2008年2月

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2月23日(土)
 原朋直とN響トランペット奏者佛坂咲千生を核とした15人編成のバンド<W
HP>を聞きにピットインに足を運ぶ。
 ユーフォニュームやチューバを加えた金管アンサンブルに、ジャズのリズム
セクションを加え、原さんがアドリブを取るという形だが、アレンジが非常に
凝っていて(ユキアリマサによる)、新しい時代のシンフォニック・ジャズと
いう印象だった。
 恐らく金管のプレーヤーは佛坂氏のお弟子さんや仲間なのだろう。ルーズな
ジャズのサウンドではなく、カッチリしたクラシックの透明で柔らかなサウン
ドが支配的だった。曲の主旋律は佛坂氏が取ることが多いが、音色がとてもコ
ントロールされていて、伸ばした音の最後の瞬間まで神経が行き届いていた。
丸々として強靭な音、ピアニシモでも会場の奥までよく通る音、これはトラン
ペットの音としての一つの理想の形であろう。対して、原さんはいつものよう
にパワフルに吹きまくっていたので、その個性の対比が面白かった。
 ユキアリマサのアレンジは、ケニー・ホイーラーのオーケストラのような繊
細な響きがあり、それプラス多彩なリズムが印象的。終始何事かが起こってい
る感じだ。トロンボーンやユーフォニューム、ホルンといった中音のセクショ
ンは、突然さしこまれる奇怪(?)なパッセージに敏捷に反応しなければいけ
ないのでものすごく大変だったろうと思う。
 全体としては、クラシックの奏者でないと出せないような音の積み重ねの妙
をうまく生かしたパフォーマンスだったと言える。今後も活動を続けていくそ
うなので、演奏の成熟ぶりが楽しみだ。

 今日は、溝口ジャズ同盟のジャムセッション。肩の力を抜いて吹くというの
が課題だったが、意識していると良いが、熱くなってくると途端に力んでしま
う。いかんなあと思うのだが、なかなか難しいですね。


2月17日(日)  土曜日に溝口で3時間半のジャムセション、翌日のお昼は原朋直先生のトラ ンペットのレッスン、そのあと江古田Buddyでサルサのライブとまたもや 音楽漬けの週末。ライブではさすがに疲れが出て、少々トチッてしまいました。 情けないです。  原先生のレッスンでは、いつも一緒に受講している二人の方がお休みで、マ ンツーマンの授業になった。ぼくは、アドリブの音使い・ハーモニー面に関し てはそこそこの技術が身についているが、リズムに関しては難があり、もっと 細かいリズムのパルスを正確に感じ取る訓練をしなければならないということ の指摘を受けた。両手で違うパターンを叩きながら3連符の裏拍を確実に捕ら える練習などをすれば、リズムがよじれたりフレーズが4小節単位で終始する ことがなくなって、もっと自由に演奏できるということ。家に帰って早速両手 で膝を打ちながら練習してみたがなかなか難しい。でも、できなくないことも ない。しばらく継続してトレーニングしてみよう。  鈴木志郎康さんの『日々涙滴』を相変わらず読み続けているが、一つ発見し たことがあって、それは、60年代に書かれた「プアプア詩」と基本的には同 じコンセプトを持っているのではないかということだ。志郎康さんは、「プア プア詩」に代表される奔放で超現実的な作風から、74年に刊行された『やわ らかい闇の夢』あたりで、「平易な言葉で日常を捉える」作風に一変した、と いうことになっている。確かに、『やわらかい闇の夢』から『日々涙滴』あた りまでの詩には、飛躍の多い比喩や超現実的なイメージの描出は影を潜める。 しかし、日常を描くと言っても、日常をなだらかに続く体験の累積と受け止め ていないことに注意しなければならないのではないかと思うのだ。つまり、気 まぐれや妄想によって絶えず行為や動作の意味が切断される場として日常を捉 えている。