2008年7月

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7月26日(土)
 詩の合評会「現代詩の会」に足を運ぶ。久しぶりにたくさんの生きのいい
作品が読めて楽しかった。
 中でも川津望さんの「声にとどく風景」という詩が刺激的だった。女性が
子供を寝かしつけているのだが、相手が「こども」になったり「しょうねん」
になったり、移ろっていくのだ。「こども」なら母性愛の対象だが、「しょ
うねん」だと性の対象の範疇に入る。女性の中での「母性/女性」の対立が
暗示的に描かれた詩だと思った。また、彼女のいる部屋の音や温度が低くな
るに従って、こどもの年齢もあやふやになっていくという設定も、今まで読
んだことのないものだった。整理して書き直すとすごい詩になるなと思った。
 虐待された過去と性愛の快感の境界を曖昧にして、停滞と進化を同時に描
いた川口晴美さんの「出航」や、庭の花の茎を鳥に食べられたことの怒りを
描いた毛利珠代さんの「デルフィニューム」も印象に残った。他にも面白い
作品があった。

 合評会の後、溝口ジャズ同盟のセッションへ。参加者が多く、新しい顔ぶ
れでの演奏が新鮮だった。


7月21日(月)  てんとうむしをテーマに様々な趣向を凝らしたグッズを創作しているイラ ストレーター・工芸作家の林・恵子さんの展示会を見に行く。林さんは、ぼ くの中学時代のクラスメイトで、うちのサルサバンドを偶然聞いてくれたこ とからメールの交換が始まり、今回の展示会のことも教えてもらった。  場所は国立の住宅街にあるつくし文具店というところ。国立駅からバスで 5分くらいの場所にあった。文具店とは言っても普通の文具は置いていなく て、デザイナーの個性的な作品が展示販売されている。狭いけれど、ユニー クなスペースだ。  林さんとはもう20年程も顔を合わせていなかったが、すぐにわかった。 中学時代のまんまの雰囲気で、若くておきれいなのにびっくり。林さんは子 供の頃からずっとてんとうむしに興味があったそうだが、3年程前からてん とうむしグッズを集中して作り始めたとのことだった。作品は、てんとうむ しをデザインしたてぬぐいやバッチなど。空想上の「新種」のてんとうむし もたくさんあって、ずっと眺めていても飽きることがない。ちなみに林・恵 子の苗字と名前の間の「・」はてんとうむしのてんだそうだ。  一通り作品を見た後、林さんと林さんのご主人と一緒に国立駅前の邪宗門 という喫茶店でお喋り。林さんのご主人は、有名な納見義徳氏にラテン・パ ーカッションを習っていたことがあったという。とても仲の良いご夫婦で、 同級生の幸せそうな顔を見ることができて嬉しかった。  ひょんなことからの20年ぶりの再会。こうしてすぐに連絡がつけられる ようになったのもネットの普及のおかげだ。いい時代になったものだ。  6時、町田の居酒屋で8月に行うジャムセッション仲間との合宿について 話し合う。細かいところまで決めることができた。合宿では、リハーサルの 時間もきちんととって、バンド合戦をやる。音楽合宿らしい合宿になりそう だ。
7月20日(日)  代々木公園のインドネシアフェスティバルでサルサの演奏。メンバーの一 人が電車の事故で遅れてしまい、出番までのつなぎに司会者の女の子2人組 がステージで延々喋るはめに。まあ、何とか事なきを得ました。  サルサ好きな人が集まっているイベントではないのですごく盛り上がった というわけにはいかなかったが、久しぶりの野外の演奏を楽しめたというと ころ。しかし、とにかく暑い。トランペットのマウスピースの中に汗が流れ 込んできて、ちょっと吹きづらかったですね。  ぼくらのステージの後、Lia Apriliaというインドネシアの人気女性シンガ ーがポップスを熱唱しまくり、おおいに会場を沸かせていた。やっぱりインド ネシア関連の企画にはインドネシアの歌が似合いますね。  片付けの後、バンドの方向性についてミーティング。その後、渋谷まで歩 いて3時間ほど飲んで解散。
