2021.6

2021年6月

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6月27日(日)
 朝食後、村岡由梨さんの映像個展の感想の続きを書く。仲町テラスのカフ
ェでビーフカレーの昼食。そこで福祉作業所の方が作ったクッキーを買う。
帰って感想をまた書く。youtubeでサティの「貧者のミサ」を聞き感銘を受け
る。まるでメシアンみたいだ。夕方、サルサバンドの練習へ。
6月26日(土)  曇り時々小雨。朝食後、銀行にお金をおろしに行き、そのまま小平市立中 央図書館へ。「一枚の絵」という、中世ヨーロッパで流行った絵新聞のよう なものが展示されていた。なかなか珍しい企画。ここの2階にはライオンの 剥製が展示されていて、西鉄ライオンズが優勝した記念にブリヂストンの創 業者が贈ったものであるそう。なかなか豪胆なプレゼントである。本を何冊 か借りて帰宅。掃除と運転。お昼に餃子ライスを食べる。トランペットの練 習をし、持ち帰った会社の仕事をする。疲れて昼寝。夕食はアスパラとニン ジンの肉巻き。
6月20日(日)  朝食後、運転と買い物。『言語にとって美とは何か』の後半を読み始める。 スーパーで買った鯖寿司で昼食。先日足を運んだ村岡由梨さんの映像個展の 感想を書き始める。夕食は鳥とニンジンの煮物。
6月19日(土)  小雨。朝食後、掃除をし、トランペットの練習。近くの定食屋でミックス フライ定食を食べる。あじさい公園まで散歩。美しい花を咲かせていた。そ う言えばウチの駐車場のあじさいは今年は花をつけない。喫茶店でコーヒー を飲んで帰宅。吉本隆明『言語にとって美とは何か』の前半をやっと読み終 える。夕食はアブラガレイ。エンゼルスの大谷翔平選手の連日の大活躍に驚 かされる。投手として勝った翌日、ホームラン2本。
6月13日(日)  朝食後、ひたすら詩集『プラスチックハンガー』の感想を書く。父にレド の詩をプリントしたものを宅急便で送る。横浜家でチャーハンの遅い昼食。 夕方脱稿。そのままサルサバンドの練習へ。
6月12日(土)  朝食後、掃除と運転。トランペットの練習をし、コンビニの蕎麦で昼食。 午後、中村登詩集『プラスチックハンガー』の感想を書く。途中疲れて妻と 一緒に昼寝。夕食はうどん。
6月6日(日)  朝食後、風呂の掃除をし、午後渋谷のイメージフォーラムへ。詩の仲間で ある映像作家の村岡由梨さんの映画を見に行く。初期から最近の4作品を集 めたもので、精神の不調に悩みながら家族とともに生きていく姿を象徴的な 手法で描いている。見ごたえがあった。終わって武蔵小金井でABCマートで スニーカー買う。これは自分の一日早い誕生日プレゼントなのだが、忙しい ので自分で買ってくれとのこと(笑)。ぴったりなものが買えた。帰ってト ランペットの練習をし夕食。ブタとナスの炒め物。
6月5日(土)  体がだるくてゆっくり起きる。朝食後、掃除。妻が在宅勤務の日なので邪 魔にならないように気を付ける。運転をし、庭のジューンベリーの収穫をし ようと思ったらほとんど鳥さんに食べられている。先週あんなに実があった のにあっという間だ。野鳥のエサを探す能力をすごい。30粒くらい採って残 りは全部鳥にあげることにする。枝の剪定もした。それから仲町テラスのカ フェでグリーンカレーを食べる。あじさい公園では花がかなり開いてきてい て楽しめた。まだまだ咲くだろう。図書館に寄って本を数冊借りる。  その中で『音楽現代』2021/4号のストラヴィンスキー特集の宇野文夫「ス トラヴィンスキーの作曲技法、革新性と果たした役割」が面白い。ストラヴ ィンスキーの楽曲構成が「非クラシック的」というのである。 「即ち先ず、ミクロには和音の扱いにクラシック的なヒエラルキーが弱く、 カデンツ構造があまり持っていない。あけすけに捉え易い全音階によるフレ ーズに聞こえながら、それらは皆、断片であることに留まる。劇的な構築を 目指して変容、展開していくことはない。その結果、マクロではソナタ(交 響曲、協奏曲、ソナタ)及びソナタ形式を採る曲は少なく、異なる音楽が並 列される組曲の形を取ることが多くなる。  そして、『エディプス王』に顕著なことなのだが、ストラヴィンスキーの 志向する「古典」は、18世紀の西欧の「古典主義」ではなく、ここではダイ レクトに「古代ギリシャ」を志向している。古代ギリシャ劇の「コロス(合 唱)」は、斯くなるものではなかったか。そこでは17-18世紀に確立した「ク ラシック音楽」の様式や秩序は、放擲されている。でたらめなようにさえ聴 こえる音の様相を支えているのは、このような音楽思想なのではないか」  これは、ストラヴィンスキーの「現代性」を端的に捉えた文章ではないだ ろうか。確かにストラヴィンスキーは、クラシック音楽よりも、リミックス という思想を核にした先鋭的なポップスと近親性があるように感じられるの だ。ストラヴィンスキーの音楽が全音階的な「捉え易いモティーフ」に溢れ ているにもかかわらず「でたらめなようにさえ聴こえる」というところがミ ソではないかと思う。シェーンベルクやバルトークのような求心性がなく、 音楽の主体が「拡散」に向かっているということ。アドルノが厳しく批判し たのも、主体の一貫性の欠如のためだろう。しかし、この「作曲家の内面に 作品を支配させない方法」は、世界の多様性を浮かび上がらせることに大き く寄与しているのではないか。シェーンベルクやバルトークに代表される音 楽、つまり「現代芸術」において、世界は作者の内面の中に閉じられてしま うが、ストラヴィンスキーやサティの方法だと、内面を食い破って世界が作 品の外に溢れ出し、また内に雪崩れ込む。音楽表現に開放系の交通システム を導入したのがストラヴィンスキーだったと思う。  トランペットの練習をして、夕食。鶏肉入りうどん。ペットショップから 逃げていた南アフリカの大鳥ミナミジサイチョウがようやく捕獲される。日 本の冬を平気で二度も越して元気そのもの。アフリカより日本の風土に合っ ているのか。