2021.7

2021年7月

<TOP>に戻る

7月31日(土)
 軽い朝食の後、掃除と運転。横浜家でニラとモヤシのラーメンを食べ、図書
館で本を借りる。トランペットの練習をし、『笑うカモノハシ』の感想を書く
が、難所がいっぱい出てきて、書くのを中断して読み直す。更に村岡由梨詩集
『眠れる花』を読み始める。夕食は照り焼きチキン丼。ちょっと洋風。とろと
ろですごくおいしかった。五輪の最中だが、コロナの感染者が激増している。
先日買ったソノーラ・ポンセーニャのCDが実に良い。贅肉を削ぎ落して、音の
芯で直球勝負している感じだ。
7月25日(日)  連休最終日。『笑うカモノハシ』の感想を書き始める。合間に岩成達也『詩 的関係の基礎についての覚書』と今村夏子『木になった亜沙』をパラパラ読む。 お昼に焼肉ライスを作って食べる。夕方、スタジオを予約してトランペットの 個人練習。徒歩で帰宅し、庭の植物に水をやり買い物。夕食は肉野菜のポン酢 炒め。オリンピックは柔道が兄弟選手で金メダルを獲り、サッカーでは日本が メキシコを下した。競技という点ではそこそこ盛り上がっているかもしれない が、大会全体としてはコロナの影響もあって冴えない感じ。大会関係者の陽性 が多すぎる。
7月24日(土)  昨夜の豚の味噌漬けの残りで朝食兼昼食。庭の植物に水をやり、運転と買い 物。トランペットの練習をし、夕方、小平駅前のぽえむで中村登詩集『笑うカ モノハシ』を読む。1987年刊行の詩集だが、あの時代のものとは思えない程斬 新な試みがなされていて驚く。この人は本当に才能ある詩人だった。帰って夕 食作り。カラスガレイのソテー、ナスと卵の味噌汁、キャベツの炒めもの、冷 やっこ。先日買ったCD「フェリーニジャズ」はちょっと力不足という感じ。内 村航平が鉄棒の演技で落下してしまい、土下座して謝りたいと言っていたそう だが、そういうことは言わない方がいい。スポーツは結果しか大事でないとい うメッセージを送ってしまうだろう。真摯に競技に取り組んでいるのなら、メ ダルなんてゼロで少しもかまわないのだ。
7月23日(金)  スポーツの日。今日も『言語にとって美とは何か』を読む。昼食にチキンラ イスを作って食べる。掃除をして、またひたすら読書。夕方読了。文学での表 現の基本に「自己表出」を据えているが、この「自己」が創作者の「自分」と いうことではなく、言語自体の「自己」という風に想定されているらしい。そ こが面白い。作者ではなく、作者を超えた言語自身の自己表現ということ。言 語の「自己」が作者の自我を包摂する倒錯を表現の軸にしているように見える。 わからないところも多かったのでいつか再読しよう。夕食はブタの味噌焼き。 オリンピックの開会式が始まった。いろいろグダグダがあり、組織委員会が人 権の本質を理解していないことが暴露された形だ。超プラス思考でいくと、オ リンピックが日本の政治のコンサルティングの役目を果たしてくれるといいな と思う。代償が大きすぎるけれど。興味も湧かず、早々テレビを消してしまう。
7月22日(木)  海の日。ちょっと遅く起きて、チャーハンを作り朝食兼昼食とする。トラン ペットのクリーニングをし、読みさしにしていた吉本隆明『言語にとって美と は何か』をひたすら読む。庭の植物に水をやり、買い物。夕食はホッケの干物。
7月19日(月)  コロナワクチンの接種のため休みを取る。11時半頃出版健保に到着。接種は スムーズに行うことができた。左腕がちょっと重い。いつものインフルエンザ の注射とは違う気がした。神田明神にお詣りに行き、香港料理の店でホイコー ロー定食。散髪して帰宅。庭の植物に水やりをし、詩の推敲。夕方完成稿。夕 食はウチでは久しぶりのカレー。
