2007年10月

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10月28日(日)
 新宿2丁目のバー「非常口」にてライブ。
 「新宿ゴールデン街番外編 秋の収穫祭 with HALLOWEEN」というち
ょっとふざけた名前の催しで、つまりはイベント好きなゴールデン街の
方々の遊び企画である。うちのバンドはいつも通りサルサを演奏したが、
他には来嶋けんじ(昭和歌謡)、沢田王子(ジュリーショウ)、サカイ
レイコ(シャンソン)、田淵純(ムード歌謡)、ポール舞(ポールダン
ス)、浜ユースケ(歌謡ブルース)が出演。特にサカイレイコさんのシ
ャンソンがすごくて、こぶしをきかせたハスキーボイスに圧倒されてし
まった。それにしてもゴールデン街の人は場を盛り上げるのがうまいで
すね。盛り上げたあと上手に盛り下げて、落ち着いて飲む時間を確保す
るのが大人の技という感じだ。遊び慣れている雰囲気が漂うのが粋です。
一週間後に実は同じ場所でライブをやるので、それも楽しみです。

 実はその直前に、原朋直先生のトランペット教室の発表会に出ました。
ぼくは「Invitation」を吹きましたがバックの優秀な若手ミュージシャ
ンに助けられたという感じですね。最後に原先生が数曲演奏しましたが
それがすごいのなんの!恐らく素人の生徒のお手本になるように、ハイ
トーンや速いフレーズをなるべく省いた、中音域中心のゆったりした吹
奏でしたが、音に情感がこもっていてずっと聞いていたい感じでした。
二分音符の吹き方は特に参考になりましたね。無理をしなくてもいい演
奏はできるということで、明日からの糧にしたいと思いました。

 セッションでお世話になっているピアノの千葉香織さんがライブに出
るというので、日本橋のJazzyに足を運ぶ。サックスとパーカッション
入りのクインテットで、ザヴィヌルなどのフュージョンを演奏していた。
千葉さんの他のメンバーは会社員というバンドで、危なっかしいところ
がないでもなかったがまずまず楽しめたかな。雰囲気のいいバーで、お
酒が結構充実していてしかもノーチャージなので、ふらっと飲みに来る
のもいいかもしれない。

 27日は女優の登坂倫子さんの演劇のクラスを見学。身体を徹底的に
リラックスさせるところから始まり、物語の空間や台詞の行間をじっく
り想像させる戯曲解釈で終る。身体性や空間性が意味や感情を生み出し
ていくという考えが根底にあるようで、詩を書く上でも勉強になった。
生徒さんたちがとても熱心だったのも印象的。