行為が累積して生活の意味の厚みを形成していくというのでなく、 行為の意味の切断面が待ったなしで非連続的に累積していく、そういう場とし て日常を考えているらしいということ。  「プアプア詩」は、ナンセンスな想像を独自の疾走感をもって展開していく という面と、生活の細部をただただ即物的に提出するという面の二つの面を備 えている。志郎康さんの初期の作品は、超現実的なイメージを展開させた面ば かりが強調されているように思えるが、実は、超現実性を志向する想像力とい うものもユルユルな日常から生まれるのだという事実を暴露した側面のほうが 重要なのではないだろうか。  「プアプア詩」では、超現実的で奔放なイメージを挿入することで日常生活 の意味の非連続性を描出したが、『日々涙滴』では、生活の細部自体が意味の 切断面に満たされていることを即物的に示すことで、日常というものの価値を 転倒させようとしている、というふうに読める。  そして、自らもそれに依存しながら生きていく他はない価値さえも転倒させ ずにはいられないとする強靭な意志が、一見そっけない『日々涙滴』の言葉に、 力と美を与えている、と思った。
2月14日(木)  女優・演出家の登坂倫子さんの主宰する演劇のクラスの発表会を見に、新宿 の眼科画廊に足を運ぶ。生徒さんの一人、加藤史也さんがぼくの詩作品「胞衣」 と「満足」の朗読パフォーマンスをしてくれるということだった。  定刻の7時をちょっと過ぎて会場に到着。バイオリンとギターによるプロロ ーグの曲が奏でられているところだった。  プログラムは以下の通り はじめての町(茨木のり子作) 木村八重子  夕焼け(吉野弘作)  東枝里子・文嶋ことり 行方不明の時間(茨木のり子作) 文嶋ことり 胞衣(辻和人作)加藤史也・東枝里子 満足(辻和人作) 加藤史也・文嶋ことり 「ガラスの動物園」より(テネシー・ウイリアムズ作) 加藤史也 「マクベス」より(シェークスピア作)加藤史也 「蜘蛛女のキス」より(マヌエル・プイグ作) 加藤史也 “Butterflies are free”( Leonard Gershe作)英語上演 東枝里子 “Two noble kinsmen”(Shakespeare作) 英語上演 東枝里子 「クローサー」より 第6場(パトリック マーバー作) 文嶋ことり・九良賀野喜一 「ウイット」より(マーガレット・エドソン作) 木村八重子・東枝里子  木村八重子さんは経験が豊富なようで、微妙な感情の色合いをうまく使い分 ける演技だった。間の取り方が恐いくらいうまい。東枝里子さんは、体や表情 をいっぱいにつかった初々しい元気のある演技で、歌うような身のこなしが印 象的だった。文嶋ことりさんは張り詰めた感情の表現が巧みで、特に「クロー サー」の後半の盛り上げ方には息を飲んだ。加藤史也さんは役へののめり方が 半端でなく、緊張感の漂う演技だった。ぼくの作品の朗読に関しては、もっと くだけた感じであってもいい気もしたが、ドラマ性がくっきりと浮かび上がる ようで、ぼくが今まで知らなかったぼくの作品の一面を教えられるようだった。 なマクベス夫人のパートの憑かれたよう演技も良かった。  2時間ほども見ていたわけだが、少しも退屈しなかった。生徒さんとはいえ、 皆、それぞれに経験を積んでいる方ばかりで、ハイレベルな公演となっていた。 登坂さんの指導のすばらしさがうかがえる。  みんな金を稼ぐ意味でのプロの演技者でなくても、プロに近い水準で技術を 切磋琢磨している。演劇が活性化するためには、こうした「素人だけどプロで もある」人たちの頑張りが大事なのではないか。刺激を受けた一夜だった。
