2007.12

2007年12月

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12月23日(日)
 今年最後のサルサのライブ(原宿クロコダイル)。お客さんがいっぱい来て
くれて、そして盛り上がってくれて感激です。プエルトリコの旗を持参して踊
ってくれたお客さんもいました。クロコダイルは、我がロス・ボラーチョスの
拠点と言ってもいい大切な場所なので、お店の期待に応えることができたとい
うのが一番嬉しいです。難しい曲をたくさん演奏して、後半少しバテてしまい
ましたが、何とか持ちこたえました。
 今年はライブを16回もやったことになる。アマチュアながら、月一回以上
はステージに立っていたわけで、こうなるとアマとは言え、日頃の練習は欠か
せないな、と決意を新たにしてしまいますね。

 ライブの前に原朋直先生のトランペットのレッスンに行った。コルトレーン
の3TONICシステムの原理に関する話も面白かったが、それ以上に、集団
即興の大切さと難しさに対するお話が興味深かった。ディキシーランド・ジャ
ズは基本的にソロ+伴奏のスタイルではなく、集団即興の形を取るが、それは
相手の出す音に常に適切に反応することを求められるという点で非常に高度な
音楽の力を要求されるものである。マイルズ・デーヴィスの70年代以降の演
奏は、基本的にディキシーのスタイルをリニューアルしたものと言える。そし
て、アドリブのソロを重視するモダン・ジャズにおいても、この集団即興の原
理はとても重要なもので、ソロを取っている時は自分の音よりも共演者の音を
聞き取っていなければならない−。そして、ためしにそのクラスにいる人だけ
で、トランペットによる集団即興を試みてみたが、余りうまくいかなかった。
相手の音を支えることがいかに難しいかを実感させられたわけだ。これは目か
らウロコの考え方で、トランペットは基本的にバンドの中で目立つパートを受
け持つわけだが、リズムセクションを意識し、盛り立てる演奏も心がけなけれ
ばならない、ということ。早速、このことを頭において、日々の練習に励もう
と思う。

 金曜日に東浅草駅の「夜想#ヴァンパイア展」の催しに足を運んだ。吸血鬼
をテーマにしたイベントだ。まず、東雅夫氏、菊池秀行氏、今野裕一氏による
トークショーがあり、続いて吸血鬼をテーマに応募した800字怪談の朗読(演
劇ユニット「Cafe凛堂」による)、最後に800字怪談の大賞発表という構成。
満員の盛況で、トークの中では特に、戦後の吸血鬼映画の日本における受容の
話題が面白かった。相当いかがわしく、おどろおどろしい雰囲気があったよう
で、しつけの厳しい家では見に行くことを禁じられていたようだ。朗読は3人
の女優によって行われ、800字の作品が意外と朗読に向くことを発見。目で読む
と短い感じがするが、耳で聞くと800字というのは丁度いいくらいの長さなのだ。
女優さんたちが適切な間合いを取って読んでいるせいだろう。情景が目に浮か
ぶようだった。大賞は金子みづはの「夜想曲」に決まったが、その他の作品に
も丁寧なコメントがなされ、応募作品全て一つの作品として成立しているよう
な印象を受けた。
 熱気を帯びた選評が続いたため、7時に始まった会が何と10時すぎにようや
く終了。この催しには『てのひら怪談』の作家たちもたくさん応募をしており、
会場で顔を合わせておしゃべりすることができた。
 吸血鬼を切り口に、幾らでも多彩な物語を紡ぎだせるということに感動。文
芸がサルサのライブと同じように、「盛り上がり」や「熱気」を伴うものにな
り得ることにも感動。こうした試みがまた企画されることを熱望します。
 ちなみにぼくのベストワンは、江戸時代を舞台に、西洋人の吸血鬼の首と少
女の婚礼(?)の様子を丁寧に描いた立花腑楽「オカシラ様」でした。


