時間と時計
               中村葉子



わたしは腕時計をする習慣がない
昔からないが
時計がなくて困ったことは、実は一度もない
待ち合わせとか、仕事とかあまりしない
たぶんそういうことで、少なくとも何かは失っている
また、失っている真っ只中でもあるのだが
かたくなに腕時計をしないとか、そういうことでもない
本当に困ったことは、やはり一度もないのかも知れない

××

部屋に時計くらいはある
わたしは時計の長針が文字盤を一周してゆく過程を
一時間と呼んでいる
そして一周することで見えない長さを示すようなものの背後には
順番を待って並んでいる長蛇の列を感じる
ラーメン屋の前で待っている行列のようなものを

××

いつでも物凄い含み笑いで
規則正しく待ち呆けている
一本の果てしない
この行列の目的は
食べるためではないだろう
もちろんラーメンのために並んでいるわけではないのだが
わたしの置かれた立場は
この場合
夕暮れのラーメン屋の店内に居るように心もとない
評判のラーメン屋の中にいて、背中に行列を感じるようなものだ
もうすでにラーメンは出来上がっている
どんぶりが目の前にある
あとはもう食べるしかない
さっさと食べろというところまできている
さて
追い詰められた

  食べるのか
  それとも食べないのか

それを選んで良いのは極端な思春期のうちだけで
わたしはただただ行列を感じてうなだれる
この行列に始まりも終わりも無いのを知っては、尚更面倒な気持ちになる



森に入る男 中村葉子 その男は 今日もやせた森に入り 木々を伐採し ひとり黙々と 木の風呂釜をつくり 川に行き柄杓で水を汲み 川と風呂釜の長いその道程を 何度往復したのだろう 柄杓で水を汲み 蛾や藁の浮いた 真水に浸かり 水風呂に浸かり ううっと 身体から立ちのぼるうめき声を発し 首を反り空を仰ぎ 風呂の深さにか それとも水の深さにか だれにも看取られず あっ というまもなく 溺れ死ぬ わたしはそんな 絵に描いたような 馬鹿な男がすきで 遠く、山間の向こうから わたしは大きく手を振った 終日 廃屋の サクラの木の影に隠れ その死に顔を想い、涙をこぼすばかりなり
あの信号が赤に変わる瞬間に 中村葉子 あの信号が赤に変わる瞬間に 縁日で売っているような だいだい色の水風船が 地面にバウンドして 弾け散るのを みたことはないだろうか わたしがこの話をすると 一度しかしたことはないが たいていひとにきらわれます 横断歩道では信号をよくみて、手をあげて渡るよう こどものころ何度母親に言われたかわからない 車道の信号ではなく、歩道の信号をみるのよ 車道の信号ではなく、歩道の信号をみるのよ 歩道の信号をみるのよ おとなになってからも しかもいまだに…… 何度も言われると、だんだん意味がわからなくなる けっきょく一緒に渡ってくれるひとではなく 一緒に死んでくれるひとを探すのよ そう聞こえる 大事なことは一度だけにしておくべきだろう 真昼の横断歩道に 水風船が破裂して地面をぬらすように きらめく一瞬の跳躍をわすれないように
百円玉を投げる 中村葉子 自分のカバンの中や服のポケットに ときどき百円玉をいれておく 上着の中に カバンの奥深く 百円玉を忍ばせておいて 自分で忘れている ほんとうはすこしだけ おぼえている でもすこしだけ忘れている わたしはあの人がすきで すきでどうしようもない けれど百円をいれる場所がない あの人はきっとポケットのない服を着ている カバンもなにももっていない 板橋の陸橋の下で待ち合わせて 工事現場の土砂の前で 百円玉投げつけたらあの人は怒るだろうか ひとけのない河川敷へ 南風渦巻く夕空へ わたしはきょうも百円玉を投げつける その感覚はすこしだけ覚えておく
