ボデギータでサルサのライブ。何とボデギータは今年い
っぱいで閉店してしまう! 料理もうまいし、気軽にラテン音楽を楽しめ
るすばらしい店だったのにかなりのショックです。わがボラーチョスが初
めてライブなるものをやったのもボデギータでした(その頃は恵比寿にあ
りました)。ラテンファンの皆様は今のうちに足を運んでおいたほうが良
いですよ。
 それはともかく、お客さんの入りはなかなか良かった。パーカッショニ
ストの菅野さんの飛び入り演奏もあったし、盛り上がりました。というよ
りボデギータのライブはいつも盛り上がるんですよね。お客さんにパワー
があるとしか言いようがない。後半、熱気に押されて力んで演奏してしま
い、やや吹き方が雑になってしまったのが反省点だったかな。平静を保っ
て演奏したいところですが、これがなかなか難しい。

 4つの写真展に足を運ぶ。

 まず「ル・デコ」で鈴木志郎康・石井茂の二人展。鈴木さんのは、いつ
ものように魚眼レンズを使って近所の風景を撮ったもの。作品のサイズが
大きく、風景が生き物のように動いて見える。魚眼レンズの写真は、サイ
ズを大きくすると歪みも拡大されて、3Dのような効果を生むのだという
ことがわかった。壁を撮った写真が特に面白かった。壁がまん丸に見えて、
一見何が映っているのかわからない。石井さんの作品は、中南米の風景を
まとめたもの。日本との風土の違いが実感できる。石造りの遺跡が多い地
域だが、その石が妙に柔らかく見えるのが印象的。風景になまめかしさが
感じられる。舐めるように風景を見ているであろう、撮影者の存在を透視
できるような気がした。
 新しくできた御茶ノ水「バウハウス」で清家富夫展。こちらはパリの風
物を撮った作品。基本的に人物を余りいれず、川辺や階段やテントの裾(
?)などを丁寧に注視して撮影している。落ち着いた静かさが良い。孤独
を楽しむ心の余裕が感じられた。
 外苑前の「ときの忘れもの」でイリナ・イオネスコ展。有名なエヴァの
シリーズの他、ストリッパーの小出広美を撮った写真もあった。エヴァの
写真は、幼女をモチーフに自画像を作ろうとしているかのような、危険で
際どい感じが刺激的だった。小出広美を撮った作品には、女性の人生の厚
みのようなものが感じ取れた。他に、インド(?)を訪れた際のストレー
トな人物写真もあり、こちらは何か宗教画のような重厚さがあった。作品
数は多くはないが、イオネスコのいろいろな面がうまく紹介されたいい展
示だな、と思った。

 ぼくは写真は撮らないけれど、写真を見るのはとても好きだ。現実の風
景と撮影者が衝突する、いわば「事件」性がある芸術だからだろうか。

 今日、テレビを見ていたら女子フィギュアスケートの選手権の様子の放
映があり、思わず引き込まれてしまった。優勝した安藤美姫選手の演技が
すばらしかった。競技というよりバレエを見ている感じに近い。おおぶり
でダイナミックな動きと小さく繊細な動きがうまく連動している。この人、
人気先行と言われ続けていたけれど、今年にかけてものすごく成長したの
ではないだろうか。スポーツ界の人だけでなく、アート系の演出家がこう
したすばらしい競技者に何か作品を提供することはできないのかなあ。ア
マで活躍している人は競技会で成績を残さなくてはいけないから無理なの
かもしれないが。

 読みさして長い間中断していた中沢新一『フィロソフィア・ヤポニカ』
をようやく読了。これ、面白い本ですね。「個・類・種」の区分の関係の
説明は、目からウロコが落ちるほど。新作の『芸術人類学』も面白かった
し、中沢新一の未読の本をざっと調べて少しずつ読破してみようと思う。


