2019.11

2019年11月

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11月30日(土)
 掃除の後、黄金町のナイトファイアーへ。サルサのライブ。リハの後、ラ
イブまでたくさん時間があったので通りをぶらぶら。昼にカレーを、夜にホ
イコーロー定食。ここは食べ物屋さんが充実しているし歩いていて楽しい。
但し、新刊書店は少なくて大きいところは有隣堂くらいだった。他のバンド
の演奏も聞く。ダンス教室に通っているとみられる客が多く、皆上手に踊っ
ていた。年齢層は高く、平均40代以上かと思われる。若者より中高年が元気
という感じか。キューバ人のダンスの先生の踊りがすばらしかった。19時頃
ぼくらのバンドの番になり、デスカルガを含めて1時間ほど演奏した。とに
かくお客さんに盛り上げてもらったという感じ。演奏も大きなミスもなくま
ずまずだったのではないか。帰りに「有明けのハーバー」を土産に買う。
11月26日(火)  退社後、マレク・ヤノフスキ指揮ケルン放送交響楽団のコンサートを聴き にサントリーホールへ。曲目はベートーヴェンの「皇帝」と「英雄」。「皇 帝」のピアノはチョン・ソンジン。プログラムもオーソドックスだが、演奏 ぶりも正統派そのもので、がっしりとした風格ある演奏だった。チョン・ソ ンジンのピアノも過不足ない堅実な演奏。「英雄」は深々した響きで、実に ベートヴェンらしいベートーヴェンだった。終わって守屋さんたちといつも の中華料理店で食事。
11月24日(日)  今日も寝坊。読書などでゆっくり過ごし、夕方サルサバンドの練習へ。途 中、リカーランドなかますでギリシャのワインを購入。帰って年末調整の書 類作り。
11月23日(土)  疲れていたのか11時半まで寝てしまう。起きて運転と掃除他の家事。雨が 降っているのでどこにも行かず、詩作。夕方、脱稿。ほっとする。夕食は豚 肉のスペアリブ。
11月21日(木)  退社後、異動する先輩社員の送別会。温厚な性格でいつも適格な判断をす る人だった。いろいろ教えていただき感謝している。ありがとうございまし た。
11月17日(日)  今日も寝坊。遅い朝食の後、小金井公園へ。晩秋という感じで紅葉も盛り を過ぎている。でも、こういう落ち着いた風景は好きだ。ぶらぶら歩き、く ら寿司に入って昼食。帰って詩作。夕食は煮物とカブの味噌汁。味噌汁は白 みそをベースに上手にダシをとっている。妻が作る汁物はいつもおいしい。 食後のデザートのカキも絶品。
11月16日(土)  寝坊。朝食の後、運転と掃除。午後、新作の詩を書き始める。天皇の即位 の儀式がテーマ。なかなか進まず、夕方トランペットの練習。夕食はスーパ ーのお弁当で済ます。
11月10日(日)  原宿クロコダイルでサルサのライブ。早めに家を出て、原宿の太田記念美 術館で「ラスト・ウキヨエ」展を見る。明治期の浮世絵作品が展示されてい る。遠近法が適用されていたり明確に縁取りがされていたりと、西洋絵画の 手法を多く取り入れながら、頑として浮世絵であるところがすばらしい。現 在の漫画に近いところもあり、先鋭性もうかがえる。徒歩でクロコダイルへ。 原宿は外国人がいっぱいで通りによっては歩くのも大変なくらい。リハを終 えてうどん屋で夕食をとり、タワーレコードへ。アヴィシャイ・コーエン、 エクトル・ラボー、川本真琴を購入。ぶらぶらしていたら携帯に電話が入り、 本番始まるとのこと。いつもは8時すぎに始まるのだが、今日は7時半かっ ちりに開始とのこと。急いで店に戻るが一曲目に間に合わなかった。ああ、 申し訳ない。その後、2ステージを吹き通し、名物のかち割ワインを一杯飲 んで帰宅。
11月9日(土)  寝坊して朝食後、運転と掃除。明日サルサの本番なのでトランペットの練 習をする。夕方、散歩に出る。かなり寒くなってきた。  フェミニストを名乗る人の一部が、表現と道徳の一致、つまり社会主義リ アリズムみたいなことを唱えていてびっくりする。私が共感してきたフェミ ニズムは自由を推進するもののはずだったが。
11月4日(月)  一日中、コラム原稿書き。今村夏子の芥川賞受賞作『むらさきのスカート の女』を論じる。自分探しを拒否する語りに注目した。夕方、散歩に出る。 炒めものなどの簡単な夕食。何とか脱稿できた。
11月3日(日) 午後13時からジャズバンドのリハがあったことを忘れ、吉祥寺のスタジオ に駆け付ける。明日だと勘違いしていた。平身低頭で誤って、最後の30分、 モンクの曲を中心にみっちりやる。2月にライブできれば、という話になる。 18時からはサルサバンドのリハ。音楽漬けの一日。
11月2日(土)  朝食後、ぼんやりネットを見て、運転と掃除。トランペットの練習をして 小平駅まで散歩。喫茶店ポエムでコラム原稿を書く。帰って夕食の支度。チ キンカレー。  宇崎ちゃん献血ポスター問題について。性表現の判断は主観的な要素が強 く明確な線引きがない。一定の人間の性的嗜好を反映するがために対象とな る範囲の人への差別的要素が入り込むこともあるが、表現とはそもそも何等 かの権力作用を反映するものであり、これを否定することは表現の自由を侵 すことになるだろう。故に、掲出・発表場所のゾーニングが重要になってく るが、その判断も主観に寄らざるを得ない。正解はない。宇崎ちゃん問題の 例で言えば、不特定多数の人が集まる場所なのだから、萌え絵を使うにして ももう少しおとなしめのものを使う配慮が必要だったのではないかと思う。 身体の特定の部位を大きく強調した絵を見て、自分たちの性がモノとして扱 われていると侮辱的に感じる女性が出てくるだろう。一方、宇崎ちゃんは一 定の男性の性的嗜好を反映した姿をしているが、人格を備えた物語の登場人 物であり、決して胸のオバケなどではない。またヌードではなく着衣姿であ る。こうしたものを全否定すると、表現の自由が損なわれるだけでなく表現 の世界自体が味気なくなってしまうだろう。宇崎ちゃんに賛同する方も否定 する方も、意見を言う場合はもう一方を思いやることが大事、力ずくの解決 はなしにしよう、という考え。