2009年3月

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3月29日(日)
 お昼にヤマハの原朋直トランペット教室へ。「チェロキー」を高速で演奏す
るのが今回の課題だったが、どうしても余裕のない演奏になってしまう。速い
曲ほど大きくリズムを取ることを注意される。

 終ってから大急ぎで新宿の眼科画廊へ。ここで女優・演出家の登坂倫子さん
のリンクレイターヴォイスワークのクラスの発表会がある。少し遅れて着き、
初めの方は見逃してしまったが、予想していた通りレベルの高い発表会だった。
各自が選んできた詩や戯曲のシーンを、一人で或いはグループで演じていくの
だが、ただ達者にセリフを喋るというのではなく、テキストが非常に丁寧に扱
われているのがわかる感じだった。感情を込めて読むのだが、込めすぎて単調
になることがなく、テキストが開く空間と演じられるこの場が共振する結節点
が常に明確に意識されている印象を持った。このメンバーで、少し長い作品を
上演して欲しいなとも思ったほどだった。
 最後に登坂さんご自身が会田綱雄の「伝説」の朗読パフォーマンスを行った。
この詩はぼくが大好きな作品で、いつの時代も変わらない、子孫のために生活
と戦う「民」の姿が、妖しくも崇高なものとして描かれている。登坂さんは、
生活苦を官能的なものとして描出するという詩人の意図を見事に汲んだ、厳し
さと艶かしさが同居する演技だった。

