2006.3

2006年3月

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3月21日(火)
 ワールド・ベースボール・クラシックスで日本が優勝。キューバとの決勝戦
では中盤に追い上げられヒヤヒヤしながら見ていましたが、終盤にうまく攻撃
がつながって突き放すことができました。それにしても今回思ったのは、野球
というのは守備だな、ということ。普段プロ野球をぼんやり見ている時は、何
か投手対打者の一騎打ちみたいな感じがするけれど、本当はそんなことは全く
なく、守備陣が柔軟でダイナミックな動きを常に取っているからゲームが面白
くなるんですね。緊張のせいかエラーもあったけれど、信じられないようなス
ーパープレイがたくさんあった。それは興奮の瞬間の連発だった。テレビ放映
の際には守備をもっと映して欲しいもんです。

 多摩川美術大学上野毛校に、教授をつとめていた鈴木志郎康さんの退職を惜
しむ映像作品特集「表に現す」を見に行く。今日のプログラムは「風の積分」。
自宅から雲の動きを1年間に渡って取り続けた、上映時間8時間にも及び作品
だ。予想不能な形に生成され運動する雲を長い間見ていると、何か癒されたよ
うな気分になってくる。人間の都合とは関係のない、天上の世界の独自な秩序
に触れて、日常生活が相対化されるような気分になってくるのだ。この映画を
見るのは4度目なのだが、そのたびにたくさんの発見をする。恐らく、100
回見たとしても発見があるだろう。
 志郎康さんがお元気そうで大勢の同僚や生徒さんたちから慕われているのが
わかり嬉しくもあった。退職された後も、上野毛で芽生えた表現の場との関係
を保って育てていっていただきたいものだなあ、と感じた。

 土曜日に新国立劇場にヴェルディのオペラ「運命の力」を聞きに行って(井
上道義指揮。なかなかの快演。ストーリーのメチャクチャさも含めて楽しめた)、
その帰り、友人二人と一杯飲んだ。ぼくは相変わらず手首から腕にかけての調
子が悪く、貼り薬に頼りっぱなしの毎日。何かいい調整法を取らない限りつら
い日が続くな、と思っていたら、野口整体の本を読むといいと忠告してくれた
人がいた。へえ。早速試してみるか。


3月12日(日)  横浜美術館で長谷川潔の版画展を見る。昔から大好きな版画家だが、まとめ て見るのは今回が初めて。胸をワクワクさせて足を運んだが期待は裏切られな かった。人のいない世界を一心不乱に描く、という態度が、ぼくのような孤独 癖のある人間にはたまらない。  深々とした闇の中で、小鳥やぬいぐるみたちが日常と全く違った時を刻む。 しーんと静まりかえった画面のどこかに、「時」が小動物のように息を潜めて いるような予感がしてしまうのだ。画面に集められたものたちには、まとまり というものを拒絶した表情が貼り付けられていて、何か一発触発といった緊迫 感が走る。こういうおよそ甘さのない、人に管理されることのないメルヘン空 間を、詩の言葉で現出させてみたいものだと思った。  もうかなり暖かくて、帰りに山下公園を歩いたりしたのだけれど、気持ちよ かったですね。あの辺りを歩くのは本当に久しぶり。海も久しぶりで見たので 新鮮な気分でしたね。みなとみらいの辺りはさすがに観光客用という感じがす るけれど、山下公園周辺はまだ懐かしい横浜が残っている感じでした。  六本木のROXYでサルサのライブ。初めて演奏する店で、客足を心配した けれど、50名ちょいくらいの方が聞きに来てくださって一安心。2ステージ でガンガンやりました。シャンデリアのある小部屋のような円形のステージで 演奏。まあ、ステージのないお客様用のスペースを無理やりステージにしたと いう感じでしたが、マイクなしの割りにはまあまあのバランスでした。  腕の故障で医者に行ってきましたが、どうも筋肉疲労のひどい奴のようです。 パソコン仕事をしている人、気をつけて下さい。肩に疲れがたまってきた時は 肩をすくめる動作をせよと教えられました。なるほど、確かに少しラクになり ますね。貼り薬をもらいましたが、無理をしないことと適度な運動をすること が何よりのクスリのようです。どちらも難しいですけどね。
3月05日(日)  急に暖かくなりましたね。1年のうちでぼくは気候としては3月が一番好き だ。暖かくなりかけているけどまだちょっと肌寒い。その危うさが最高って感 じ。4月になっちゃうともうだめなんですね。春爛漫になる前の、短い幼生の 春が好きだ、ということです。  大好きな3月なのだが、このところパソコン仕事のやりすぎで、両腕に鈍痛 が走るようになってしまい、少し憂鬱な気分だ。腱鞘炎になるんじゃないかと ちょっと心配である。湿布を貼っているけれど、医者に診てもらったほうがい いのかもしれないな。  目黒の庭園美術館に行って、宇治山哲平展を見てきた。大分県生まれの抽象 画家だが、古代オリエントの美術に傾倒していて、抽象というより文様といっ た方がよいような、きりりとした素朴さがある。○とか△が画面上に楽しそう に泳いでいる感じで、一見すると、カンディンスキーの作品に似ていなくもな いのだが、カンディンスキーのような気分の暴発というものがない。もっと落 ち着いた、平常心の表現だ。若い頃に描いた、民画風の木版画も情趣に溢れて いて良かった。描きたいものを、一歩下がって「遠景」としてきちっとフォル ムに収めて描く、という態度は生涯一貫しているようだ。絵画より書に近いの かもしれない。  今までよく知らなかった作家の仕事をじっくり鑑賞するのは楽しいものだ。