12月16日(日)  風邪が治らないですね。熱は余りないけれど咳が止まらない。歳のせいもあ るかもしれませんが、空気が悪いってことが結構原因としてあるんじゃないか なあ。オフィスの空気がよどんでいるのはまあ仕方ないにしろ、戸外の空気が 「外の空気」という感じがしないんですよね。  金曜日に、幻妖ブックブログの東雅夫さん、タカザワケンジさん、『てのひ ら怪談2』の版元であるポプラ社の斉藤さん、鎌田さんと忘年会。この一年は ビーケーワン怪談大賞の成功で結構忙しかった。この賞は投稿者同士の横のつ ながりが強くて、怪談を「読み、かつ書く」好ましいコミュニケーションが自 然発生的に生まれていた。全作品のレビューをサイトに載せている人もいて、 批評というものに対する関心もある。そこが面白い。怪談を切り口に相互的な 「読み=書く」ことを面白いと思う人の輪を広がられるといいなあと感じた。 東さん・タカザワさんはこの怪談コンテストが「文芸運動」だと当初から意識 つつ仕事を進めてくれたし、ポプラ社の担当の方もその線を大事にした本作り をしてくれた。個々の作品は結構実験的で先鋭的なのだが、そうした大胆な試 みも「みんなで渡れば恐くない」のである。ぼくは、少し大袈裟かもしれない が、こういう双方向的な表現のあり方を21世紀型の文学と呼びたい気がする。 ともあれ、皆さん、お疲れ様でした。  風邪気味のため外出はせず、家にこもって本を読んでいた。怪談大賞を運営 した関係でホラー小説を数冊読んだ。恒川光太郎『秋の牢獄』(角川書店)は 時空の浮遊・ねじれをテーマとした3つの物語を収録。怪異を切り口に、生の 不確かさに対する諦念を丁寧に描いている。黒史郎『獣王』(メディアファク トリー)は、動物園の職員が様々な動物に擬態する女性と同棲するという話。 擬態された動物は直後死に至る。話がウソッぽくなることを恐れずに、大胆な 発想を大胆に推し進めていく。臆病な男性が、孤独な怪物であるが故に自分と の同質性を嗅ぎ取って女性に愛情を感じていく様子が切ない。山白朝子『死者 のための音楽』(メディアファクトリー)は、民話的な素材を扱った短編集。 父の生まれ変わりの子を生む少女、井戸の底で男を待つ美女、望んだものを運 んでくる巨鳥などが出てくるが、展開に無理がなく平明で清冽な人情話に仕上 がっている。装丁も美しい。これらの「ホラー」のジャンルに含まれる作品は、 世界や人間の存在に対する真摯な問いかけがなされていて、むしろ「純文学」 の範疇にあるような重さを備えている。かつての純文学の中にあった実験的な 要素が、今はむしろ先鋭的なエンターティメント文学の中にあるのではないか、 と感じさせられた。
12月9日(日)  風邪でダウン。今日一日は家の中でうつらうつらしていました。  会社の仕事として手がけた、ビーケーワン怪談大賞の単行本の第二弾が出ま した。『てのひら怪談2』というタイトルです。もうかなり売れています が、実は中身はそうそうとっつきやすくはない。よくある心霊体験モノではな く、800字という字数の制限の中で、怪異をキーワードに書かれた「実験文 学」なのだ。  オチを故意に曖昧にしているものもあるし、詩のような飛躍の多い言葉の使 い方をしているものも多い。今回の本は、一人複数作を掲載するのをやめにし て、一人一話で百編収録している。つまり、本物の「百物語」なわけだが、そ の分、各自に言葉に対する感性の違いが際立つ。イメージフォーラムで上映さ れる個人映画のような感触もちょっとある。  リアリズムの枠が取り払われた「怪談」。この題目のもとに集まったこれら の小さな作品は、個人の感性の突出を目指したものだから、突飛な発想のもの が多くてある意味読みやすくはない。それなのにこれだけ売れて第二弾も出た ということは、実はみんな、「物語」より「言葉」を読みたかった、 ということか。
12月1日(土)  年末はさすがに仕事が忙しいですね。毎日持ち帰りの仕事でふうふういって いる有様。  知人のライブを2つハシゴ。  サルサバンドのピアニストでもある岩淵淳一(P)トリオと、ジャムセッシ ョンで知り合った仲間がやっているFireBirdという6人編成のバンド。  岩淵淳一トリオは、以前聞いた時よりもまとまりのある感じだった。ゲスト の細井寿彦のアルトサックスが、無駄な音を出さない緊迫したプレイで終始す ばらしかった。場所は横浜のLafu&Stingで、ライブを聞くのに丁度よい広さで、 全体の響きも備え付けのグランドピアノも良かった。曲はスタンダードの他、 ショーターのYes or NOなど。  さて、1ステージを聞いて急いで用賀のキンのツボへ。10時前くらいに到 着。3曲程聴けた。FireBirdはトランペット、アルトサックス、ギター、ピア ノ、ベース、ドラムスの編成で、ハードバップ系を曲を演奏。まずまず楽しめ た。このバンドは8ビート系の曲の方が得意かな? 終演後ジャムセッション に参加。お酒を飲んでいたのでフラフラの演奏でしたがまあ何とか吹ききりま した。この店は本来焼き鳥屋さんなのだが、その焼き鳥が実にうまかった。今 度落ち着いて飲みに来たいものです。  近々メルマガに発表する白鳥信也詩集『ウォーター、ウォーカー』の小論を 書き終わる。外界や自身の身体と豊かなコミュニケーションを取ることで、「 動き」を核にしたエネルギーのある言葉を生み出している、という内容。白鳥 さんの詩に興味を持つ人が増えてくれればいいなと思う。