2006.5

2006年5月

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5月28日(日)
 新宿ゴールデン街のバー「FLLAPER」でラテンの小ライブ。所属する
サルサバンド、ロス・ボラーチョスの有志のメンバーが集まって行ったものだ。
本格的なライブではなく、お客さんへのサービスみたいなゆるゆるの企画。ぼ
くは第二部(23時)から参加したが、小さいバーがごった返したような混雑ぶ
りでびっくり。ゴールデン街の人たちの結束ってほんとに固いですよね。そし
てイベント好き。リハーサルもなしだったし、完成度の高い演奏とは口が裂け
ても言えない(!)けれど、みんなおおいに楽しんでくれたみたいだしよしと
しますか。ピアノ弾きの岩渕君がピアニカで熱演している姿が何だか面白い。
ぼくはカウンターの中に入ってトランペットを吹いたけれど、軽く吹いてすま
せるつもりが、これも結構ビュービュー吹き鳴らしてしまいましたね。今度や
るときは、ちゃんと小編成用の曲をきちんと練習してから臨みたいものです。

 ライブ後、バーの二階でメンバーたちと焼酎とバーボンをしこたま飲みその
まま寝込んでしまいました。朝7時に目を覚ますと何だか頭が痛い。久々の二
日酔い。学生みたいなノリでした。気持ち悪さを抱えたまま、原朋直先生のト
ランペット教室に通い、帰ってからはひたすら寝ました。ようやく気分がすっ
きりしたと思ったらもう夕方。まあ、こんな日もあるでしょう。

 中沢新一の新刊『芸術人類学』を読む。ここ数年のテーマである「対称性の
思考」を芸術を論じることで追求したものだが、すごく面白かった。予備知識
がないので隅々まで理解したとは言えないのだが、矛盾しあう、或いは対立し
あう概念を飲み込んでいく人間の心の「原理」について、様々な例をあげなが
ら詳述していく語り口がスリリングだった。特に「丸石」を巡る考察が面白い。
表現の原理的な問題について考える上で、欠かせない一冊になるのではないだ
ろうか。