10月15日(日)  友人の守屋淳さんとルツェルン祝祭チェンバー・フェストを聞きにいく (サントリーホール)。世界の名手が集まった室内楽の催しで、曲目はス トラヴィンスキー「兵士の物語」とメンデルスゾーン「弦楽八重奏曲変ホ 長調」。どちらも生ではなかなか聞けない曲で、すばらしい演奏に大満足。 「兵士の物語」はパーカッションとコントラバスのノリが良く、ジャズを 聞いているような気がした。メンデルスゾーンは、朗々とした節回しが感 動的だった。総じて、アンサンブルは緊密、ソロはのびのびとして個性的。 室内楽はこうでなければ、という見本のような演奏でしたね。帰りにクラ シック愛好仲間の小島さんと合流。タリーズに入って現代音楽の動向の話 などする。  友人が再就職したベルギーチョコレートの専門店・ノイハウス銀座店に 足を運ぶ。広くはないけれど、シックな空間で落ち着ける。ビターのショ コラを頼んで店で飲んだら、おいしいのにびっくりしました。コクのある 味、としか形容できない、どっしりしたチョコレートの味が舌の上で広が っていく。客足も上々とのことなので、今後も機会があれば足を向けよう と思います。一粒最低250円くらいしますが、食べてみると決して高いと は思わないですよ。本物のチョコはすごい!  来週日曜は六本木ボデギータでサルサのライブ。お暇は方は是非聞きに きてください。
10月9日(月)  秋らしくなってきましたね。半袖だとちょっと肌寒い感じになってきまし た。日差しの暖かさが嬉しくなる季節ってちょっといいですね。散歩日和と いう感じです。これが一月もたってしまうと、今度は寒くなってしまうんで すよね。とにかく今は、この短い季節を楽しみたいところです。  世田谷美術館で「ルソーの見た夢、ルソーに見る夢」展を見る。これはな かなかユニークな企画で、アンリ・ルソーの同時代の「素朴派」の画家、及 びルソーに影響を与えられた画家の作品を展示するというもの。特に戦前の 日本人画家の作品が興味深く、ルソーの死後いくらもたっていないうちにル ソーの影響を露わにした作品を描いている人たちがいることにびっくりした。 対象を情熱的にうたいあげるのでなく、対象を全て「遠景」として、感性の 秩序におさめていく方法は、俳句などの在り方に似ているのかもしれない。 ルソーに傾倒した岡鹿之助の作品群も面白かったが、ルソーを好んでいた戦 前の写真家たちの作品はすごく刺激的で、渡邊淳、山本政彦、高山正隆らの 作品は今見ても驚くほど斬新だ。写真という芸術が写実でなく、「感じ方」 の芸術なのだということを能弁に語っている。特に、岩佐保雄の「白い橋」 という写真作品は不思議な時空を拓いていて興味深かった。  もちろんルソー自身の作品も展示されている。初期の、なんということも ないような風景画の、あの独特の浮遊感に魅了される。写生しながらこの世 のものではない何かを見ている気迫がある。有元利夫が、ルソーを「日曜画 家的なところは少しもなく、プリミティブという意味ではルネサンス以前の 画家の仕事に近い」ということを書いていたが、よくわかる気がする。近代 以前の、アニミスティックな宗教性がキラキラと感じられる。これは作曲家 のサティの作風にも近いのかな、と思った。  収蔵品展の「イギリス的なるもの」も、数は少なかったが面白い作品ばか りだったし、もう一回くらい足を運ぼうと思いました。  帰りに砧公園を散歩して、ちょっとトランペットの練習をし、カフェ ピ ロエットによって、ダージリンを飲みながら、薦田愛さんの詩集『流離縁起』 (ふらんす堂)と野木京子さんの詩集『ヒムル、割れた野原』(思潮社)を 読む。  薦田さんはしばらく詩を書いていなくて(最近、詩作を再開)『流離縁起』 はだいぶ前に書かれた作品を集成したもの。既に目を通したことのある詩も 多かったが、新鮮な気分で読むことができた。昔読んだ時は、前衛的な作風 だなあと思っていたが、今読むと何だかかわいらしさが際立つ感じがした。 不可思議な語法や物語やキャラクターが勢ぞろいしている作品集なのだが、 決して野放図な印象は与えず、感性の小箱にきちんと収められている感じが するのが良かった。想像力欲とでも名づけておきたい感性の欲求に対して忠 実に書かれている。もっと読者にわかりよく提示する工夫も必要かな、と感 じられるところもあるのだが、文字によるアニメーションのような効果をあ げているのがユニークで楽しめた。  野木さんの詩集は、お兄さんやご友人を亡くしたことの喪失感をベースに、 万物の生死の問題を考え直すというものである。亡くなった親しい人たちが、 粒子レベルの微細な存在に昇華されて、生者に語りかけてくる。それを非常 に真剣な態度で聴き取ろうとする。自己流で巫女のような存在になりきろう とする、何か危ないなという際どい印象を持たせるような気迫が満ちていて、 読ませる詩集だと思った。おおぶりな表現を抑えて、逆にイメージや空間を 明示すべきところはもっと明示すると、言いたいことが読者にすっきり伝わ ってくるのはないかとも感じた。メルヘンタッチの詩が幾つか含まれている のだが、現代詩風の作品よりも心にすっと入ってくる感じだった。ぼくも夏 に叔母を亡くしているので、「会えなくなる」ことの怖さが共感でき、身に つまされる思いをすることのできた詩集だった。