2月9日(土)  大雪の中、原宿のペニーレインに、朝比奈慶(Vo)のライブを聞きにいく。 朝比奈慶さんは今は歌手・女優として活躍しているが、数年前までは宝塚の男 役で超人気の人だったらしい。宝塚ミュージカルに詳しくないぼくがなぜ、こ のライブに足を運んだかと言えば、知り合いのピアニストの千葉香織さんが、 伴奏とアレンジを引き受けていたからなのだ。  一部は日本の歌、二部はシャンソンを中心とした洋楽という構成で、ぼくは 一部を聞く予定だったのだが、おっちょこちょいなことに時間を間違えて二部 の直前に到着してしまう。千葉さんの口利きで融通をきかせてもらって、何と か二部の公演にチケットを取り替えてもらうことに。  会場は40人くらいの小さなスペースだったが、満員で、ほとんどが女性の お客さんだった。さすがは宝塚ですね。香水の匂いがきつくてちょっと閉口し ましたが、まあよしとしましょう。  朝比奈さんは背が高くてとてもきれいな人だった。男役はぴったりだったで しょうね。ファンが多いことも頷ける。「ばら色の人生」や「LOVE」とい った名曲を歌ったあと、バイオリンの天野紀子さんも加わって、「黒い瞳」や ら「ひまわり」のテーマやら、重くて感傷的なポピュラーの名曲を15曲くら い歌っただろうか。朝比奈さんの声は張りもあり、音程もしっかりしていて、 きちんとしたトレーニングを積んでいることがよくわかった。情感もこもって いて楽しめた。歌というより、お芝居の1シーンみたいな感じが出るのがすば らしい。ところどころ細かい転調につききれていないところもあったので、楽 典をちょこっと勉強するといいかな。歌った曲は、一部・二部をあわせると結 構な数にのぼったと思うので、千葉さんはアレンジをこなすのが大変だっただ ろうと思う。千葉さんの伴奏は歌との呼吸をよく考えていて、聞きやすかった。 天野さんのバイオリンも情熱的でよかった。だけど、選曲が重くて最後は少し 疲れた感じ。コミカルな歌もまぜて欲しかった。でも、久しぶりに洋楽の懐メ ロを聞いていい気分。  千葉さんに挨拶して帰途へ。雪に車輪を取られて横転したバイクの人を助け た。雪には気をつけなければー。  渋谷のビックカメラでで音楽制作ソフト「Singer Song Writer」を買う。が、 機械音痴故になかなか使い方がわからない。これで譜面を書くのはちょっと先 のことになりそうだ。
2月3日(日)  新国立劇場にリヒャルト・シュトラウスのオペラ「サロメ」を聞きにいく。 「サメロ」を生で観るのは二回目だが、改めてよくできたオペラだと言わざる を得ない。音楽がドラマに非常に忠実に作られていて、目をつぶって聞いてい ても劇の進行がわかるようなのだ。ワーグナー風の半音階を駆使した和声、ロ シア音楽風の躍動的なリズムがともにあって、シュトラウスという人がこの時 代の様々な音楽に通じていたのだということがよくわかる。彼の音楽は、現代 音楽の主流からは余り重んじられなかったようだが、映画音楽やミュージカ ルに絶大な影響を与えたことは間違いない。  歌手の中ではサロメ役のナターリア・ウシャコワが声量、表現の繊細さとも 素晴らしい。トーマス・レスナーの指揮は、派手ではないが曲の凹凸を的確に 掴んでいて一瞬たりとも音楽がダレることがなかった。都響もノーミスの上々 の出来。久々にオペラの醍醐味を堪能しました。  終演後は著述家の守屋さん、最近経営書を上梓した原口さん、元書肆アクセ ス店長の畠中さんとお茶。業界の話などで盛り上がる。  古本屋で鈴木志郎康さんの詩集『日々涙滴』を見つけ、即、購入。1977 年刊行の詩集だが、今読んでも実に鮮烈な印象で、勉強になった。生活を深く 見つめながら、生活者の視点では決して生活を捉えない。科学者のような冷徹 な認識にゾクッとさせられるものがあった。こういう甘さのない、感傷性のな い生活の詩はとても珍しい。生活を言葉にしようとすると、誰でも生活の論理 に囚われてしまうからだ。「涙」を感情レベルでなく認識レベルで捉え、その 「形態」を暴いていくという姿勢は新鮮。これからも折に触れ読み返すことだ ろう。