2011年9月

<TOP>に戻る

9月25日(土)
 用賀のキンのツボでちょっと内輪のジャズライブ。17時に駒沢大学のスタジオ
で1時間半ほどリハをする。
 ボーカルものを含めて5曲。多少危ういところもあったがまずまず無難に演奏で
きた。リーダーの千葉香織さん(ピアノ)が30歳のお誕生日を迎えるということ
で、花束やプレゼントを渡したりと和気藹藹な雰囲気。千葉さんの舞台関係のお友
達もたくさんみえられていた。演奏後、対バンの「ホビッツ」を聞く。トランペッ
トの天野さんがうまくなっていてびっくり。これからの成長が楽しみだ。
 その後は、お酒を飲みつつセッションタイムへ。大勢の方と演奏し、お喋りでき
て楽しかった。

9月24日(土)  会社に行ってちょこちょこ作業。その後、アートガレー・カグラザカで「諸国お 化け物産会」展を見る。妖怪をテーマにした絵やお面や様々なグッズを展示してい る。怖いというよりかわいい感じが目立つ。とにかくバリエーションが豊かで面白 い。妖怪だけでこれだけ幅のある造形を作ることができるのは日本人だけなのでは ないだろうか。河童を象ったものが多かったが、どれも個性が豊かだ。招待してく れたアーティスト山下昇平さんと話をする。山下さんが作った鬼の面は、微妙な非 対称性が表情に揺らぎを与えてたまらなく魅力的だった。
9月23日(金)  無線LANのWimaxの調子が悪い。21日から全国的に不調だったらしい が、もう復旧したという発表がなされている。でもインターネットにつなげない。 電話してみると、一部の地域ではまだ不調が続いているという。ネットにつなげら れないなら契約は解除したいと電話したら、違約金が発生するかもしれないと言わ れてしまった。そんなバカな話はないので、何とかしてくれとお願いしたら、担当 者は努力すると言ってくれた。結果はどうなるかわからないが、こちらの気持ちを 汲んでくれる人がカスタマーセンターにいるのはありがたい。  夜、イメージフォーラムでイエジー・スコリモフスキ監督・ヴィンセント・ギャ ロ主演の映画「エッセンシャル・キリング」を見る。テロ行為を行い、米軍に追わ れるアラブ兵士が逃げる様子をひたすら撮ったもの。捕まって収容されたが、輸送 される途中、車が横転し、森の中をあてもなくただ逃げる。ヘリで追跡され、犬に 噛まれ、動物の罠に足が引っかかったり。飢えの余り、蟻塚の蟻を食べたり、木の 皮を剥いだり、果ては乳幼児を連れた女性を襲って母乳を飲んだりする。ヤバくな ると平気で人を殺す。台詞はなく、主人公が発するのはうめき声だけだ。極限状態 における、サバイバル・サスペンスだが、ヴィンセント・ギャロの演技が真に迫っ ていて引き込まれた。生き延びようとする意志だけが、人っ子一人いない雪原の中 でもがく様を静かにカメラが見つめている、という感じで、「詩的」な佇まいが印 象的だった。
9月19日(月)  連休最終日は二子玉川の瀬田温泉へ。初めて行ったのだが、送迎バスは家族連 れでいっぱい。安いお金で楽しめるという点は確かにいい。  結構ちゃんとした温泉施設で、泡湯も露天風呂もサウナもある。いろんな種類の 湯に漬かり、温まったら水風呂に入る。これが冷やっこくて気持ちいい。せっかく 温泉に来たのに最後は水風呂ばかり入っていました(笑)。  1時間ばかり楽しんで、あがった後はビール。疲れが取れて満足した。行きは暑 かったが、帰りは風も気持ち良く、駅まで歩いた。
9月18日(日)  詩集や詩誌を展示販売するポエケットに参加するため両国の江戸東京博物館の一 室へ。朝10時集合。ちょっと眠かった。今回はブースも余り多くなく、お客さん も少なかった。宣伝が行き届いていないのではないかなあ、とも思った。それでも 午前中にそれなりに売れ、ぼくの詩集を買ってくれた方もいた。午後は結構ヒマで 時間をもてあます。企画として、朗読パフォーマンスと対談があった。どうせお祭 りなのだからもう一部屋借りて、そこを朗読スペースにしてしまえば人が集まるの ではないか、とも思った。  16時半に片づけを終えて退出。