7月18日(日)  一日詩作。千葉で捕獲されたミナミジサイチョウがテーマ。お昼に軽くウォ ーキングし、冷やしきつね蕎麦を食べる。帰って庭の水撒きをし、トランペッ トの練習。肉野菜のポン酢炒めの夕食の後、詩作を続け、何とか書き上げる。 まだ推敲が必要かな。Youtubeで、昔から見ていたにゃんたという猫が天寿を 全うしたことを知る。悲しいが大往生だろう。かわいがられて幸せな一生だっ たと思う。小山田圭吾がいじめの過去でオリンピック開会式の音楽担当を辞任。 今回のオリンピックは、みっともないというかぐだぐだというか。
7月17日(土)  11時30分に歯科へ。今回は上の歯のクリーニング。丁寧にやってもらった。 ここはBGMにショパンが流れている。先生がクラシック好きなのだろう。終わ って駅前の幸寿司で海鮮丼。レコファンに寄ってエンリコ・ピエラヌンティの 『フェリーニ・ジャズ』とソノーラ・ポンセーニャのCDを買う。徒歩で帰宅。 暑くて頭が茹りそうになる。帰って冷水シャワーを浴びる。掃除と運転。ト ランペットの練習をし、詩作。夕食は塩鮭、カボチャのサラダ、小松菜と油 揚げの味噌汁。この鮭が上等でとてもおいしかった。
7月11日(日)  フリースペースにしていた2階の部屋にエアコンを取り付ける。デスクも 買ったし、暑い時はここで作業ができる。お昼にスーパーで買った寿司を食 べ、午後、ユアンドアイの詩の合評会。いろいろな試みの詩が集まって楽し く読みあった。森岡美穂さんの、別れた恋人の追想を猫に寄り添ってもらい ながらすることがあったが、その猫が死んでしまってどうしよう、という詩 がなかなかない設定で面白かった。夕方から雨が激しく降って止む。サルサ バンドの練習へ。  「浜風文庫」に投稿された今井義之さんの詩「「もうすぐ誕生日がやって くる」が良い。障がいによって多くの希望が叶わなくなったことに対する切 ない想いと、それでも生きている限り「希望すること」はできると宣言する 太々しさが、当事者の事情に即して、生々しく表現されている。作品の中で、 「わがままで 朝から わあわあ 騒いで 手がつけられない」状態の女の 子が作業所に通っていることが語られる。作業所の昼食のメニューは多数決 で決められることになっている。その子は毎回キーマカレーを所望するがキ ーマカレーに決まったことはなく、多数決の結果を受け入れている。作者は その子が「民主主義を 学んでいるようだ」と書いている。ここでぐっとく る。希望が受け入れられないことは切ないことだが、希望することは何度で もできる。現状を受け入れながら機会を伺い、いつの日かキーマカレーを口 にすることを諦めない。ここにその子の人生に対する態度が凝縮されており、 58歳になっても恋をしたいという作者の想いと重なって、ぐっとくるのだ。 作者は現実を直視している。現実の体験から、「社会は 会社より 広い」 という哲学が抽象され、更に「排泄器官は 性器より 広い!」と、性機能 が衰えた後でも恋愛はできるという、高齢化社会の恋愛哲学が抽出される。 日常の細かな出来事が真正面から取り上げられて、詩の言葉として昇華され ることは、今までの現代詩にはなかったと思う。
7月10日(土)  雨まじりの蒸し暑い一日。軽めの朝食後、掃除をしトランペットの練習。 ウォーキングをし、一橋学園のカレー屋でマトンカレーを食べる。図書館で 本を借りて帰宅。運転と買い物の後、明日のユアンドアイの会に提出された 詩をプリントして読む。夕食はあじの干物。ペットショップから逃げて捕獲 されたミナミジサイチョウに千葉の小学生が「ファミリア」と名前をつけた とのこと。鳥にはこの土地を忘れないで欲しい、と。この展開にはびっくり した。