10月21日(日)  この週末はのんびり過ごしました。  20日の夕方に「ときの忘れもの」で写真展をみたあと(イヨネスコ やケルテス、マン・レイらの名品集。こういう「名作」をじっくり見る 機会は意外と少ないかもしれない)、溝口でジャムセッション。大学ジ ャズ研の先輩であり、サルサバンドを一緒にやっているドラマーの西澤 さんと合流し、3時間ほど演奏しまくってきました。エルヴィンみたい な西澤さんのうねるドラムはやはりすごい。今の若い人たちはフュージ ョンからジャズに入っている人が多いので、こういう重いドラムと共演 することは勉強になったのではないかと思う。終ったあとぴーたんで打 ち上げ。  金曜日は七月堂で「モーアシビ 11」の発送作業。白鳥信也さん、 川上亜紀さん、北爪満喜さん、五十嵐倫子さんに辻。今回の号では北爪 さんの「気に掛かったこと」という詩が良かった。夢の中で、亡くなっ た父親が何度も起き上がろうとする、という内容。死んでいるのに元気 に何度も起き上がる、という辺りにリアリティがある。良くないことな のにそこにおかしさが入り込んでしまう。その辺りをもっとはっきり出 したら、内田百閧フ怪談のようなとぼけた味わいも出たのではないかと も思った。  それと、巻末の七月堂の内山昭一さんによる「昆虫食調査集計」がめ ちゃくちゃ面白い!内山さんは数少ない昆虫食の研究家として知られる 人だが、ネットで昆虫を食べることについてのアンケートを実施し、そ の結果をまとめたものがこれだ。こんなものはよそでは読めないので、 貴重な資料になるかもしれない。内山さんは一冊本を書いて欲しいです。  帰りに中華料理店でみんなでご飯を食べました。  最近いただいた詩誌から印象に残ったものの感想。  長田典子さんの「KO.KO.DAYS 2」に掲載された鈴木志郎康さんの 「記憶の書き出し 焼け跡っ子」がとても面白い。敗戦直後の、子供だ った時の記憶をまさぐる作品。子供だった「わたし」は、ガラスや鉛管 を拾い集めて売り、小遣いを得て、駄菓子を買ったり映画を見たりする。 子供にとっては焼け跡も遊び場であり、楽しいものなのだった。その、 生き生きと時間を過ごす子供の自分に、未来からカメラを向けるように、 詩の言葉で近づく「わたし」。近づくけれど、決して同化しない。「フ ァ、ファ、」と笑いに似た声を発して、「あと十年」の自分からの視線 も柔らかく意識している。「わたし」と「わたし」の距離の取り方が新 鮮だった。    「あすら 第9号」の野村尚志さんの「雷鳴」も時間の推移をテーマ にしている。母方の祖母を父方の祖母のところに連れていくという作品 で、「わたし」は自分にも訪れる老年というものに寂しさを感じるが、 祖母たちは笑いあって菓子の話などしている、という作品。老年に達し てしまった人にとって「老年」は当たり前のもので日常のものだが、ま だ達していない人にとっては恐れの対象となる。案外、作者もお菓子の 話か何かして愉快に暮らしているかもしれませんよ。ということで、作 者の「若さ」が滲み出た一編だと思った。  やまもとあつこさんからいただいた「虫虫(ちゅうちゅう)」はかわ いらしい手作りの小冊子。やまもとさんの「夜」は短いので全編引用し てみよう。   夜 細い虫の足になって ピアノの鍵盤を踏んでみる 面積が違いすぎる と思ってはみるのだが 力をこめて踏む そのことに集中して 何度も踏みしめる それでも ぴくりともしない白い床は 動かないことの快感を 夜の足に めざめさせていく  虫になることの不思議な体感をしっかりと捕まえてぞくっとさせられる。  と同時に最後の4行では主体を「白い床」をさっとすりかえて今まで話者 だった「細い虫」を遠くから眺めるという離れ業が演じられる。「わたし」 の居所は今どこなのだろう? 幻想的な絵の中に出たり入ったりするような 危うさが的確に描かれている素敵な詩だと思った。  相方の浜田裕子さんとの短い対談も楽しかった。
