2010年3月

<TOP>に戻る


3月27日(土)
 午後ちょっと仕事をして、夕方から溝口のジャムセッション。新しく来ら
れた方、ベテランの方のバランスが良く、楽しいセッションとなった。
 9時に失礼させてもらい、綱島のカフェバーで友人の岩渕淳一さんのピア
ノトリオを聞くに行く。音量を制限されていたが、良い演奏だった。驚いた
のは、お客さんが全員知り合い同士のように見えたこと。どうもこのバーは
この界隈では有名な場所らしい。若い人のたまり場になっているようで、店
のなじみのベースの渡辺さんにはひっきりなしに声援が飛んでいた。ぼくも
アンコールに一曲吹かせてもらって11時過ぎに終了。ドラムの藤田さんの
奥さん(歯科衛生士)から、歯磨きの際に歯磨き粉は余りつけてはいけない
と言われ、ええっと思う。


3月26日(金)  退社後、スタニスラフ・スクロヴァチェフスキ指揮読響の演奏を聞くため にサントリーホールへ。  曲目はブルックナーの8番。この曲は特徴的な3楽章以外はやや似通った 感じが続いて、実はちょっと苦手な曲なのだが、今日の演奏は単調さを微塵 も感じさせなかった。いやあ、すばらしいの一言。80を過ぎているのに相 変わらずリズムはきびきびしていて、指示が細かく、ちょっとしたフレーズ にも神経が行き届いている。どういう音楽作りをしたいかが明確で、その真 摯な態度が胸に迫ってくる。読響の演奏も最高で、すばらしい一夜となった。  終了後、著述家の守屋さん、書店員で小説家の原口さんと中華料理屋で食 事。
3月22日(月)  猫のファミとレドの様子を見に実家へ。  カゼはすっかり良くなって元気そうだった。一か月ぶりに会ったが、二匹 ともぼくのことをよく覚えてくれていて、すぐに走り寄ってきてくれた。し ばらく外に出さないようにしておいたせいか、ファミもレドもちょっと太っ ている。最近は猫は完全室内飼育が推奨されているようだが、ベランダの近 くに行ってはガラス越しに庭を覗く彼らを見ると、いじらしくて、多少リス クがあっても外で思い切り遊ばせた方が良いのではないかという考えが頭に 浮かぶ。  相手をしているうちに母親が帰ってきて、山菜のてんぷらの夕食。うどの てんぷらが特にうまい。母親とお金の運用の話などをする。  仲良く舐め合ったりご飯を食べたりプロレスごっこをしたりして、安心し きった様子のファミとレドを見ていると、家猫にして本当に良かったと思う。 特に甘えん坊のレドにとって、ノラ暮らしはつらかっただろう。  10時過ぎに東京に帰る。
3月21日(日)  例によって昼過ぎまで寝ていた。起きて好物のカッパ巻きを買ってきて食 べ、たまりにたまった本を古本屋に売りに行く。それからBunkamura ザ・ミ ュージアムの「美しき挑発 レンピッカ展」に足を運ぶ。  タマラ・ド・レンピッカは、19世紀末に生まれたロシアの画家。革命時 にパリに亡命し、社交界で活躍、華麗なタッチの肖像画で評判を取ったとい う。当時の女性としては珍しく自動車を運転し、また同性の恋人を持ったこ ともあった。  作品は、ロシア・フォルマリズムの土台を感じさせながら、そこに女性な らではとしか言いようのない感性を盛り込んだもので、優美さと力強さに圧 倒される。大恐慌後に制作された、難民を描いた作品でさえも、悲哀に押し 込められず、人間の気高さのようなものを描出しているのに打たれた。  レンピッカの作品は、彼女の高貴な出自の賜であるように思える。富貴が、 彼女に「どんな時でも世界を美しく見る余裕」を与えたのではないかという ことだ。うつ病に苦しんだ時期もあったようだが、その貴族性は最後まで失 われることはなかったようだ。
3月14日(日)  夕方まで書き散らかした原稿の整理をし、江古田のバディへサルサを聞き に行く。知人が参加しているコンフント・ヒバロは歌が良く、リズムも以前 よりはこれなれきた感じだ。ものすごく客が入っていて、最後方の席で聞く ハメになったが、楽しめた。後半は女性ばかりのバンド、ソン・レイナスが 盛り上げた。
3月13日(土)  13時半にルノアール渋谷南口店で詩誌「モーアシビ」朗読会の打ち合わ せ。結構トントン詳細が決まった。5/29に新宿の眼科画廊でやります。  その後、「現代詩の会」の詩の合評会。水嶋きょう子さんの「冬の日」は 土手を歩いた、という日常の些事を描いた作品だが、歩いているうちにトラ ンスしていって、異界に入り込んでいくような感覚を鋭く捕まえている。他 の4編の短詩も皆面白かった。川上亜紀さんの「スノードロップ」は、鉢植 えのスノードロップを買った日に見た夢のことを書いた作品。夢の中で、き まじめに生活している小市民的(?)な話者が、歯医者に行った記憶やらふ きのとうのてんぷらが食べたいという食欲やらをまぜこぜにした奇妙な<天 国>に昇ってしまう。細部はきまじめに、律儀な感じで進んでいくが、その 歩みの中に大きなイメージの飛躍があり、全体としてはナンセンスそのもの、 こういう作品は大好きだ。白鳥信也さんの「部屋で足をゆらゆらさせる」と いう詩は、題名そのままのことを丁寧に描いているが、足をゆらゆらさせる 動作が、人間から独立して、部屋を支配してしまうような面白さがあった。 提出された作品を読みながら感じたのだが、どうやら詩の勝負は、比喩の巧 みさやストーリーの奇抜さよりも、詩を進行させる声のセッティングの仕方 によって決まるみたいだ。作者と話者の関係のねじれ、話者と読者の関係の ねじれをどう演出していくか、この辺りが詩人の一番の腕の見せ所ではない かと思う。  終わって即効で溝口のジャムセションへ。ちょっと少ない人数だったが、 熟練者がそろっていて、普段余りやらない曲を初見でやってみたりした。
< 3月6日(土)  実家に帰り、猫たちの様子を見る。ひどい風邪をひいていたようだが、も うすっかり良くなっていた。ただ医者にかかった請求書には2匹で3万円弱 の金額が書かれてあり、動物は保険がきかないので治療費はかえって高くつ くというのは本当だと思い知らされた。  ファミもレドもぼくのことを覚えてくれていて、ぼくが用事で2階に上が ると2匹ともついてくる。抱いたり、猫じゃらしで遊んだりで、あっという 間に半日がたってしまった。  レドもこの家での生活に馴染んだようで、落ち着いた顔をしている。ファ ミもそうだったが、猫が新しい環境に完全に慣れるには3カ月かかるようだ。 こうやってみるとファミとレドはかなり性格が違う。レドの方が甘えん坊で 膝に飛び乗ってひっくり返って甘えたりするが、ファミはそうでもない。た だ、ファミは遊んでやるといつまでもついてくるところがある。ファミとレ ドの関係も良好で、一緒に遊んでいるし、これで心配なことはほぼなくなっ た。  ただぼくの方がちょっと風邪気味(笑)。仕事が山積みなので、何とか日 曜日じゅうに治してしまわなければならない。