7月4日(日)  起きてフルーツだけの朝食。洗濯をし、村岡由梨さんの映像個展の感想を 書く。お昼に一橋学園駅前の気になっていたラーメン店で生姜ラーメンを食 べる。なかなかおいしい。散歩がてら遠回りして帰ったが、思ったより雨足 が強くて少し濡れてしまった。帰って原稿を完成させる。コレルリの合奏協 奏曲のCDを聞くが、派手ではない外見の中に、繊細極まりない工夫が凝らさ れていて感じ入る。夕方、ガストで読書。夕食はきしめん。都議選は、自公 が振るわず。やっぱりねという感じ。
7月3日(土)  軽い朝食をとって武蔵小金井駅前の歯医者へ。クリーニングをしてもらう。 糸ようじをもっと使って磨かないといけないと注意された。今回は下の歯を やり、二週間後に上をやる。終わってくまざわ書店でやっていた筑摩文庫の 在庫僅少本フェアで2冊購入し、レコファンでトレヴァー・ピノックによる コレルリの合奏協奏曲のCDを買う。餃子定食を食べ、徒歩で帰宅。掃除と運 転、トランペットの練習。夕食はチキンとジャガイモ、ニンジンの煮込み。
 朝食後、村岡由梨さんの映像個展の感想の続きを書く。仲町テラスのカフ ェでビーフカレーの昼食。そこで福祉作業所の方が作ったクッキーを買う。 帰って感想をまた書く。youtubeでサティの「貧者のミサ」を聞き感銘を受け る。まるでメシアンみたいだ。夕方、サルサバンドの練習へ。 6月26日(土)  曇り時々小雨。朝食後、銀行にお金をおろしに行き、そのまま小平市立中 央図書館へ。「一枚の絵」という、中世ヨーロッパで流行った絵新聞のよう なものが展示されていた。なかなか珍しい企画。ここの2階にはライオンの 剥製が展示されていて、西鉄ライオンズが優勝した記念にブリヂストンの創 業者が贈ったものであるそう。なかなか豪胆なプレゼントである。本を何冊 か借りて帰宅。掃除と運転。お昼に餃子ライスを食べる。トランペットの練 習をし、持ち帰った会社の仕事をする。疲れて昼寝。夕食はアスパラとニン ジンの肉巻き。
6月20日(日)  朝食後、運転と買い物。『言語にとって美とは何か』の後半を読み始める。 スーパーで買った鯖寿司で昼食。先日足を運んだ村岡由梨さんの映像個展の 感想を書き始める。夕食は鳥とニンジンの煮物。
6月19日(土)  小雨。朝食後、掃除をし、トランペットの練習。近くの定食屋でミックス フライ定食を食べる。あじさい公園まで散歩。美しい花を咲かせていた。そ う言えばウチの駐車場のあじさいは今年は花をつけない。喫茶店でコーヒー を飲んで帰宅。吉本隆明『言語にとって美とは何か』の前半をやっと読み終 える。夕食はアブラガレイ。エンゼルスの大谷翔平選手の連日の大活躍に驚 かされる。投手として勝った翌日、ホームラン2本。
6月13日(日)  朝食後、ひたすら詩集『プラスチックハンガー』の感想を書く。父にレド の詩をプリントしたものを宅急便で送る。横浜家でチャーハンの遅い昼食。 夕方脱稿。そのままサルサバンドの練習へ。
6月12日(土)  朝食後、掃除と運転。トランペットの練習をし、コンビニの蕎麦で昼食。 午後、中村登詩集『プラスチックハンガー』の感想を書く。途中疲れて妻と 一緒に昼寝。夕食はうどん。
