2018.12

2018年12月

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12月31日(月)
 いよいよ一年の最後の日。朝食後、部屋の不用品を整理し、トランペット
の練習。それから近所をウォーキングし、リンガーハットで昼食をとり、そ
の後、喫茶店ポエムへ。先日亡くなった入沢康夫の『詩の構造についての覚
え書き』(思潮社)を読了。詩の作者、発話者、登場人物、読者の関係を手
際よくまとめている。入沢の詩は前衛的なものだが、この詩論は教科書的と
言ってよいほど明快でわかりやすく展開されている。詩の作者は詩の発話者
とは明確に区別されるべきであるが、同時に、作者と発話者は曖昧に依存し
あう関係でもあり、そこに読者も加わって、詩の文学空間が形成されるとい
う論理。ぼくの言葉で言い換えれば、作者の自我が逆説的な形で発話に流れ
込み、読者に浸透していくということ。現代詩というジャンルの基本構造を
うまく説明していると思う。
 帰ってトランペットの練習。その後、紅白歌合戦を観ながらシャモの蕎麦
を食べる。蕎麦はダシが効いていておいしかった。紅白の方は低調そのもの
という感じ。歌よりも見た目の派手さが重視されている感じで、演歌のバッ
クでと関係ないダンスが披露されていたりする。歌自体は旧態依然。日本の
売れセンのポップスのダメさ加減が暴露されているようだ。早々と観るのを
やめ、もう一度入沢の本をパラパラ読み直す。

 一年間、どうもありがとうございました。来年もどうぞよろしくお願い致
します。良いお年を。
12月30日(日)  朝、テレビで日本とアメリカの負の歴史を振り返るという番組をやってい て、見応えがあった。政治、経済、軍事のどの面においても、アメリカは常 に日本にプレッシャーをかけ続け、日本はひたすら受け身で耐え続けてきた ということがわかる。日本の「平和」と「民主主義」はアメリカへの追従に 支えられてきたものということ。何とも情けないことだが、アメリカと争う 道を選んだ中米各国は貧しい独裁国家になってしまっている。アメリカが世 界の警察をやめるという事態になった場合、日本がどうふるまえば良いかに ついて考えさせられる。  朝食後、窓のガラス拭き。普段余り掃除しないところがきれいになってい くのは嬉しい。庭の水まきと伸びすぎた枝の剪定も行う。昼食後、のんびり してから妻と河辺の温泉ランドへ。国分寺までウォーキングし、冬の景色を 楽しむ。河辺の温泉ランドは年末に足を運ぶことが多いが、今日は結構混ん でいた。もちろん入れないほどではないし、むしろ大勢の人と一緒にお湯に 浸かるのが楽しい。露天風呂やサウナにも入り、温泉ランドの楽しさを満喫 した。湯から出てマッサージに。上手にやってもらい、体の凝った部分がほ ぐれた。それから国分寺の居酒屋こてつで一年のお疲れ様会。去年も来て気 に入っていた店だ。海鮮サラダ、揚げだし豆腐、魚の頭焼き、海鮮鍋を注文。 魚はスジアラで、ここで出す魚は全て五島列島で獲れたものだという。一本 釣りで釣ったものらしく、身の中に釣り針が入っていた。店員さんに謝られ たが、こういうハプニングはむしろ面白い。味はとても良かった。この居酒 屋さんは小さいけれど、どの料理も工夫を凝らしていて、良いもの食べたな あという気持ちにさせてくれる。また妻とここでお疲れ様会をしたいものだ。
12月29日(土)  冬休み一日目。ゆっくり起きて朝食後散髪へ。短めに切ってもらった。そ れから運転の練習。それから大掃除。掃除機をかけ、床の拭き掃除を念入り に行う。膝が痛くなってしまったが、隅々まできれいにできて満足。掃除と というのは真剣にやり始めると夢中になってしまう。確かドラマの「結婚で きない男」にもそんな場面があったな。トランペットの練習をし、いただい た詩誌や詩集の御礼の手紙を書く。それからおでんの夕食。練りものって普 段は余り食べないがおいしいものだ。
12月24日(月)  風邪はだいぶ良くなったが完治とは言えない。今日も静養を中心に過ごす ことにする。午後、運転の練習と年賀状の印刷。ラベル印刷の仕方をすっか り忘れていて苦労する。昼食はチキンのソテー。妻にクリスマスプレゼント にもらった防寒着が良い感じ。夕方、書きかけていた詩を完成させる。それ からYouTubeで宮台真司の改憲論を聞く。鳩山由紀夫は実はハト派などではな く、対米中立を目指して日本の重武装化をもくろんでいた、中国との接近は 重武装化を果たす上で、近隣国と信頼関係を作るために必要だった、とのこ と。なるほどねと思う。夕食はレンコン餅と焼いた紅鮭、豆腐と白菜のスー プ、ブロッコリーとシーチキンのサラダ。レンコン餅がモチモチした舌ざわ りでおいしかった。クリスマス風な食事ではないが、土曜日におなかいっぱ いフレンチを食べたので、むしろこういうご飯がおいしい。早めに休むこと にする。
