2007年7月

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7月22日(日)
 江ノ島水族館近くの海の家でサルサのライブ。海はやっぱりいいで
すね。潮風に晒すのは管楽器にとっては良くないのですが、人が開放
的な気分でくつろいでいる海の家でくつろいだ気分で音楽をやるのは
最高です。60人以上入ったお客さんを前に2時間弱くらい演奏しま
した。
 家族連れ、それに犬を連れている人が多かったのが印象的。観光地
らしく、イベントが生活の一部になっている感じでした。犬もおとな
しいし。波を見ていると何とはなしに感傷的な気持ちになってくるか
ら不思議です。
 帰りにリーダーの大塚さんとトロンボーンの山崎君と、ビールを飲
みつけ麺を食べました。結構うまかったです。


7月14日(土)  アンリ・ミショー展を見に近代美術館へ。  自動的に手を動かして絵を描いていると、そこに「顔」が見えてく るというミショーの言葉の通り、自分自身の中から得体の知れないも のが起き上がってくるという感じがする。自己が、社会的な自分から 解放と同時に保護も失う、そのことへの恐怖と快感がダイレクトに表 現されているように思った。洗練された「作品」として発表するため に描いていない分、制作への衝動がナマな形で出ていると思った。修 行のあとがカンバスに残されている、という印象。  参加している詩誌「モーアシビ」10号の発送のため明大前の七月堂 へ。主催者の白鳥信也さんに、北爪満喜さん、渡邊十絲子さんが来て いた。通勤時の慌しい話を書いた白鳥さんの「朝、走る」と五十嵐倫 子さんの「タイムカード」が面白かった。示し合わせたわけではない だろうが会社勤めをしている者にとっての朝の時間の特別さを実感を こめて描いている。通勤という行為がなければ、会社の仕事はかなり ラクに思えるようになるのではないだろうか。  昆虫食を趣味としてる七月堂の内山さんからいろいろ話をうかがっ たり、たくさんの写真や七月堂で飼っているカメを見せてもらったり。 昆虫食は世界では広く行われているもので、日本にも伝統があり、ま た根強い人気があるとのこと。料理の写真はぼくにはグロテスクに感 じられけれど、多分、慣れの問題なのだろう。テレビ等のメディアか ら取材も受けたことがあるそうだ。本を書いたら売れるんじゃないで すか、とけしかけてみた。  帰りに白鳥さん、北爪さん、渡邉さんとソバ屋でごはん。詩人には イジワルな奴が多いという話で盛り上がる。
7月8日(日)  会社のサイトのリニューアルがあったりしてバタバタしていた週だ ったが、行きたいコンサートにはしっかり行ってきた。エリアフ・イ ンバル指揮フィルハーニア管弦楽団の公演で、曲目はマーラーの2番 「復活」(池袋芸術劇場 7/5)。この曲を堪能するには、絶対生 演奏でなければならない。大編成のオーケストラに独唱2名・合唱、 舞台裏からのファンファーレ演奏もついている。いろんな方向から多 彩な音が飛び交うように聞こえるのが特徴だ。交響曲を黙って聞いて いるというよりは、派手な式典に参加している気分になる。そういう 盛り上がる気分をインバルは見事に演出して、劇的な音楽を創り上げ ていた。マーラーというのは、よく聞くと、東欧の民衆の音楽の要素 がかなり入り込んでいるんですね。東欧的な旋法や舞踊的なリズムが あちこちに聞かれる。インバルはこの曲が持つ祝祭的な雰囲気を大事 にして、浮かれたようなノリが途切れないように、また軽薄な響きに ならないように、細心の注意を払いながら豊かな流れを作っていく。 オケの実力もたいしたもので、特にダイナミクスの幅はびっくりする ほど。マーラーの交響曲が持つエンターティメント性をたっぷり味わ うことのできた夜だった。  野村尚志さんから詩誌「あすら」8号を送っていただいた。この詩 誌に、野村さんは2編の散文詩を寄せている。散文詩というよりも短 い随想のような作品だが、感銘を受けた。「親ゆずり」は、人と余り 打ち解けることのない性格だった母親と自分との類似について語り、 「家庭を持たない私には葬式はないかも知れない」と結ぶ。「春の雨」 は、カーテンを外して気分が変わり、海の近くまで歩いてみようかと 思うが、突如気分が乱れて、結局一日中部屋の中で過ごした、という 内容の作品。どちらも、人生に対するある諦念の感情が描かれている が、決意のようなものではなく、淡くて脆い心のもやもやをそのまま 形象化したような詩である。とりとめのないものに、「とりとめのな さ」としての場所をきちんと与えているという印象を持った。喜怒哀 楽に回収されない、淡彩の感情が丁寧に描かれている。そのおしつけ がましさのないタッチに好感を持ったのだった。  土曜日の午後は、東京国際ブックフェアに足を運び、知り合いの出 版社の方々と挨拶を交わす。この催しも結構長く続いているが、最近 は「本」が主役の座から追い払われつつある感じを受ける。人文系の 出版社は出展しないところが増え、代わりにデジタル・パブリッシン グが増えた。本も、中身よりパッケージだという時代に入りつつある のだろうか。それはちょっと味気ない。