2020.9

2020年9月

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9月27日(日)
 朝食後、だらだら過ごして一橋学園方面に散歩。ケバブサンドセットを食
べ、喫茶店で読書。最近ではちょっと暑い日。帰ってまた少し読書して夕方
サルサバンドの練習。といったゆったりオフの一日でした。
9月26日(土)  小雨。朝食後運転と掃除。コンビニで買ったそばで昼食をすまし、トラン ペットの練習をする。久々に締め切りを考えなくていいので楽な一日。夕方、 ポエムに行って読書。夕食はチキンとジャガイモのトマト煮、豚汁。丁寧に ダシをとった豚汁が超絶的においしかった。 ツイッターでトランス女性は女性ではない、という意見がかなりあることを 知り愕然。 SNSに挙げた詩集の感想: 水田宗子詩集「うさぎのいる庭」(ポエムピース)を読んだ。 かわいらしいうさぎのイラストの表紙で、本文中にも美しい絵が挿入されて いる。 清潔感のある、やや抽象的な、かつメルヘンタッチな言葉遣いが印象的。 うさぎのイメージを使いながら、自らの心境を語っていく。 独立心が強く、来る者は拒まず、去る者は追わず、 水のように淡々としながら好奇心は旺盛のようである。 こうありたいと願う自分の理想の居場所を、 童話的な設定を生かして象徴的に表現した詩だが、 心境をベタに語らず、自己を上手に突き放して、 あたかも動画のように描いているのがいいなあと思う。 心の動きをイメージのきびきびした動きとして言葉に結晶させているという こと。 そのクールな筆遣いが、心境を語る詩に多い甘ったるさや説教臭さを削ぎ落 し、読者は上質なアニメーションを見ているような気持ちにさせられる。 末尾の作品「透明人間」は、「作者は誰だ?」の一行で終わっているが、作 者もまた登場人物の一人として、自身の変化を楽しんでいるような、若々し い茶目っ気を感じる。
9月22日(日)  連休最終日。ゆっくり起きて庭の草むしりを少々。トランペットの練習を して、ウォーキング。くら寿司で昼食。かなり混んでいた。ガストに寄って、 ドリンクバーを注文。『どんどん詩を書いちゃえで詩を書いた』の感想を書 き上げ、持ち帰った会社の仕事も済ませる。昼間からおじさんたちが楽しそ うに宴会をやっていた。コーヒー飲むようにちびちびビールを飲んでいる。 ファミレスだと深酒しなくてちょうどいい酒量に収まるのかもしれない。夕 食は豚肉とカボチャの炒め物。姪っ子の再就職決まったとのこと、良かった。 SNSに挙げた詩集の感想: 石塚理昭詩集「ドラムス少女」を読了。散文体で書かれており、淡々とした 調子のモノローグから成る。 基調にあるのはある厭世観で、暗いという程ではないのだが、世の中を2,3 歩引いたところから、斜めの角度で見ているという感じである。最初の方は 言葉遊びを入れて、言葉の模様のようなものを見せていくことに力点を置い た一種の文語詩で、まるで漢詩を読むような印象がある。 表題作の「ドラムス少女」からは話者の見聞したものや体験をテーマにした ものが多くなり、動きと変化が出て俄然興味を掻き立てられるようになる。 済んでしまって今更そうすることもできないことを、思い返して掌の上で転 がした上で、特にどうもしない、といった冷めた視線が徹底されている。 「冷める」という行為を飽かずに繰り返すことで、自分と世界の関係を確認 しているかのようである。 ニヒリズムを徹底して悟りを開いているようであり、悟る状態を楽しむこと で改めて人生を噛みしめているようにも見える。 「ドラムス少女」は、住宅地の真ん中で一人の少女がドラムセットを持ち込 んで細かく調整し、スティックを構えるものの、音は一切鳴らさず、叩く振 りだけを汗を滲ませながら一生懸命続ける、というもの。何とも不思議な光 景であるが、無為でありながら夢中である少女の様子に魅了されている話者 の視線に、著者独特の虚無的なダンディズムがよく表れているように思う。