12月23日(日)  目が覚めたら風邪をひいていた。昨日のバレエ鑑賞の際に誰かのウイルス をもらってしまったのか? とにかく今日一日は安静に過ごすことを決意。 あったかくして寝たり起きたりを繰り返す。やり残してきた会社の仕事を少 しやったりする。昼は妻がコンビニで買ってきてくれたうどん。結構おいし い。コンビニのうどんも進化したものだ。買っておいた『幽』30号を拾い読 み。これが最後の号という。寂しいが、逆に言えば雑誌が厳しい時代に30号 も続いたことがすごいと思う。充実の誌面だ。夕食はタラの水炊き。
12月22日(土)  午前中掃除をすませ、バレエ「くるみ割り人形」を観るために八王子のオ リンパスホールへ。地元のバレエ団シャンブル・ウエストによる公演だ。ス ターバックスで時間を潰し、13時開園。盛況で、演目が演目なだけに子ども たちがいっぱい来ている。全体を通してすばらしかった。このバレエは小さ い時にテレビで見て以来、とても好きなのであるが、主要な役回りのダンサ ーは皆うまく、群舞もしっかりしていて、安心してファンタジーの世界に浸 ることができた。序曲の時にお喋りしていた子どもたちが、幕が上がると同 時にしいんとして、反応が素直で面白かった。このバレエは、ストーリーの 主人公はクララだが、第二幕の後半は金平糖の女王の踊りが見せ場になる。 物語上のヒロインはクララだが、バレエの主役は金平糖の女王ということ。 クララは、くるみ割り人形が変身した王子と金平糖の女王が織りなす男女の 愛の世界を、料理を頬張りながら見て、拍手喝采するという役回りである。 クララはあくまで無邪気な子どもであり、決して背伸びすることがない。そ の健全さがとても良い。ホフマンの原作はちょっと怖い感じもあるのだが、 バレエの方はエンターティメントなのだからこのくらいが丁度いい。チャイ コフスキーの音楽は、改めて聞いて、本当によくできていると思った。おき まりのコード進行をもとにこれだけ起伏のあるメロディーを思いつけるなん て信じられない。洗練されたサウンドの中に、ところどころに顔を出すスラ ヴ的な節回しはこの上なく魅力的だ。終演後に、子どもたちに人形をプレゼ ントするというサプライズつき。妻も満足して観ていた。  見終わって武蔵小金井に移動し、TERAKOYAというフレンチの店で クリスマス・ディナー。古い洋館を改造して作ったと思われるレストランで、 日本庭園もすばらしい。料理はどれもすごく凝っていて、かつ斬新。馬刺し やあん肝を使うなど、和食のテイストも積極的に取り入れている。ワインも 良いものを選んでくれた。但し食が細くなってしまったのか、メインディッ シュの和牛のポワレが完食できなかった。味はすばらしいのに何とも残念な ことである。今度はランチに来て昼間の庭園を眺めながら食事したいものだ。
12月21日(金)  大腸内視鏡検査。朝から下剤を飲み、11時に病院へ。麻酔をして検査はあ っというまに終わった。とった細胞の分析はこれからだが、見た感じでは特 に問題はなさそうとのことでひと安心。昨日からたいしたものを食べていな いので、ラーメンをがっつり食べる。それから徒歩で帰宅したが、麻酔がき いていてだるくて仕方がない。帰ってベッドへ。夕方、会社の年賀状書き。 夕食はサワラの照り焼き。妻に誕生日プレゼントのあたたかいスリッパを渡 す。
12月16日(日)  経堂のスタジオでポップスバンドのホーンセクションのレコーディング。 12時から17時までみっちりやった。こういう本格的なレコーディングは初め てだったので、いろいろ面白かった。同時に、音程とかリズムの自分の甘い 点がよくわかり、今後の参考になった。18時から同じスタジオでサルサバン ドのリハ。唇が腫れてしまって、後半は音が出なくなってしまった。
12月15日(土)  健診で引っかかり大腸内視鏡検査をお願いするため胃腸専門の病院へ。最 初1月5日に予約を取ったのだが、妻がもっと早くやらなきゃだめというの で、来週金曜日に休みを取って検査することに。診察の後、お気に入りのカ フェ自然館で食事。ナポリタンとコーヒー。歩いて帰宅し、車の運転と掃除。 トランペットの練習をし、詩作。夕食はカキ鍋。
