2006年9月

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9月18日(月)
 音楽方面の活動が結構忙しい。先週は青梅でバーベキューつきのジャムセ
ッションの野外イベントがあり、トランペットを持って出かけ、焼肉と自然
を満喫してきた。バイブラフォンのうまい人がいて、他の音を包み込むよう
な響きの美しさに打たれました。
 今日は六本木コパカバーナでサルサのライブ。初めて出る店だったが、お
客さんもノッていて楽しく演奏できました。プエルトリカンの若い男性が彼
女連れで聞きにきてくれたが、メンバーと一緒にダンスをしたりコーラスに
加わったりと大はしゃぎでしたね。お客さんの反応のいい店では演奏も自然
と熱が入る。またやりたいなあと思いました。試運転を始めたジャズのコン
ボのバンドも早く軌道に乗せなくては。

 贈っていただいた佐藤恵さんの詩集『きおくだま』(七月堂)を読了。ず
っしりと重みの感じられる詩集だった。子供の頃から現在までの、著者の人
生の歩みがテーマとなっており、特に幼い頃の記憶を辿ったものに生々しい
感触があって打たれた。感じてはいたものの、幼すぎて語ることのできなか
った、人生から受け取る様々な印象を、今ようやく言葉にすることに関する
執念が感じられた。後半、やや人生を理性的な言葉でまとめあげようとする
ベクトルが働き、それには抵抗を覚えたけれど、中盤までの作品に関しては、
過去ではあっても「その場」だけが持つ臨場感がうまく表現されていて、思
わず作品の中のもう一つの現実に引きずりこまれてしまうような迫力があっ
た。是非読んでみてください。

 初台のオペラシティ・ギャラリーで照明アーティスト、インゴ・マウラー
の展覧会を見る。照明をテーマにした企画展なんて滅多にやらないので好奇
心だけで足を運んだのだが、期待以上だった。一言で言えば「おしゃべりな
光たち」という感じで、芸術的なインテリアデザインというよりは、光たち
と遊ぶ生活を提案する、というようなものだった。和紙を電球の周りにくる
くる巻いたり、鳥の足の模型を照明器具の一部に使ったり、池の中にガラス
と金魚を泳がせ、光で照らして陰影を楽しむなど、わくわくするようなアイ
ディアがいっぱいの作品群だった。洒落っ気のあるレストランなどに置いた
ら映えるんじゃないかと思った。デザイン学校の学生さんらしき若い人もい
っぱい来ていて、作品をスケッチしている姿もちらほら。遊び心を盗んで欲
しいものです。

 就職が決まったNさんと会って食事。10月にオープンする店の準備に忙
しく、月に3日くらいしか休めなくなりそうだとのこと。もうこうなったら
仕事を遊びだと思って楽しんじゃうしかないでしょう。歩くのがとにかく好
きというので、それじゃ砧公園を散歩しようと提案し、一周しました。ぼく
も元々散歩は大好きなのだが、砧公園は思ったよりも広くてちょっと疲れま
したね。でも、目の前の景色が移り変わっていく楽しさはやはり格別。散歩
という行為にちょっと目覚めた感じです。Nさんは終電逃しても2時間程度
なら平気で歩く、みたいな話をしていたけど、ぼくもそうなりそうでちょっ
と怖いです。

9月2日(日)  毎年恒例の甲府サルサ・フェスティバルに出演。バスを借り切って、メン バーとウチのバンドのお客さん総勢53名で朝8時に新宿を出発した。この 日は一種のお客様感謝デーで、甲府ー東京を往復して、お酒と食事を楽しん で、しめて3000円ですよ。ウチのバンドは、こうしてライブで稼いだお 金をあらかたお客さんに還元してしまうんですね。アマチュアバンドならで はの贅沢、といったところでしょうか。それにしても50名を越えると、さ すがの大型バスも補助席までいっぱいになっちゃうんですね。  甲府はものすごい暑さだった。水を大量に買っておいたのは正解でしたね。 ケータリングで頼んでおいたパーティー料理とバーベーキューを食べ、モヒ ートを飲んで満足。元メンバーで、今は名古屋のバンドで活躍しているトラ ンペッターの木内君の子供の頭をなでたり、犬と遊んだり、他の出演バンド の演奏を聞いたりしているうちに出番がまわってきた。演奏を始めると、ん ? 何かおかしい。ナント、いつもはノリノリの演奏をするベースの塚本さ んが酔っ払いすぎて、コードを間違えまくっていたのだった! 思い出に残 る迷演奏になってしまいましたが、お客さんたちは楽しんでくれたようだし まあよしとしますか。でも、本番前に酔いを醒ましておくことを、今後肝に 銘じておかなければ。午後7時半にステージが終了して、バスに乗り込んで、 新宿に着いたのは11時でした。  一年に一回の甲府サルサ、この日が来ると、また一年が巡ってきたな、と いう感じがして、なにやら物悲しい気分にもなりますね。  土曜には、元仕事仲間である前川知大さんが台本・演出を担当した、劇団 「イキウメ」の公演「プレイヤー」を見に行った。瞑想修行により前世以前 の集合無意識的な世界を体験させてくれるという、カルト集団に関わりあっ てしまった人たちの物語を描いている。個性を超越した世界に行きたいと願 う余り、自殺を遂げてしまった女性マコト。しかし、彼女の恋人・友人・家 族は、カルト集団と関わりあううちに、彼女の記憶を頼りに彼女の人格を再 構築し、何と死者である彼女との「会話」まで成立させてしまう。そして彼 らの中から「あちら側の世界」に行く願望を持つ者が現れ、やがて命を絶っ ていく・・・。  以前見た公演の時には、均質な速度の早口で喋りまくるスタイルが気にい らなかったのだが、今回の公演ではそうした小劇場臭さが影を潜め、抑揚と 間の取り方に気を配った、繊細なセリフ劇に仕上がっていた。台本も、とて もよく練られていて、商業演劇としても十分通用するようなエンターティメ ント性と緊迫感があった。劇場はサンモール・スタジオで、大きくはないが 超満員で、ぼくは立ち見でやっと見ることができた。このままファンがつい て、大きな劇場でも上演できるようになるといいな、と思った。  バーチャルな人格も、「生」の一つだという認識は、前川さん独特のもの で、彼がこのテーマを今後どこまで掘り下げられるかとても興味があるが、 疑問も沸いた。マコトは、個性を超越した世界に憧れていたはずなのに、や たらとこちらの世界に出現して、この世の人間と他愛のないお喋りまで楽し んでいく。ということは、実はマコトは「個性を越えた世界」を志向してい たはずが実はそうではなく、個性を保持したまま時空を超えてどこにでも出 現できるということに興味を抱いていたのではないか、ということだ。イン ターネットが「個性を越えた世界」の比喩として引き合いに出されていたが、 ネットの世界というのは実は、ちまちました現実にいろいろな仕方でアプロ ーチするという点に特徴がある。個性を捨て去って開放感を得るというよう な高級な趣味を開陳する場ではなく、その逆で、個性にしがみつくためのツ ールとして使っている人がほとんどではないだろうか。皆が人格を再現した マコトは、生前のマコトと寸ぷん違わぬ非・神秘的な存在で、日常にまみれ ている。後半、死によっても「彼岸」に辿り着くことのできない人間の滑稽 さを描く方向に行ったほうが、より<今>の時代の空気を鮮烈に表現できた のではないかと思った。