2008年12月

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12月31日(水)
 さて、仕事の整理もしたし、これから実家に帰ります。

 今年はアメリカのサブプライムローン問題に端を発する経済の大混乱が起
こって、多くの失業者が出るという惨事が起きた。ぼくは経済については全
くの素人なので、ピリッとしたことは何一つ言えないが、グローバル経済と
いうものは恐ろしい面があるのだな、とひしひしと感じた。ここに至る要因
は、政策の失敗やらいろいろあるのだろうが、資本主義というものがグロー
バル化への志向を持っている以上、多かれ少なかれこうした事態に陥ること
は避けられないのではないか、とも感じられた。こういう時に、個々人の命
や生活、そして尊厳をどう守っていくかで、社会の成熟度が問われるように
思われる。天災に遭われた方を保護・支援するのが当然であるように、経済
的な天災に遭われた方々を、政府も、そしてありがたいことにまだ生活費を
工面できている私たちも、助けるべきではないか。失業された方たちが胸を
張って次の仕事を探すことができることを祈ります。

 個人的には、溝口ジャズ同盟でのジャムセッションがとても楽しかった一
年で、一緒に演奏して下さった方たちには心からの御礼を申し上げたい。会
社の仕事の方では、ぼくが運営している怪談大賞が、参加者の横のつながり
を生んで、文学運動としての広がりを見せていったのが嬉しかった。賞を取
ることだけに拘らず、自分なりの文学作品を創作し、かつ仲間と読みあう関
係を築くことで、作家としての「尊厳」を持っていただきたいものだなあと
思った。

 詩作の方面では、最近ますます生活とフィクションの境界、詩と散文の境
界を崩して、ぐちゃぐちゃした世界を作っていきたいと思っている。もう詩
人として評価なんてされなくていいし、書いたものが詩と思われなくていい
んじゃないか、という感じだ。別に反骨精神から言っているのではなくて、
実際にそう思うのだ。書きたいものを書き、読んで欲しい人に読んでもらえ
たらそれで終わり、でよし。ぼくは昔からものぐさなのだが、最近それがこ
うじてきて、メディアからの評価ということに関してはもう気を使いたくな
い。それより生きている時間を、だらしなくていいからもっと愉快に使いた
い、そんなところです。

 野村尚志さんから送られてきた詩誌「凛 18号」に掲載された「湾」を
読む。文字通り、湾の一日の様子が(沖縄の方かな?)簡潔に、それでいて
情趣豊かに描かれる。漢詩のようなすっきりした叙情味があり、「凛とした」
作品だ。でも、もっとリラックスして机に向かってもいいんじゃないかとも
感じられた。
 