9月17日(土)  午後、「現代詩の会」の詩の合評。ちょっと遅れて着いたらもう作品がたくさん 提出されていた。川上亜紀さんの「安全ピンと芍薬」が面白かった。買い物を頼ま れて出かけるうちに、お使いにいく小さな子供のような気分になってしまう。その 意識の変化が丁寧に描かれている。  夜はゴールデン街のフラッパーに行って、若いミュージシャンたちとミニセッシ ョン。テンポの速い曲ばかりやった。原朋直先生のクラスに在籍のイケヤさんとお 会いする。
9月16日(金)  退社後、詩誌「モーアシビ」の発送作業をやりに七月堂へ。だが、白鳥さんしか いない。他のメンバーは都合が悪かったり体調を崩しているのだという。季節の変 わり目なので風邪には気をつけましょう。二人で作業をしたが、白鳥さんが準備を してくれたおかげでそれほど時間はかからなかった。  七月堂にいついている猫の説明を受ける。ノラ猫なのだが、自分の家のように入 ってくるのだという。半分家猫のようなものだ。  作業後、白鳥さんと二人で近くの居酒屋へ。酔った勢いで、詩のこととか、日本 の対外関係(!)についての考えとかを熱く喋ってしまう。
9月15日(木)  午後、ポエムカフェ「中庭ノ空」へ。詩集『真空行動』を置かせていただく。店 主の五十嵐さんと話す。日曜日はイベントでいっぱいなのだそうだ。そのうち足を 運ぼう。アイスコーヒーとキノコを乗せたコッペパンのトーストを注文。おいしか った。村野美優詩集『草地の時間』を購入。  その後、東京国立近代美術館にイケムラレイコ展「うつりゆくもの」を見に行く。 イケムラレイコは80年代からヨーロッパを中心に活動している美術家で、作風は 「ジャポニズム」である。もちろん、ただのヨーロッパ人受けする東洋趣味ではな い。「西洋人から見た日本」を意識的に逆輸入して、それを素材に自分の感性を込 めた独自な創作を行っている、という感じだ。絵画から写真、彫刻に至るまで、手 段は多様であり、豊かな物語性がたまらなく魅力的だった。構成が非常によく考え られていて、各部屋の作品群が一つの作品として主張をしているように感じられた。
9月14日(水)  一晩泊って今日も実家。ファミとレドの相手をしてから板張りのところの拭き掃 除をする。猫の毛が結構落ちていて、使い捨ての掃除用の紙で丁寧に拭き取る。時 間はかかったが結構きれいになった。その後、ショスタコーヴィチの5番をLPレ コードで聞く。抒情的で歌謡的なメロディーが心に染みる。宮部みゆきの『チヨ子』 を読み、散歩に出かける。昔と変わったところと変わっていないところの対比が面 白い。夕食にソーメンと野菜のてんぷら。9時すぎに東京に戻る。
9月13日(火)  遅い夏休みを取り、実家に帰る。土産にでこぽんのジュース2本。ドアを開ける と猫たちが迎えてくれた。どちらも健康そうなので安心する。猫たちは以前よりも 落ち着いた様子で、動作もどっしりした感じになっていた。考えてみればもう4歳 になる。大人の猫に成長しているのだから当たり前かもしれない。早朝に外に出す が、2時間くらいで戻ってきて、その後の1日はゆったりと過ごしているそうだ。 ファミは外で遊ぶよりも、家の中を何度となく歩き回って、マーキングの動作を繰 り返す。縄張り意識が強く、家の空間は全部自分のものだと思っているのだろう。 レドは相変わらずちょっと臆病なところがあるが、より甘えん坊になり、何より食 いしん坊になっていた。エサを食べたばかりなのに、人間が食事していると、人が 座っていない椅子に上がり込んで食卓を覗く。猫の体に悪くないものを選んでおい しいものを食べさせたりするものだからますます図に乗る、というわけ。まあ、か わいいからいいか。  両親に土産と詩集『真空行動』を渡す。表紙がファミの写真なので喜んでいた。 夕食にさんま焼きを食べる。脂がのっていてうまい。子供の頃は、サンマは細かい 骨があるし、内臓が苦いしで、ちょっと苦手だったことを思い出す。
