2006年7月

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7月24日(月)
 雨がよく降りますね。というより、九州の方では豪雨が続いて亡くなっ
た方も出てしまいました。亡くなった方々のご冥福をお祈りします。しば
らくこの曇り空は晴れないかもしれません。

 友人の今井義行さんから、手作りの詩集をいただいた。『ライト・ヴァ
ース』というタイトルがつけられている。透明なケースの中に、近作の詩
がきれいに綴じられて収められている。限定50部で、今井さんは勤続2
0年記念の一時金として会社からもらったお金でこれを作ったのだという。
シンプルだが丁寧な造りで、表紙の緑の紙が美しい。
 作品は、作者の日常の暮らしや心境の変化を綴ったものだが、中身は重
い。作者は、自分が社会的な拠り所をだんだん失いつつあると自覚してい
て、そのつらい自覚を作品にしていると感じられる。とてもライト・ヴァ
ースとは言えない感じがするが、社会から浮遊するように生きる、その生
き方をあえて「ライト」と呼んだのかもしれない。
 ただ、この作品集は、社会から孤絶することに酔ったアンチ・ヒーロー
的な態度からは遠いところで成立している。作者は、詩を書いていること
をオープンにしており、<詩人である>という意識が社会との接点を生み
出すことに図太い自信も持っている。
 作者は精神的な危機に至っているようにも見える。が、実は逆に、共同
体の力が限りなく緩くなりつつある時代を生き抜くための処世術を強い自
信とともに明瞭に打ち出しているようにも見える。詩を媒介にして、近づ
いてきた人たちを強引に<家族>にしてしまおうという戦略。つまり、蜘
蛛が獲物を手繰り寄せるために張り巡らせる網の役割を、詩の言葉が果た
しているというわけだ。詩集はその時、芸術作品というより、作者が孤独
を生き延びるための「実用書」ということになるだろう。
 詩の言葉の社会機能性をはっきり出している点でとても興味深い詩集だ。
ただ、時々自分を悲劇の主人公のように描こうとするところがあり、それ
はむしろ今井さんが書こうとしている詩の本質に反するような気がする。
侘しく生きているようでありながら、その実結構しぶとくずるくやってい
るんだ、というところこそを出して欲しく思った。

 東京国立博物館に、「若冲と江戸絵画」展を見に行った。アメリカの美
術コレクター、ジョー・プライス氏のコレクションをセレクトしたものだ。
プライス氏は50年も前に、若冲を「再発見」し、彼の周辺の江戸期の絵
画に光を当てた人物だ。伊藤若冲はプライス氏の力がなければ今、こんな
に人気が出ていなかったかもしれないのだそうだ。
 生で見る若冲の作品は、大胆さと細密さが分かちがたく結びついたもの
で、鶏の絵などは触れると指をケガしてしまいそうな迫力がある。極端な
写実の正確さと極端な様式化が、超現実性を生み出している。こうした境
地は決して若冲一人が創り上げたものでないことが、今回の展覧会を見て
わかった。長沢芦雪や森狙仙といった同時代の画家たちが、琳派の技法を
先鋭化させ、琳派の「様式美」を目の前の複雑怪奇な「現実」と戦わせて
いた、ということ。
 江戸期の前衛画家たちの仕事ぶりに、何だか思わぬ刺激を受けてしまっ
た。ちょっと困ったな、という気持ちがするくらいである。今度図書館に
行って、あのあたりの時代の美術について調べてみよう。

 ヤフートピックスをぼんやり眺めていたら、ミスユニバースで日本人が
準ミスに選ばれたとのこと。そのこと自体に何の感慨も沸かなかったが、
この女性、民族衣装の審査で何と、女忍者の格好で現れたという。これに
はちょっとびっくり。着物の艶姿じゃないんですね。審査員も度肝を抜か
れたんじゃないかな。忍者姿って、コスプレですよ。民族衣装じゃないで
すよ。でも結果良ければ全て良しかな。来年の日本代表は、巫女さんの格
好をするといいと思う。