7月19日(土)  「ビーケーワン怪談大賞」の応募期限が近づいてきて、投稿作品が激増。 今年もバラエティ豊かな作品がそろい、大盛況だ。が、それだけに選考が難 航しそうで恐くもある。もちろん、嬉しい悲鳴ですが。  渋谷のBUNKAMURA・ザ・ミューアジムで「青春のロシア・アヴァンギャルド 」展を見る。20世紀前半の前衛的なロシア美術を概観する企画で、「青春 の」という限定の仕方には疑問を持ったが、展示された作品はどれも興味深 いものだった。  抽象というものを発見した喜び、写実という重力から解放され、現実から 離陸する喜びが、画面から溢れている印象を受けた。マレーヴィッチの作品 は特に、風船が高く高く浮かび上がっていくような浮遊感が漲っているよう に感じられる。フランスではこの後、シュールリアリズムが花開いていくこ とになるが、革命の方向性の転換により、ロシアでは前衛芸術が弾圧される こととなる。いかにも残念なのだが、それだけに1910年代の抽象絵画の 傑作群が獲得した色彩と形態の自由の価値は何物にも替えがたいもののよう に思われてくるのだ。  この企画展には前衛的な芸術の他に、グルジアの画家ピロスマニの作品も 幾つか展示されていた。民俗的でメルヘン性に富んだ作品の数々は、画家の 生きた瞬間瞬間をナマな形で記録しているようで、強く心を打たれた。アン リ・ルソーの作品を思わせるところがあるが、ルソーのように題材自体の奇 抜さで勝負するところはない。対象がごく日常的である分、それを見つめる 感覚の特異さが際立つのだ。  未来派風の衣装デザインが目を惹く当時のSF映画の上映もあり、起伏に 富んだ構成の、楽しい企画展だった。
7月8日(火)  忙しくて更新する気力が失せていました。ざっと駆け足で近況報告します。  今日は会社の仕事で作家の京極夏彦さんのインタビュー収録。ライター& カメラマンのタカザワケンジさんと待ち合わせてメディアファクトリーへ。 怪談作家の勝山海百合さんにも会う。京極さんへのインタビューは新作『幽 談』の販促用のものだが、京極さんが喋りに喋り、質問する暇がなかった程 だ。それだけ自作に対する自信の程がうかがえる。『幽談』は怪異を扱った 短編集だが、怖がらせるというよりは人生や世界の解けない謎がそのまま投 げ出されているという感じの作品だ。京極さんは、起承転結のない、現実生 活と対応しない、言葉だけのふわふわした空間を作りたかったようだ。その 世界は、人間的なドラマの形成を目指さないがために、読者を「食い足りな い」「物足りない」気持ちにさせるという。その足りない感じをむしろ狙っ て書いたとのことだった。 京極さんはもちろんベストセラー作家なのだが、『幽談』においてはエンタ ーティメントの枠を越え、言葉の自律性を問題にするという姿勢が示されて いて、興味深かった。  6月28日は、若杉弘指揮東京フィルの演奏でコンサート形式のドビュッ シーのオペラ「ペレアスとメリザンド」を聞く(新国立劇場)。  コンサート形式だから衣装や装置は凝っていないが、その分視覚に惑わさ れることなく、音楽を聞くことに集中できた。ぼくは派手な演出が余り好き ではないからこのくらいが丁度いい。  きりっと締まった骨組みの明確な演奏は、とても聞きやすかった。ドビュ ッシーというと、やたらモヤモヤした演奏が多いが、こういう透明感のある すっきりしたアプローチの方が、音楽のメッセージが素直に伝わってくる。 終って、著述家の守屋さんらと食事。  先週は江古田Buddyでサルサのライブ。何と中学時代の同級生が来て いて、帰ったらメールが入っていた。ちょっとびっくりです。