9月4日(日)  昼過ぎに起き、カップラーメンを食べた後、メルマガに乗せるコラムの終盤部分 を書き、脱稿する。なかなか書く時間が取れなかったので書き終えてほっとする。  それから詩集の発送をちょっと行う。次の土曜日には残り300部が届くので、 それまでにこの50部を片づけてしまわなければならない。  5時に家を出て、六本木のクラブ「エルカフェラティーノ」へ向かう。今日はサ ルサのライブ。この店には一度出演したことがあったが、今回で10年ぶりになる だろうか。店は大きくはないが、奥行きがあって、ダンスするスペースはかなり広 い。その代わり、演奏する場所は狭いがそれは仕方ないだろう。リハーサルは快調 に進み、近くの中華屋で食事。それから店の中で待機していたが、クーラーが効き すぎていて演奏直前にお腹が痛くなってしまった。体調不良を抱えて演奏したので 前半は結構ミスをしてしまった。残念無念。休憩時間に体調を立て直し、後半はま ずまずの出来だった、お客さんは踊り慣れた人ばかりで、声援も送ってくれ、盛り 立ててくれてありがたかった。お店の人も陽気でいい感じの人ばかりだったし、ま た是非出演したい。
9月3日(土)  4冊目となる詩集『真空行動』50部が届く。早速、モノを確かめてみると、想 像した通りの造りだった。七月堂の知念さん、内山さん、ありがとうございます! 表紙には、ぼくがケータイで撮ったピンぼけ気味の愛猫ファミの写真(椅子の上に 寝転がっている)を使った。引き延ばしたらもっとボヤけるかと思ったが、そうで もなかった。裏表紙には内山さんが探してきてくれた路地の写真が入っている。う らぶれた感じが詩集の中身に似会っていていい。  この詩集のコンセプトは「詩作品と思われなくてよい」というもの(笑)。いや、 冗談でなくて、本当にそうなのだ。書き流した外見の、但し「釣り」の部分をあち こちに仕掛けた単なる「文」を、読者に投げつけてみる、という形になっている。 比喩を散りばめた「詩作品」としての体裁は、このコンセプトには邪魔でしかない と思い、思いきって「詩的要素」を切り捨てる作戦を取ってみた。その方が読者と の距離を縮められるのではないか、と考えたわけだ。特に、詩集の後半は、ノラ猫 へのエサやりの記録が占めていて、これはもう、どこが詩なんだか、という感じの ものなのである。  詩は、詩に「詩らしさ」を求めて評価づけをする出版文化から一度距離を取った 方が良いのではないか。インターネット上で、ブログやツイッターやフェイスブッ クが出現し、新しい日本語の形態が出てきたように感じているが、こうした活字媒 体以外の媒体で読み書きされる日本語に、詩はもっと近づいた方が良いのではない か。詩は、詩らしさを磨きあげるよりも、読む人(読んでくれそうな人)に体当た りするような姿をしていた方が良いのではないか。そんなことを考えたわけです。  その分、言葉の安定感は悪くなるし、自分では相手に何がしかのメッセージを投 げつけたつもりなのに、「ふーん、それでどうした?」なんて言われてしまう危険 性もあると思う。実際、その辺りは自分でもよくわからないのだ。  ともあれ、ぼくは今までそうしてきたように、自分の直感を信じて、行き当たり ばったりに書きたいように書くようにいた。恐らく、独りよがりの部分も多いだろ うが、それについての批判があればきちんと受け止めて次に進みたいと思う。