7月16日(日)  サルサ漬けの7月だが、今日のライブは強烈だった。いや、我々の演奏が ではなくて、ゲストが、です。  クロコダイルで行った2ステージのライブで、ゲストにダンサーのたま よさんを迎えました。たまよさんは、元ストリッパーで、現在はセクシー ダンスのショーと教授、歌手、女優として幅広く活躍されているエンター ティナー。ストリッパーと言うと色メガネで見られがちだが、たまよさん は本格的にダンスや演技の勉強を積んで、自覚的にその世界に入った人な のです。  とんかつの和幸で腹ごしらえをして、8時すぎに演奏スタート。まずま ずのノリで演奏していましたが、途中からたまよさんのダンスが入ると別 世界が開けてしまいました! とにかく体がよく動くし、柔らかい。リズ ム感もバツグンで、複雑なパッセージを演奏していても瞬時に曲調に合わ せてくる。一曲ごとに衣装も変えてくるし、その衣装を部分的に脱ぐ、つ まりセクシーなポーズを取る時でも踊りの線がきれいに保たれている。と いうことでステージを乗っ取られてしまったようでちょっぴりくやしかっ たです。  まあしかし、プロのダンサーの身体というのはすごいですね。細いけれ ど少しも痩せてはいなくてしっかり筋肉がついている。アスリートの身体 そのものなんですね。アマ中のアマである我々(!)は共演できて幸運だ ったと言うべきでしょう。  しばらく詩集について書いていなかったけれど、最近3冊の読み応えの ある詩集を手にしたので、簡単だが感想を記してみたい。  山村由紀『風を刈る人』(空とぶキリン社)は、生きていく上で避けら れない“喪失”の感情をうたいあげた詩集。その中心には、愛する人を喪 った大きな悲しみがあるが、それを小声で囁きかけるように、むしろ抑え るように綴っていく。軽いタッチの中に、真実に触れた重い感触があって 好感を持った。 小雨を吸い いくぶんかふくらんだ草原を 真夜中 その人はつーっと流れていく               −「草原」より のような印象的なフレーズは、体験が想い出になり、更に幻想性を帯びて おとぎ話のような物語に純化されていく過程をよく表現していると思う。 ただ、時々、言葉の使い方が余りに比喩に頼りすぎ、体験が言葉のテクニ カルな動きの影に隠れてしまうように感じられるところがあるのが少し残 念。「書き手」よりもっと「語り手」になって欲しいな、と思った。  平井弘之『小さな顎のオンナたち』(ミッドナイトプレス)は、コミカ ルな筆致で、中年男の生活感情を描いたもの。 わたしはもうだれなのか判らない わたしはわたしを掃いているのに気がついた               −「遠ざかる喪のための断片」より  ナンセンスな小話のような詩が多いのだが、読んだあとになぜか苦味を 感じる。ままならないことが多いままに過ぎていく生活を、笑いで突き放 しつつ、実は慈しんでいるのだ、と受け取れる。その繊細な逡巡ぶりに胸 を打たれる。きっとシャイな人柄なんだなあ。時々、話の展開が速すぎて、 起こっていることがよく見えなくなるところがあるのが少し不満なのだが、 それも「シャイ」のなせる技なのだろうなあ。  水嶋きょうこ『twins』(思潮社)は、非現実的な幻想をテーマにした 重みのある作品集。「水の種族」という言葉を思いつけば、それを出発点 にして、家系の中での女性の歴史を語ってしまう。「高等学校」を舞台に すると思いつけば、「イヴ」なる不思議な少女を創り上げて、その少女が まがまがしい妖女に変貌を遂げる様を書き尽くしてしまう。それも恐ろし いほどの濃密さで。  しかし、読み込んでいくと、その「幻想」の発端は全て彼女の生活史に あり、物語は彼女の生活に対する考えの比喩として展開されたものだとい うことがわかる。その意味では、幻想的ではあるが、超現実性を狙ったも のではない、と言うことができると思う。 風の音がする。黒い血管のように高速が空をよぎる。私は人の形をはずし 街中を歩いてゆく。鋭角に伸びるビル群。                −「パラサイト」より  息せき切るような言葉の動きに圧倒される。と同時に、言葉が向かう先 が常にトラウマに向けられているため、単調さも感じてしまう。比喩が展 開されている情景の比喩でなく、トラウマの比喩として提示されているた め、どの詩からもやや似通った印象を受けてしまう。対象をもっと突き放 して描くと、個別の情景が目が覚めるように浮かび上がってくるんじゃな いだろうか。