9月21日(月)  妻の生母のお墓参り。上大岡の街は賑わいを取り戻していて、飲食店など どこもいっぱいだった。戦没者慰霊堂が閉園の日だったので、迂回した道で 墓地へ。既にきれいに掃除されていた。細かなゴミなどを取ってお花を供え お線香をあげる。晴れていて良かった。駅近くの蕎麦屋であさり汁せいろを 食べ、まっすぐ帰宅。駅からは歩く。帰って『どんどん詩を書いちゃえで詩 を書いた』の感想の続き。夕食は鳥大根。
9月20日(日)  遅く起きて朝食後トランペットの練習。昼食に妻が作ってくれたチキンの ペンネを食べ、『どんどん詩を書いちゃえで詩を書いた』の感想を書く。志 郎康さんの熱い言葉の奔流に圧倒される。午後、青梅街道駅付近までウォー キング。高倉町珈琲に入ってアップルジュースを注文し、『どんどん詩を書 いちゃえで詩を書いた』の感想の続きを書く。夕食は、からすがれいのつけ 焼き。
9月19日(土)  連休初日。ちょっと曇っている。朝食後、車の運転をし、掃除。それから トランペットの練習をする。合間にコレルリの合奏協奏曲を聞く。コレルリ の音楽は、派手ではないが、複雑な音の綾とここぞという時の美しいカンタ ービレが魅力で、ぼくはバッハのブランデンブルク協奏曲よりもずっと好き だ。バッハ以上にロマン派の前身という感じがする。スーパーのお寿司で遅 い昼食。軽くウォーキングをし、パン屋もやっている喫茶店で水田宗子さん の詩集「うさぎのいる庭」と石塚理昭さんの詩集「ドラムス少女」を読む。 前者はややメルヘンタッチのライトヴァースで、うさぎのイメージを軸とし、 希望と諦念の混じった複雑な心境を清澄な感じにうたいあげるもの。後者は 散文詩集で、独特な厭世観を軸に、頭の中で生成される妄想や過去の体験を、 突き放した感じで冷徹に描くもの。帰って夕食。金目鯛のトマト入り蒸し焼 きとカボチャとひき肉の煮物。
9月13日(日)  朝食後お風呂の掃除をし、草むしり。毎週少しずつやることにした。終わ って贈られた詩集を少し読み、一橋学園方面へ散歩。コーヒーも飲める写真 屋ヤマヤで『どんどん詩を書いちゃえで詩を書いた』の感想を少し書く。夕 方サルサバンドの練習へ。終わった後、オムライス屋さんで食事。おいしか った。サービスでオレンジシャーベットがついてきた。エディタ・グルベロ ーヴァ引退か。ヨーロッパへの卒業旅行で最後に立ち寄ったロンドンでグル ベローヴァを聞いたのだった。R・シュトラウス「ナクソスのアリアドネ」。 コリン・デーヴィス指揮ロイヤル・オペラハウス管弦楽団。1987年3月11日。 忘れられない。
9月12日(土)  小雨ガポツポツ。朝食後、運転をして掃除。トランペットの練習の後に『 イギリス海上覇権の盛衰』を読む。夕方、読了。著者ポール・ケネディは英 国人だが母国の衰退に対して容赦がない。日本のこともちょくちょく出てく る。日英同盟がイギリスにとって必要でありかつ危険な匂いのするものであ ったことがわかり、面白かった。夕食はチキンのソテー、カキの缶詰とジャ ガイモの炒め物、タマネギとサケのスープ。次期総理は菅になりそう。また 似たような政治が続くのかと思うとうんざりする。
9月6日(日)  朝食後草むしりをし、ネットサーフィンした後、ウォーキング。山田うど んでそばを食べる。小平市立図書館辺りまで行って帰る感じ。途中、雨が激 しく降ってきて慌てる。今日は台風が九州地方に上陸する日だ。帰宅してし ばらくすると晴れて今度は、蒸し暑くなってきた。読書とトランペットの練 習をし、夕食。カツオとタコの刺身、冷ややっこ、小松菜と茗荷の吸い物。 自家製ゆず酒も飲む。家で取れたシソが活躍していた。
9月5日(土)  遅く起きて朝食後、運転と掃除。草むしりも少しする。銀行のサイトにロ グインできなくなっていたが、電話して理由がわかり解決。台風が近づき、 雨がちょっと降ったりして散歩は断念。家で本を読む。夕食作り。チキンと シシトウとキャベツのピリ辛炒め、トマトとタマネギとソーセージのスープ。