10月14日(日)  午前いっぱい寝たあと、外苑前のワタリウム美術館の「クマグスの森」 展に足を運ぶ。南方熊楠が残した夥しいスケッチ、標本、論文や手紙など を展示した企画だが、熊楠のスケールの大きさとともに、その心の繊細さ に驚かされた。一つ一つの植物を、愛情をこめてとても丁寧に扱い、観察 し、分類する。その手つきに、生々しい体温を感じたのだった。  展示は、第一章「世界を放浪する」(若き熊楠の勉学の過程)、第二章 「熊楠の内的宇宙」(民俗学的・人文的な仕事)、第三章「森の命」(粘 菌などの植物の標本・図譜)に分かれている。熊楠が一つの事象を、一つ の学問の枠の中に収めず、絶えず周辺領域の諸学との連携を模索している ことがはっきり見て取れた。彼の絵は、無論絵画作品として描かれたもの ではないが、少ないタッチの中で対象となるものの生命の本質を巧みに捉 えているように見える。天皇陛下に進講した際に、標本を入れて持ってい ったというキャラメル箱の飾り気のなさも良かった。  南方熊楠は、無論とんでもないくらいスケールの大きな人物だが、偉人 のイメージに惑わされずに一つ一つの仕事を見ていくと、むしろ誰でもで きる丹念な手仕事がその中核にあるように気づく。動植物の身体、それら を包む空間の身体を、せっせと手を動かしながら確認していたのだろう。 熊楠の偉大さに改めて感じ入るというよりは、熊楠への親近感が湧いてく る企画展だった。 10日に朗読会でお世話になった女優の登坂倫子さんとお子さんたち、ミ ュージシャンの芳賀一之さんとバーベキューをした。おいしい焼肉を食べ ながら、登坂さんの公演の構想、芳賀さんの音楽観をうかがって楽しいひ とときを過ごすことができた。分野の違うアーティストと語り合うことは 刺激になりますね。何かコラボレーションができるといいと思う。
10月8日(月)  モーアシビの有志メンバーの朗読会「秋の隠れ家〜白い箱」が無事終了。 予想以上の盛況でちょっとびっくり。  会場は新宿眼科画廊というところで、朗読会や個展を開く分には丁度良い 30人くらいの収容スペース。白い壁面のシンプルな空間で、使い勝手がと ても良かった。  朗読は、泥Cさん、五十嵐倫子さん、白鳥信也さん、北爪満喜さん、沢木 春成さん、ぼくの順番で行われた。泥Cさんと五十嵐倫子さんは、二人で一 つの作品を読むというパフォーマンスを行い、二人の感情の重なり合いとズ レを演出して興味深かった。白鳥さんはギターとパーカッションの演奏家を 伴って朗読。白鳥さんの詩の重要な要素が「ノリ」であることに気づかされ た。北爪さんは朗読に先立って写真のスライドショーの上映を行った。戸外 で美しいものをくるくる探し求める視点の動きが感じられた。会場にはお子 さんたちも結構来ていたのだが、彼らに大ウケだったのが印象的。沢木さん は、ユーモアのある詩を訥々と語り、その飄々とした風情が良かった。ぼく は女優の登坂倫子さんの助けを借りて「満足」という作品を朗読したのだが、 あとで皆の感想を聞くと、とにかく登坂さんの朗読はすばらしくて、辻もそ れなりに頑張っていた、とのことだった。  全体的に、今回の朗読会は、詩人がそれぞれに工夫を凝らして、自作を演 出したところが良かったと思う。ぼくは現代詩の朗読というものが、詩人の 自己満足のような気がして余り好きでないのだが、演出を施して人に聞かせ るという意識を持つことで、結構面白いものが作れることがわかった。この 経験は次に生かしたいですね。  来てくださった方々、ありがとうございました。  そして朗読会の主催者である白鳥信也さんの新詩集『ウォーター、ウォー カー』(七月堂)を読んだ。変容する水の形、歩行の動作を、生活する自分 の姿と重ね合わせるというテーマを持った詩集だった。  水は「雨滴」「ボウフラのわいた水」「台風」「コップの中の水」「最後 の水カマキリ」といった様々な形に変容し、話者もそれぞれの水の形態に応 じて変容する。生活に追われる平凡な中年男が、変容する水の力に押されて ダイナミックな姿に変身していく。柔軟で強靭な水という物質を見つめるこ とで、日常に埋没しそうになる自分を鼓舞しているように見える。きめ細か い観察とスケールの大きい観念の膨らみが噛み合って、独特の情感を生んで いると思った。  後半は歩行がテーマになっていて、歩くことによって生活にリズムやアク セントが生まれ、例えて言うなら、生活が音楽化されるような状態を描いて いるように思う。体を動かすこと・目先が変わることで、未知の自分が開か れていく。それは、音楽においてリズムが切り替わって、曲想が一変するの に似ている。  いずれの層においても、白鳥さんは、「動き、変わる」というところに生 きていく活力を求めているのだなと感じられた。