 先日は、用事があって先に失礼してしまったが、詩人の五十嵐倫子さん、
ブリングルさんらとおいしいお酒を飲みました。気の合う人たちと詩の話を
するのは楽しいです。

 それでは良いお年を。


12月28日(日)  午前11時にドラムスの西澤純一さんの家に集まって、バンドの練習をす る。今年結成したバンドだが、メンバーの都合が合わずなかなかリハができ なかった。今日もギタリストの都合がつかず、カルテットでの練習になった。 来年は目標を定める意味も込めて、一度ライブをやってみたい。  自分のオリジナルやカナダのトランペッターのケニー・ホイーラーの曲を 練習した。新主流派からECM系の音楽を中心にやっていこうと考えているのだ が、難しくてなかなか思うようにいかない。今は無惨な出来だが、メンバー と一緒に研究を重ねて練習するのはやはり面白い。複雑なコードでも気まま にのびのび演奏できるように努力したい。  終って、西澤さんの奥様からお茶をいただき、雑談する。  家に帰ってしばらく仕事をしてからサルサバンドの忘年会へ。ジャズKEIR INという、文字通りジャズのアルバムと競輪に関するもろもろの資料を売り にしている面白いうどん屋で、もちろんうどんもおいしい。ビールと焼酎と 日本酒をしこたま飲んで、へろへろになって帰宅。
12月27日(土)  横浜美術館で「セザンヌ主義!」展を見る。  もちろんセザンヌの作品はたくさん展示されているが、回顧展というより は、セザンヌの影響を探るという興味深い試み。ピカソや安井曾太郎ら、セ ザンヌから学んだ画家たちの作品の展示がむしろメインである。  セザンヌの作品には、世界には深遠な「本質」があり、それを様々な角度 から分析していこうとする姿勢が明確である。情動に訴えかけるタイプでは ないが、無限を探求する意志を持っているという点で、基本的にロマンティ ストだと思う。冷徹に見える作品の底に流れるロマンティシズムに、多くの 画家が惹かれていったのではないか。特に静物画のパートでは、あのセザン ヌ的配置とでも呼べるような抽象的な空間を、東西の画家たちが丹念に模倣 している様に驚かされた。日本でも早くからセザンヌの仕事が知られていた ことがわかったのも収穫だった。  単なる回顧展や名品展より、キュレーターの苦労が見えるこうした企画展 の方がやはり格段に面白い。  見終ってから馬車道に移動し、King's barで友人たちのジャズバンドのラ イブを聞く。一つ目のバンドはゴリゴリのビバップを演奏し、二つ目のバン ドは新主流派の曲を中心に演奏した。どちらも楽しめたが、もっと余裕を持 って演奏すると良いのではないかとも思った。セッションの時間になり、2 曲程飛び入りで吹いて帰る。
12月20日(土)  昼間、ホラー大賞作家・飴村行氏のインタビュー原稿を起こし終わり、関 係者にメールで送る。年内にはサイト上で公開できるだろう。面白い話が満 載で、乞ご期待。  夕方から用賀のキンのツボに足を運び、知り合いがやっているジャズのバ ンド「ファイヤーバンド」の演奏を聞く。相変わらず難しい曲ばかりやって いたが、破綻することなく弾き切っていたのに拍手。特に、ウッディ・ショ ウの変拍子の曲「MIDI」が、勢いが感じられて良かった。  キンのツボは元々焼き鳥屋だが、今日は焼き鳥のほかに、馬の大動脈を塩 コショウで炒めたものを頼んだ。コリコリした歯ごたえでビールによく合う。  プログラムが終って、セッションの時間になり、飛び入りで2曲吹いた。 飲酒をしての演奏だったため、指がうまくまわらなかったが、終ってお客さ んの一人が握手を求めてきてくれた。ちょっと嬉しかったな。
12月19日(金)  夕方から幻妖ブックブログの東雅夫さん、タカザワケンジさんと、今年を 振り返る座談会を行う。2008年は、このところ低空飛行気味だった小説 に、<収穫>が多い一年だったということで一致。新人作家・ベテラン作家 ともに、清新な印象を与えるヒット作がたくさんあった。『てのひら怪談』 がホラー・幻想文学の一種の「武器庫」になっているのではないかという話 も出た。この勢いを、来年どのように継続させていくか、我々の腕の見せ所 (?)である。  まあ、それは大袈裟だが、幻妖ブックブログは来年もホラー文学の動向を しっかり見つめていこうと思っているので、スタッフとしては気を引き締め て頑張りたい。  終って、茗荷谷の「塩梅」で忘年会。途中、『幽』怪談文学賞大賞受賞作 家・岡部えつさんが参加。文学に目覚めた経緯や、執筆にまつわるお話など 面白いお話をたくさんうかがった。余りの面白さに、タカザワさんが録音を 始めた程だった。岡部さんは、文芸評論家・編集者の安原顕さんの文学サー クルに出入りしており、その関係でタカザワさんとは昔から顔なじみなのだ という。とても気さくで、しかも知的な感じの方だった。  お喋りが楽しくていつのまにか11時半近くになり、お開き。幻妖ブック ブログの忘年会が終ると、今年ももう終わりだなと実感される。  いっけない、まだ年賀状一枚も書いてないじゃないか。
12月14日(日)  築地のキューバンカフェでサルサのライブ。4時に築地に着くと、街はゴ ーストタウンのように静まり返っている。日曜日だから当たり前か。築地市 場の門の前には、例のせりの見学お断りの但し書きがあって、何となく残念 な気持ちがした。  リハを小1時間程やってから回転寿司の「すじざんまい」で夕食。7皿食 べたが結構おいしかった。メンバーと会社の不景気の話などする。  7時半から本番開始。午前中は小雨が降っていたが、客席はかなり埋まっ ている。前回同様、曲数が多くて最後はへばってしまったが、全体としては 良かったと思う。  終って、来てくださった知り合いに挨拶。終演後のビールはうまいです。    清算して58名様の入り、儲けで無事バンドの忘年会を迎えられることが わかった。バンドの会計係として胸をなでおろす。  前日は溝口ジャズ同盟のセッション。参加者が30名もいたので心配だっ たが、何とか全員に演奏を回すことができた。
12月5日(金)  会社を定時で退社し、サントリーホールへ。ゲルギエフ指揮のロンドン交 響楽団の演奏を聞く。  著述家の守屋さんらと挨拶し、席に着く。プロブラムはオール・プロコフ ィエフで、交響曲の4番、ヴァイオリン協奏曲(ソロはワディム・レーピン)、 交響曲5番だった。  プロコフィエフの音楽は、大きく言えば、メカニックな音形を繰り返す部 分とスラブ的な叙情をうたいあげる部分で成り立っている。その間を、たく さんのいたずらっぽい、愛らしい、リズミカルなフレーズが埋めていく構造 になっている。大枠としては、ごくごくオーソドックスなのだが、中間と中 間をつなぐフレーズや音色に工夫が凝らされていて、いっときたりとも聞き 手を退屈させることがない。  ゲルギエフはいわゆる「ロシア風」に豪快にオーケストラを鳴らすのでは なく、まるでフランス音楽のように、洒脱に、優雅に、演奏することによっ て、プロコフィエフが凝らした工夫を余さず聞き手に伝えようとするものだ った。ロンドン交響楽団、レーピンの名技にも舌を巻く。特にトランペッタ ーが恐ろしくうまく、難しいフレーズを実にオシャレに吹ききっていたのが 印象的だった。 プロコフィエフも最近だんだんプログラムにのぼるように なってきたようだ。ロックなどに親しんだ若い人なら、ブラームスよりよっ ぽど聞きやすいだろう。     演奏会終了後、守屋さんたちとおいしい中華を食べながら雑談。今週は仕 事が忙しかったが、こんな楽しい時間で締めくくることができて幸せだ。