12月9日(日)  朝食後、詩作にとりかかる。無印良品のハヤシライスの昼食。15時頃、大 部分を書き上げる。もう少し推敲しなければならない。その後、最近よく行 く小平駅前の喫茶店ポエムでコーヒーを飲みながら詩集の赤入れ。息抜きに ゴルゴ13を読む。世界情勢を良く調べていて感心する。18時半まで長居し、 帰宅。夕食はカレイの煮つけ、イワシのツミレ汁、トマトと豆のサラダ、ほ うれん草のお浸し。久しぶりに食べたカレイが実にうまい。  テレビや新聞でフランスのマクロン政権に反対するデモのことが報じられ ている。デモの参加者が学生中心などではなく、普通のおじさん・おばさん たちであるのが日本とちょっと違うなという感じ。過激なデモの様子を見て いると、ヒラリー・クリントンがトランプに及ばなかった理由がわかる気が する。マクロンもヒラリーも中道左派という立ち位置だが、中道左派は多様 性を重視するが故に、グローバリズムとの親和性が高い。自然とグローバル 企業の優遇や金融資本主義の重視に傾いてしまい、「もともといるマジョリ ティの国民」を淘汰する方向に流れてしまう、そんな気がする。本来リベラ ルは富の再分配に力を入れるものだが、結果としてその経済政策は強者に見 方するものになってしまっているのではないだろうか。マクロン政権が倒れ た後に台頭するのは右派だろう。憂鬱な気分になってしまう。
12月8日(土)  ゆっくり起きて朝食後運転の練習。その後掃除。床拭きロボと一緒に掃除 機をかけていると、自分もロボットになったような気分になる。それから聖 蹟桜ヶ丘へ。今日はルーズボックスという店で自分のカルテットのライブが ある。少し早く着き場所を確認。カレースタンドでハンバーグカレーを食べ、 ドトールで時間を潰す。古本屋で注文した入沢康夫の『詩の構造についての 覚書』を読む。虚構としての詩の在り方を丁寧に論じているという印象。6 時半頃店に入り、短いリハ。7時半スタート。マイルス・デーヴィス、セロ ニアス・モンク、ビル・エヴァンス、ケニー・ホイーラーの曲を演奏。少し 力んでしまいミスもあったが、バンド全体としては良くスィングできたと思 う。メンバーは皆頑張ってくれた。対バンのギター・カルテットとこの店の ハウスバンドの演奏が続き、その後セッションで数曲演奏する。妻と、妻の 友人で哲学者のOさんが来てくれた。Oさんは来年あたりに岩波書店からダ ニエル・デネットの翻訳書を出すという。楽しみだ。10時前に店を出て帰宅。
12月2日(日)  夫婦で寝坊。朝食をとり、トランペットの練習。それから国分寺方面に散 歩。途中の古本屋で先日逝去された入沢康夫の詩集を買う。前衛の時代の真 ん中を生きた人であり、「詩とは何かを考えること」を創作の核に据える態 度が徹底していて刺激的だ。立ち喰い蕎麦屋で生姜天蕎麦を食べ、紀伊国屋 で立ち読みして帰宅。詩集原稿の赤入れをする。夕食はキムチ鍋。寒くなっ てくると鍋ものが本当においしい。
12月1日(土)  早いものでもおう今年最後の月。かなり寒くなってきた。庭では柚子が幾 つもなって豊作のようだ。朝食後、運転の練習をし、読書をする。そうこう しているうちにポップスバンドのリハの時間が近づき、慌てて経堂へ。帰っ て簡単な夕食を作る。職場の方とICUのオルガンコンサートに行った妻が 帰宅し、感想を聞く。プログラムを見せてもらうと本格的なコンサートだっ た。俄然オルガン音楽が聴きたくなり、youtubeでブクステフーデの作品を幾 つか鑑賞。自由で複雑にくねる響きが魅力的。バッハが夢中になったのもわ かる気がする。それはそうと、昨日の朝日新聞に浅田彰がベルナルド・ベル トルッチの追悼文を書いているが、その中で「端的に言って、ゴダールやパ ゾリーニのあと映画が可能か。ヌーヴェル・ヴァーグを自分なりに変奏した 瑞々しい「革命前夜」の後で若きベルナルド・ベルトリッチが直面したのは、 そんな根源的な問いだった」なんて書いている。おいおい、本気でそう思っ ているのか。表現者が創作にあたって、そんなヒマなことを考えているわけ ないだろう。目の前の素材をどうするかで頭がいっぱいのはずだ。ゴダール やパゾリーニのあと映画が可能か、など、根源的な問いでも何でもない。自 分の立ち位置を決めてから創作するなんてことは単にマーケティングの問題 であり、そういう戦略が必要な場合もあるかなという程度である。他人が気 になって仕方がないような人はそこまでの人であり、ベルトリッチは明らか にそういう人ではない。こういう紋切型の文章はやめて欲しいなと思ってし まう。