2008年10月

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10月31日(金)
 退社後、日本ホラー文学大賞の授賞式に出席するため東京会館へ。
 と言っても着いた時にはもう授賞式は終っていてパーティの時間になって
いた。「生き屏風」で短篇賞を受賞された田辺青蛙さんに挨拶。田辺さんは
ビーケーワン怪談大賞の常連投稿者で、佳作を受賞されたこともある人だ。
コスプレーヤーという一面も持っているが、今回もエヴァンゲリオンの綾波
レイのコスプレでパーティー会場に現れ、皆の度肝を抜いていた。文学賞の
授賞式とは思えない光景。いやあ、びっくりです。
 他の受賞者は「庵堂三兄弟の聖職」で大賞を受賞された真藤順丈さん、「
粘膜人間の見る夢」で長編賞を受賞された飴村行さん、「トンコ」で田辺さ
んとともに短篇賞を受賞された雀野日名子さん(今回は都合により欠席)。
皆さん、おめでとうございます。ぼくが運営の裏方をやっている幻妖ブック
ブログでもきっちり売らせていただきます。


10月13日(月)  御茶ノ水の神田古書会館で開かれている「豆本フェスタ」に足を運ぶ。豆 本というのは小さな手作り本のことで、最近ブームと言われている。  会場は人でいっぱいで驚いた。まず、出品作家の一人である林・恵子さん に挨拶。「もーあしび」朗読会の際に書いた「てんとうむし三態」の詩をも とに、きれいでかわいいデザインの豆本を出品されていた。てんとうむしが 羽を広げると、本が出てくる仕組みだ。  会場には所狭しといろいろブースが出ていて、作品を見ていると控えてい る作者が説明してくれたりする。どの作品も凝っていていくら見ても飽きな い。林さんの話によると、開催日のきのう今日を二日間とも、ほぼ丸一日来 ている人が結構いるとのことだった。豆本作家同士の交流も盛んなようだ。 ビーケーワン怪談大賞の投稿者の方の豆本作品もあって、他の作家にはない 幻想的な味わいがあった。  本の形態にあわせてテキストを書くのも面白そうだなあ、と感じながら会 場をあとにした。    東京堂書店によって、元書肆アクセスの店長だった畠中さんに挨拶。3階 で地方小流通センターの本を担当されている。お仕事中なのにちょっと長話 していまい、すみませんでした。『夜想 ヴィクトリアン特集』を買う。  野村尚志『季刊 凛』9月号の感想。  「紙くず」は地下鉄構内で紙くずが風に吹かれていく様子を描いたもの。 鈴木志郎康さんの「終電車の風景」に似たシチュエイションだが、話者が紙 くずに対して小さなアクションを起こすところが異なる。紙くずを開く時の 音が周囲の騒音にかき消されて聞こえなかったというエンディングは、俳句 のような渋い叙情性を感じさせる。  「喫茶店で」は、喫茶店に入って、店員がスタッフ募集の貼り紙を貼るの を眺める、という詩。場面から無理にストーリーを引き出さず、想像が広が るスペースを残している。  2編とも面白いが、どちらも叙情詩としてできあがっている感じがある。 感情をベタに出さないところに高度な感性を認めざるを得ないのだが、それ でも予想される流れに抗った表現で、もう少し読者を挑発してくれてもいい かな、とも思ってしまうのだった。
10月11日(土)  昼過ぎに起きてから、国立西洋美術館に「ヴィルヘルム・ハンマースホイ 静かなる叙情」展を見る。これは期待以上だった。  ハンマースホイは19世紀末から20世紀初頭にかけて活躍したデンマー クの画家で、静謐な画風で知られる。その静けさはかなり極端なもので、誰 もいない部屋、後ろ向きの人物を好んで主題にするという徹底ぶりだった。 平和な性質の静けさではなく、逆に見る者の心に不安を掻き立てるものであ る。物は静止しているが時間は動いている。何も変わらないように見えるが 何かが変化しているのである。そこから、押し殺したような画家の呼吸が感 じられるのである。画面が、不穏なドラマをはらんでいるかのようだ。時間 の経過や動作の差異を執拗に探求する、能勢大助の映像の感性にも通じるも のがあるように思った。  帰りに散歩でもしようと青山で降りて渋谷に向ったが、その途中、野外ミ ニライブの音が聞こえてきたので立ち止まった。ボサノバの誕生50年を祝 って、ブラジルと関係の深い日本でボサノバのイベントを連続的に行うBO SSA2008という催しの一環のコンサートだそうだ。  ぼくが聞いたのはコトリンゴというシンガーソングライターで、大貫妙子 と矢野顕子の影響を感じさせる透明感のある音楽だった。ピアノの弾き語り だったが、ピアノの腕前もたいしたもので、曲作りについては、しっかりハ ーモニーを勉強した跡がうかがえる。ボサノバという感じはそんなにしなか ったが、とても楽しめた。犬も歩けば棒に当るってやつですかね。  最近(でもないが)読んだ詩集の感想。  長田典子『翅音』(砂子屋書房) 健康が不調の状態にあるらしい作者のつらい心情をうたった詩が集められて いる。身体の問題が宇宙レベルの時空の歪みとして表現されていたりする。 書きにくいであろう根の深いコンプレックスがきちんと描かれているのがと ても良かったと思う。自身のつらい状態と対決しようとする気迫が感じられ る。ただ、苦痛を詩という形で「伝える」ということに関する戦略はもっと 練っても良かった気がする。MRIの検査を受けるつらさを書いた詩がある が、もちろん患者はつらいけれど医療をしている側も実は痛みについては鈍 感ではなく、同じようにつらいと感じているのではないか。当事者として切 迫感があるのは当然だが、書き手としては少し余裕を持って物事の多面性を 伝えることも必要ではないかと思った。  岩佐なを『幻帖』(書肆山田)  自作のオリジナル版画を多数挿入した贅沢な造りの詩集。幕末あたりから 昭和の前期くらいにかけての出来事を、霊(?)的な存在が語っていくとい う詩集。写本「幻帖」をアレンジしたものだというメタフィクションの構造 を取っている。もちろん作者は今、平成の世を生きているわけなので、過ぎ 去った時代へのノスタルジアがうたわれていることになるが、ノスタルジア といっても全く湿っぽくならず、色事などが快活に、饒舌に、そして匂いを もって語られていく。フェリーニの映画に近い感触だろうか。絵が挿入され ているから、ということでなく、絵を描くように言葉が書かれていて、とに かく読んでいてとても気持ちがいい。時空がどんどん飛んでいくので、場面 設定を示す時は、時代小説のようにベタに書いてくれたほうが、主体の位置 がはっきりして、作品の中に入りやすいかな、とも感じた。「あたかも自分 が作ったように見せかけて」いるという「わたし」の存在のありかがどこな のかも気になった。  中本道代『花と死王』(思潮社)  抽象的な作風で知られる著者だが、「犬」「鳥」の2編の散文詩は珍しく 日常性に溢れていて、新境地を開いていると思った。「犬」では、どこか遠 くに行きたいというとりとめもない空想をきちんと言語化し、かっちり箱に 収めているようで新鮮だった。「鳥」では、新しくできた美術館に向う途中、 オリーブの林で道草をしたことが語られる。そこで「わたし」と「女友達」 は気がつくと「二羽の鳥」になるのだが、そこへ至る言葉の運びが簡潔で無 駄がなく、落ち着いていて、一種の貴族性を感じさせるところがあった。全 体によくできたオブジェを眺めるような清潔感が漲っていて安心して読める が、現代詩特有の観念的な比喩を多用しすぎてやや単調になっているように も感じられた。