 帰宅して少し仕事をしてからサルサバンドの練習に行く。


3月28日(土)  コンタクトレンズを作り直すために渋谷の協和コンタクトに行き、それから 「やなぎみわ マイ・グランドマザーズ」展を見に東京都写真美術館へ。  やなぎみわは、女性性をテーマをメルヘン風の舞台設定を施した作品で知ら れるアーティスト。写真から工芸作品まで、造形一般を手がける。今回の個展 は、個性的な老女を主人公に据えて作った作品。モデルを応募し、一人一人に 50年後どんなおばあさんになりたいかをインタビューした上で、その意思を 反映させたシチュエーションを拵え、写真に収めたもの。作品を見るのは一瞬 だが、複雑な過程が織り込まれている。  50歳も年下の男性とアメリカ横断の旅をするエネルギッシュなおばあさん から、滅亡寸前の地球で未来を占い師をする神秘的なおばあさんまで、様々な おばあさん像が集まって見ごたえがあった。完成度も非常に高い。  ただし、では非常に興味をそそられたかというと、残念ながらそうでもない。 ヴァラエティ豊かなおばあさん像が一堂に会しているのに、なぜか画一的な印 象も受けてしまい、途中からやや退屈してしまった。  「50年後なりたい姿は?」という質問を受ければ、皆、人に興味を持たれ る未来像をひねり出そうとすることだろう。それぞれに面白いだろうが、しか し、それは質問者を面白がらせようという回答者の努力の跡に過ぎない。だか ら聞いたアイディアをそのままイメージ化すると案外とどこかで聞いたような ものに固まってしまうのだ。作者は、「なりたいおばあさん像」を単純に作品 化するのでなく、「どういう人がこういうおばあさんになりたいと思ったか」 という過程が見えるように工夫をする必要があったのではないか。着想はとて も面白いのに、ある種のステレオタイプにはまった感じがあって、少し物足り ない気がしたのだった。  その後一度帰宅して仕事をした後、溝口ジャズ同盟のジャムセッションへ。 ちょっと難しい曲もやったが、何とか破綻せずに吹ききれた。いつものように 二次会に行って、12時に帰宅する。
3月22日(日)  藤沢のインタープレイでサルサのライブ。いつもたくさんのお客さんが来て 下さる場所なので、気合いが入る。  4時に入ってリハをし、その後皆でとんかつを食べてスタミナをつける。久 しぶりに食べるロースかつはおいしかった。  7時半に演奏を開始し、アンコール含めて14曲を演奏したが、広くはない 店がみるみるうちに満員になっていくのにはこちらの方が驚かされた。藤沢に はラテン音楽好きの人が多く、連絡を取り合って来てくれているようなのだ。 一緒に歌ってくれたり、プエルトリコの旗を振ってくれたり、もちろん踊って くれたりでお客さんに助けられたライブでした。演奏の方は、リズムが少々走 り気味になってしまいましたがまずまずのノリでした。  アンコールでは、プエリトリコ人のチャーリーがティンバレスを飛び入りで 叩いてくれて盛り上がりました。85様の来場で、お店の人も喜んでくれたよ うだし、また出演したいですね。
3月20日(金)  春らしい陽気になってきましたね。  ですが、今週半ばからかなり仕事がきつくなり、せっかくの休日なのにどう しても起きられず、とろとろ午後まで寝てしまった。もったいないことだ。  2時過ぎくらいにようやく起き出し、ノラ猫の相手をしてから、Bunka mura・ザ・ミュージアムへ「20世紀のはじまり ピカソとクレーの生き た時代」展を見に行く。ピカソ、クレーと画家の名前つきだが、彼らの作品が 中心ということではなく、現在改装中のノルトライン=ヴェストファーレン州立 美術館の収蔵作品を集めた展覧会である。この美術館は20世紀以後の現代美 術の収集で有名ということだ。  フォービスムからシュールリアリズムまで、20世紀前半の美術の流れが概 観できるようになっているが、収蔵作品展なので偏りというかバラつきがある。 そこが面白い。  一番興味深かったのは数多く展示されていたクレーの小品群で、中には落書 きスレスレの荒っぽいものもあった。即興で描きなぐったような絵の中に、気 まぐれな心の軌跡がしっかりと刻まれているようで、何度見ても見飽きない。 描かれていないことを大量に想像させるような描きぶりだ。他にもすばらしい 作品はたくさんあったが、初めて見るフランツ・マルクの「3匹の猫」が、ノ ラ猫の気ままな生活を生き生きと描き出していて、ノラ猫の面倒を見ている身 としては特に興味が持てた。  帰って仕事をして、更に詩を書こうとしたが書けず。
3月16日(月)  会社を定時であがって、サントリーホールへ。スクロヴァチェフスキー指揮 読売日本交響楽団の演奏で、ベートーヴェンの「荘厳ミサ曲」を聞く。  知られている割には、難曲なのと、合唱団・独唱4名という大編成のために 余り演奏されない曲だが、聞けて良かった、すばらしい演奏だった。  この曲は、第9交響曲とほぼ同時期に書かれており、華やかな中にも、後期 のベートヴェン特有の複雑な仕掛けが張り巡らされた音楽になっている。スク ロヴァチェフスキーは、ベートーヴェンが凝らした工夫を、目に見えるかのよ うに丁寧に紡いでいくことに徹しているようだ。短いフレーズを様々な楽器で 積み重ねて作る分厚い響きやうねりにうねるリズムが強調され、ベルリオーズ の音楽を予感させるように感じられた。読響も精密なアンサンブルでスクロヴ ァチェフスキーの要求によく応えていたし、合唱も独唱も良かった。  帰りに著述家の守屋さん、永谷園の川上さんとで軽く飲む。ふりかけとか漬 物とかいった食品は、不況のおかげで外食を控える人が多くなったため、かえ って売上げが伸びているそうだ。
3月14日(土)  午前中、溝口のジャムセッション仲間でやる内輪のライブのためのアレンジ をやってから、渋谷の喫茶店で詩の合評会。初めてお会いする小川三郎さんと いう方の「雪だるま」という詩が何とも不思議な作品だった。純朴な幸福を象 徴するものとして「雪だるま」があるのだが、それは所有権が厳しく定められ ていて、金によって売買される、というのだ。言葉の展開の仕方においてはも う一つこなれていない感じもあるのだが、お金で取引される「ささやかな幸福」 という設定は、今まで読んだことがなかったので面白かった。  途中で退席して溝口のスタジオへ。ぼくがアレンジしたスタンダード曲と、 自由曲で選んだチック・コリアの曲とヴォーカル曲の3曲を練習する。まあま あな仕上がりだった。ジャズヴォーカルは余りやったことがないというヴォー カリストが、練習のたびに良くなっていくので満足。  終って、就職する会社の研修で地方に行くことになったベーシストの陽平君 の送別会。溝口のちょっと洒落た居酒屋で11時過ぎまで飲む。焼酎をしこた ま飲んでしまった。帰ってからノラ猫たちに遅いご飯をあげて就寝。
3月7日(土)  最近忙しくて、午後は持ち帰った仕事を片付ける。  夕方近くになって区切りがつき、赤坂へアンドレ・ボーシャン展を見に行く。 アンドレ・ボーシャンは所謂「素朴派」の画家で、田園の風俗をテーマにする ことが多い。ぼくは、10年以上も前に世田谷美術館が所蔵する作品を見て以 来のボーシャンのファンだが、まとまった形で紹介されたのは今回が初めてか もしれない。  中年まで植木業に携わっていたボーシャンの絵は、緻密ではないが、暖かみ と幻想性があり、不思議な気分にさせられる。何か、日常の中にぽっかり楽園 が浮かんでいる、といった風情がある。今回の展覧会では、画題別に20点余 の作品が展示されていたが、特に良かったのは花の絵だった。学芸員の人が解 説文の中で「花の肖像画」だと書いていたが、うまい言い方だと思う。花の中 に「人格」のようなものを見ていたのかもしれない。  先週、去勢手術のため動物病院に預けたオス猫を迎えに行ったが、病院では かなり緊張していた様子で、見ていて少し胸が痛くなる感じだった。急いで連 れて帰って庭先に放したら、しばらくとまどっていたが、まもなく元気になっ て兄弟猫たちと遊んだ。食欲もあったのでひと安心。しかし、帰ってから輪を かけて甘えん坊になったような・・・。