7月10日(日)  大学時代のジャズ研究会の先輩でテナーサックス奏者だった野口宗孝さん のお墓参りに行った。  ジャズ研の先輩後輩と大船で待ち合わせ、タクシーで横浜霊園へ。結構混 んでましたね。草をむしり、水をかけ、お花を供えて、墓前で手を合わせる。 そのあとみんなで野口さんが好きだったエビスビールを飲み、ピアニストの 岩渕君が持ってきたピアニカを吹いて楽しいひと時を過ごしました。周りに は余り人がいなかったけれど、いたらお墓の前で何を騒いでるんだろうと思 ったでしょうね。陽気で豪快な性格だった野口さんの供養にはぴったりだっ たんじゃないかと思いました。  木曜日には玉川キリスト教会に行って、女優のnorikoさんが主催する演劇 のクラスの朗読パフォーマンスを見る。今回は「祈り」のテーマのもとに女 性ばかり6人による朗読が行われた。谷川俊太郎の「朝のリレー」、「茨木 のり子の「私が一番きれいだったとき」などが朗読された。イヴエンスラー 「ふるさとのヴァギナの歌」が特に印象に残った。 ボスニアの紛争の中で のレイプの事件を題材にした詩だが、苦しみを生々しく描くのでなく、民謡 調でむしろ爽やかにうたいあげている。虐げられても女性としての尊厳や感 性の豊かさを失わない健気さが感動的で、朗読も抑えた調子と昂ぶる調子が 繊細に交代していて見事だった。主催者のnorikoさんは今井義行「めぐみさ んへ」を朗読したが、最近、北朝鮮関連の不穏な事件が続いているだけに、 並々ならぬ緊張感が漲った。実際に「めぐみさん」が目の前に現れて語りか けてくるような、誇張を排した自然なパフォーマンスがすばらしかった。作 者の今井さんは、朗読会終了後も、会場に来た人たちから話しかけられたり されていたから、やはり誰もが心にひっかかるものを感じたのだろう。  それにしても、こういう小さな会場で、演技者と観客が一人一人向き合う ような形で行われる演劇というのは魅力がありますね。  金曜日は、書肆山田の鈴木一民さんから新刊のモンテロッソ『黒い羊 他』 の販売について相談を受け、池袋の喫茶店で会うことに。ガルシア・マルケ スも絶賛したという本作は、短編集というより大人のためのおとぎ話集とい う感じの作品集で、ブラックユーモアが効いていて、読ませる。一民さんに は作品の持ち味がわかるようなコピーを添えて販売すれば売れるんじゃない ですか、と言った。その後、うどん屋で一杯やりながら詩の話をいろいろ。 ぼくが話したのは、現代詩というものは店頭での売り物にはならなくなって きているだろうがそれは実は詩というものの本来の姿であろうから少しも悪 いことではない、自費出版の詩集は今後ますます「質」だけが勝負の文学に なっていくと思うので頑張ってください、ということ。それと、現代詩にお ける主体の形成は、実は、二大取次を中心とした流通システムに結構依存し ているのではないか、ということ。つまり全国津々浦々に頒布されていく、 という仕組みが、「全国」をめざす詩人の意識を生んだのではないか、とい うことです。ローカルな話題や方言の使用を暗黙のうちに排除し、その代わ り詩人の自意識を聖化していく書法の確立に、日本の出版流通システムは一 役買っているように思うわけです。 (うどん屋さんのメニューにあった「ほんもののトマト」は本当に甘くて濃 厚な味がしておいしかったですよ)。  東京国際ブックフェアを覗いてきましたが、かなり混雑していました。ブ ースも増えましたね。本に関心のある人はこんなにいっぱいいるのだから、 書店の店頭ももっと賑わっていていいのに、と思うのだけれどそうはいかな い。イベント性がないとお客さんっていうのは集まらないんですよね。
7月2日(日)  今年はやたらとサルサのライブの仕事がある。先月の18日に六本木のボ デギータに出演したばかりだが、今日は新宿のLEONで演奏し、16日は 原宿のクロコダイル、そして29日は江ノ島のレストランでジャズを演奏す る。アマチュアとは言え、お客さんの前でやるわけだから気を引き締めなけ ればいけませんね。  新宿LEONは新しくできた店で、今日はオープニング・パーティの2日 目。なかなかいい感じの店で、響きもよく、カクテルの種類も多い。今日は 店長がラテン音楽関係者に声をかけまくったのか、非常な入りで100名以 上の入場者があり、ギャラもたっぷりもらえた。店は決して狭くはないのだ が、今日みたいな入りになるとさすがに混雑しすぎって感じですかね。  それにしても、ラテンのダンスをやる人は増えた。ぼくらがサルサをやり 始めた時は、まずサルサという言葉自体が浸透していなかったし、踊る人も 少なかった。今ではダンス教室があちこちにできていて、面白いのは男性で ダンスを習う人が急増している点だ。2、3年前と比べても確実に増えてい るし、中年になってから始める人も結構いるようだ。  それで、たまにはナマ演奏をバックに踊りたい、という欲望が芽生えてき て、ぼくたちの出番も増えると、こういうことですな。  最近、新曲を増やしたので練習もまじめにやらねば。  1日の土曜日は、友人の岩渕淳一(P)藤田誠(DS)たちのライブを田 園調布のLittle Giantで。スリリングなモダンジャズの演奏を楽しむ。ここ は、音楽好きでミュージシャンでもある歯医者さんが自前で作ってしまった ライブハウス(!)。凝る、ってすごいことだなあ。天井も高いし、グラン ドピアノはあるし、バーカウンターも立派だ。こうやって気軽にライブが楽 しめる店が増えていくといいなあ。音楽はやっぱりナマが最高なんですから。