5月20日(土)  ポーランドのピアニスト、クリスチャン・ツィメルマンのリサイタルを聞く (サントリーホール)。会場は満員だったが、来た全ての人が大満足したこと だろう。  曲目は、モーツァルトの「ソナタ10番」、ベートーヴェンの「悲愴」、シ ョパンの「バラード4番」、ラヴェルの「高雅で感傷的なワルツ」、ポーラン ドの作曲家バツェヴィッチの「ソナタ2番」。  最初のモーツァルトはとにかく絶品。コントロールの行き届いた繊細なタッ チで、シンプルなメロディーラインを歌って歌って歌いつくす。特に弱音の高 音がすばらしくきれいだった。ともすると単調になってしまいがちな曲なのだ が、まのびしたところが全くない、緊張の漲った音楽になっていた。端正さの 裏に、強靭なビート感があるんですね。  ベートーヴェンはルバートを多用して、ユニークな解釈の演奏。和音はわざ とクリアに鳴らさず、破裂音のような響きを作っていた。オーケストラの管楽 器セクションのような響きを出そうとしていたのではないかと思う。これはラ ヴェルでも同様で、ピアノ独奏とは思えないようなダイナミックで重層的なサ ウンドが印象的だった。  ショパンは一層ルバートに心を砕いたデリケートな演奏。最後のバツェヴィ ッチは、ちょっとショスタコーヴィッチのような感じの難曲だが、疾走感に貫 かれた快演。こういう知られざる佳品を紹介してくれる意欲も嬉しい。  アンコールはガーシュインの「3つのプレリュード」で、これもすばらしく 良い曲。ジャズの語法と印象派を混ぜたような音楽で、リズムが生き生きとし た鮮烈な演奏だった。  全体的に、弱音で繊細に歌う面と、独特のビート感覚を基にオーケストラの ような響きの多様性を狙う面の両面がともに際立っていた。クラシックの演奏 もすごく進化している。若い演奏家も刺激を受けて、自分なりの解釈の面白さ をきちんと聞かせて欲しいものですね。  帰りは集英社の田沢さん・著述家の守屋さんと中華料理を食べた。書店業界 も勝ち組・負け組がはっきりしてきたみたい。どこも大変なんだなあ。
5月14日(日)  早くも梅雨がきたみたいですね。降ったり止んだりじめじめしたお天気が続 いて傘が手放せない。こういう天気が続くと心もプチうつ状態になって、朝目 が覚めてから行動を起こすのがイヤになってくる。目覚めてから起き上がるま で、寝床の中でごろごろする時間が長くなってくるということです。こういう 非生産的な心理状態は、ぼくの作品の基底にあるもので、ほとんど詩作の原動 力ですね。寝床の中で、「まだ着替えたくないなあ」とか「仕事に行きたくな いなあ」とか呟いているうちに詩のアイディアが浮かんでくることが多いです。  連休中はイメージフォーラムフェスティバルに通って幾つかのプログラムを 見たのだが、これといった作品には余り出会えなかった。木々の影と映画の関 係を考えた萩原朔美の「風は木を忘れる」は面白かったけれど、毎回期待して いる新人作家のドキュメンタリー作品にイキのいいものが少ないように思われ た。マゾヒズムについて考察した、大賞受賞作の小口容子「ワタシの王子」も、 考えの深まりに乏しく、ややテーマ倒れの印象を受けてしまった。これは応募 してきた作家のせいというよりは、審査員たちのせいではないかとふと思った。 若い人たちの生活の状況について、余り関心のない人たちが審査をしているの ではないかな、と感じたわけである。  ああ、でもやぱり作家のせいもあるかな。今日、最終選考に残った作品を上 映する「ヤング・パースペクティブ」のCプログラムを見たのだが、作品の良 し悪し以前に、客が全然いないのである。ぼくを含めて4人で、そのうち一人 は途中退席してしまった。作家たちは、自分の作品の上映くらい知り合いをつ れて立ち会うということをしないのだろうか。そして上映が終ったら互いの作 品について感想を述べ合うということをしないのだろうか。客が多ければよい ものではないが、当事者くらいは上映に関心を持ってほしいものだ。この当事 者同士の連携というのが、非商業芸術の場合最も求められているものであると 感じられるのだが、せっかくイメージフォーラムという場所がありながらそれ を活用しないのはどういうことだ?   Cプログラムでは、過去に撮った映像を組み込んだ作品が幾つかあり、佐竹 真紀の「インターバル」がやや面白かった。近所の様子を10年ちょっと前く らいと比較する。微妙に同じで微妙に違う。その微妙な変化の間に、自分と家 族の成長がある。「だから何ということもないが」といわんばかりの「微温性」 が意識的に構築されているように思った。  連休中には、東京芸大美術館に、表現主義の彫刻家エルンスト・バルラハの 展覧会にも足を運んだ。ロダンに影響された彫刻家らしいが、ロダンらしいと ころが全くない。ロダンの作品が持つ崇高さが意識的に排除されていて、人間 の卑しさというものが繊細に形象化されている。吝嗇とか退屈といった、作品 になりにくい感情がきちんとテーマに掲げられ、それが無理なくすっと見る者 の胸に入ってくる。いい展覧会を見たなあと思った。  連休最後の日は六本木Roxyでサルサの演奏。まずまずの入りで、楽しく 演奏できたが、細かいところの表情をもうちょっと合わせたかった。これはう ちのホーン・セクションの課題だな。吹き鳴らすだけが能ではない、というこ と。次は6月25日(日)六本木ボデギータでライブです。
5月3日(水)  1,2日は出勤だったのでぼくのGWの始まりは今日から。疲れていたので1 1時まで寝坊して、午後はイメージフォーラムフェスティバルの上映を見に新 宿のパークタワーホールへ足を運ぶ。2つのプログラムを見た。  Cプログラム「日本3」では、奥山順市『W8は16ミリ』と鈴木志郎康『 極私的なる多摩王の感傷』が印象に残った。奥山さんのは、古い8ミリのフィ ルムを見たいと思うが、8ミリ用の映写機が壊れていて使えない。それでは、 2本を並べて16ミリにしちゃえばいいじゃん!というぶっとんだ発想の作品。 昭和ののどかな光景を収めた2組の映像がユーモアたっぷりの仕掛けを施され て(上下逆にしたり、など)観客に提供される。奥山さんのフィルムに対する 拘りとサービス精神には、いつもながら驚かされる。  志郎康さんの作品は、今年3月で定年退職された多摩川美術大学での、16 年間の日々を追ったもの。教えた学生さんの一人一人の顔がよく見える。そし て「一人一人」と対峙することを大事にされていた志郎康さんの教師としての 顔も見えてくる。多摩美という場所が持つ固有性、それぞれの時季の固有性、 先生と生徒の固有性の絡み合いが、映画作品としての固有性を形成して、胸に 迫ってくるような感動を与える。、  Fプログラムのかわなかのぶひろ『つくられつつある映画』は80分を超え る長編。胃癌を患って入院したことをきっかけに、人生を振り返るという作品。 上京して牛乳配達をしながら映画制作の勉強をする辺りから始まり、真ん中あ たりで、「もう一つの“学校”」である新宿ゴールデン街を映す。このパート が圧巻だった。ゴールデン街の細い路地を、3面の映像でそろりそろりと辿り、 行きつけのバーを一つ一つ訪ねていく。「新宿ゴールデン街とは何?」とイン タビューされて、ジェスチャーつきで雄弁に語ったり、口ごもって目を白黒さ せたりする、マスター&ママたち。ゴールデン街で生きてきた人たちの人生が 輝いているように感じられた。時間にすれば結構な長さだったが、少しも長さ を感じなくてもっともっといろいろな人の味のある表情を見ていたかった。  詩人の薦田愛さんも来場されていて、お茶を飲んだ。昔一緒に同人誌をやっ ていたが、ずっと会っていなくてほとんど5年ぶりくらいの再会だった。相変 わらずお綺麗で、その異様なほど(!)の若々しさにちょっとびっくり。勤務 先の雑誌編集の仕事がメチャクチャ忙しく、しばらく詩を書いておられなかっ たそうだが、過去の作品を整理して詩集にまとめる、新作も書く、とのこと。 仲間が「詩人」に戻ってくるのは嬉しいことですね。早く作品が読みたいもの です。