6月6日(日)  朝食後、風呂の掃除をし、午後渋谷のイメージフォーラムへ。詩の仲間で ある映像作家の村岡由梨さんの映画を見に行く。初期から最近の4作品を集 めたもので、精神の不調に悩みながら家族とともに生きていく姿を象徴的な 手法で描いている。見ごたえがあった。終わって武蔵小金井でABCマートで スニーカー買う。これは自分の一日早い誕生日プレゼントなのだが、忙しい ので自分で買ってくれとのこと(笑)。ぴったりなものが買えた。帰ってト ランペットの練習をし夕食。ブタとナスの炒め物。
6月5日(土)  体がだるくてゆっくり起きる。朝食後、掃除。妻が在宅勤務の日なので邪 魔にならないように気を付ける。運転をし、庭のジューンベリーの収穫をし ようと思ったらほとんど鳥さんに食べられている。先週あんなに実があった のにあっという間だ。野鳥のエサを探す能力をすごい。30粒くらい採って残 りは全部鳥にあげることにする。枝の剪定もした。それから仲町テラスのカ フェでグリーンカレーを食べる。あじさい公園では花がかなり開いてきてい て楽しめた。まだまだ咲くだろう。図書館に寄って本を数冊借りる。  その中で『音楽現代』2021/4号のストラヴィンスキー特集の宇野文夫「ス トラヴィンスキーの作曲技法、革新性と果たした役割」が面白い。ストラヴ ィンスキーの楽曲構成が「非クラシック的」というのである。 「即ち先ず、ミクロには和音の扱いにクラシック的なヒエラルキーが弱く、 カデンツ構造があまり持っていない。あけすけに捉え易い全音階によるフレ ーズに聞こえながら、それらは皆、断片であることに留まる。劇的な構築を 目指して変容、展開していくことはない。その結果、マクロではソナタ(交 響曲、協奏曲、ソナタ)及びソナタ形式を採る曲は少なく、異なる音楽が並 列される組曲の形を取ることが多くなる。  そして、『エディプス王』に顕著なことなのだが、ストラヴィンスキーの 志向する「古典」は、18世紀の西欧の「古典主義」ではなく、ここではダイ レクトに「古代ギリシャ」を志向している。古代ギリシャ劇の「コロス(合 唱)」は、斯くなるものではなかったか。そこでは17-18世紀に確立した「ク ラシック音楽」の様式や秩序は、放擲されている。でたらめなようにさえ聴 こえる音の様相を支えているのは、このような音楽思想なのではないか」  これは、ストラヴィンスキーの「現代性」を端的に捉えた文章ではないだ ろうか。確かにストラヴィンスキーは、クラシック音楽よりも、リミックス という思想を核にした先鋭的なポップスと近親性があるように感じられるの だ。ストラヴィンスキーの音楽が全音階的な「捉え易いモティーフ」に溢れ ているにもかかわらず「でたらめなようにさえ聴こえる」というところがミ ソではないかと思う。シェーンベルクやバルトークのような求心性がなく、 音楽の主体が「拡散」に向かっているということ。アドルノが厳しく批判し たのも、主体の一貫性の欠如のためだろう。しかし、この「作曲家の内面に 作品を支配させない方法」は、世界の多様性を浮かび上がらせることに大き く寄与しているのではないか。シェーンベルクやバルトークに代表される音 楽、つまり「現代芸術」において、世界は作者の内面の中に閉じられてしま うが、ストラヴィンスキーやサティの方法だと、内面を食い破って世界が作 品の外に溢れ出し、また内に雪崩れ込む。音楽表現に開放系の交通システム を導入したのがストラヴィンスキーだったと思う。  トランペットの練習をして、夕食。鶏肉入りうどん。ペットショップから 逃げていた南アフリカの大鳥ミナミジサイチョウがようやく捕獲される。日 本の冬を平気で二度も越して元気そのもの。アフリカより日本の風土に合っ ているのか。