冬の果て 中村葉子 死んでいるが まだ生暖かいコアラを 羽越本線の冬の果てにて拾う どこか浮世離れした褐色の町だった 今朝、わたしはこのちいさな町に辿り着いた 旅ではない 金目の物はすべて現金化し 生きているカードがニ枚 これでなんとか、と切羽詰った思いで辿り着いた土地だ それがいま死んだコアラを腕に抱えている その柔弱な感触が すでに新境地を象徴していた ここに居ることで あきらかにワシントン条約に違反している 貴重で人気者のコアラは ユーカリしか食べないという だがよくみればさしてかわいくもない 小太りな鼠のような小動物 それが日本海の船着場で死んでいる 生き物が北へ北へと向かう それは漠然としたなにものかを捨て 確実な不幸の再来を北へ求めるのだと むかしから相場は決まっている 現に、このわたしがようやく辿り着いた先も 海を見下ろす、厳しい冬に耐え得るだけのちいさなこの町だった 想像を絶する見捨てられた町だった 老人もいない 猫すらもいない 道路脇の錆びついた柵に 鳥が数十羽静止しているほか 生き物の姿がみあたらない 演歌の中でも唄われることはないであろう 日本にも こんなすごいところがあったものだと云わしめる やがて鳥類の群れは 飛べるがゆえ何処かへ飛び立って行く その先に ここよりさらに寂しい場所は 幾らでもあるのだと 落日のもと、甲高い不気味な声を反響させながら そしてここに残されるのは すでに息絶えたコアラと 行き場のない自分 間延びしたコアラを胸に抱き、記念写真を一枚残す
小動物 他 リスの話 中村葉子 車に轢かれた小動物は、その後も幾度かタイヤに踏み潰され、避けられては 夜通し、端へ端へと移動してゆきます。私が通り過ぎる時刻には、ちょうど 私の歩く足元、白線の内側あたりにいます。 おおざっぱに小動物と言って、形のわからないめちゃくちゃなその死骸の多 くは、濃い茶の色をして、当たり前ですが、死んでいました。 この、間延びした肉塊にすでに生命がないということは、地を掘るほどに貼 りついた姿勢でこんなにも脱力しているものなのです。わたしは、この辺り にどんな動物が生息しいるかはっきりと知りませんが、かろうじて判別でき るものとして尻尾、皮膚の特徴から、アライグマ アルマジロなどがありま した。これらの死骸は秋口に多く見られ、また、犬、猫、鹿、程の大きさに なると一見して分かりやすく、その大きさ、インパクトなどから「今日どこ どこの通りで犬が死んでいた」などと人々の話題にも上ります。そして、通 行の妨げになる大きさからか、死骸は夕刻にはどこかへ運ばれ、道路に長く 放置されることはありません。 家の前にある森林には、大量のリスがいます。そしてリスが一番よく車に轢 かれ死んでいます。リスくらいになると、そのまま放置されたままです。車 もあえて避けずにどんどん踏み潰していきます。リスはあっという間にまっ 平らになり、内臓や血の粘着力でぴたりと地に貼り付き、黒い海苔のような 染みを地面に残すのです。 リスの死骸には、生きていた頃、木や枝を自在に駆け上るリスの弾力、素早 さをそのままみることがあります。車道を横切る際の一瞬の跳躍をこのアス ファルトに留めリスが絶命するその瞬間に感じたであろう風までもが、残像 となって貼りついているようです。 以前読んだ小説に、やはり車に轢かれた猫の死骸を執拗に書いたものがあり ました。下宿の二階の窓から、猫の死骸の変化を毎日見ている設定です。猫 は道のど真ん中で何度も車に轢かれ、薄っぺらな紙のようになっていきます。 ある日ぺちゃんこになった猫は、1枚の黒い紙片になって、風に舞い、空へ 消えてゆく、そんな話でした。 ただ、今ここに海苔のように貼りついたままのリスは、その凡庸さから気に とめるには及ばず、舞い上がるほどの風もなく、ここでは昇天せず そんな、話。
つじさんと手紙 中村葉子 家の前にある駐車場には赤い車が多い 道路を挟んで屋根付き駐車場がある ここは別料金制でシャッターは手動だった シャッターを肩にのせ、一気に押し上げる人を見たことがある 屋根付き駐車場にはポルシェが多い その奥、同じ形の家が並ぶ 家の前に駐車場、道路を挟んで屋根付き駐車場、また家と並んでゆく その先に電柱、連なる電線  遠くハイウェイが走る ハイウェイにはトレーラーが多い その向こう、野原が広がる 野原に平行してスーパーマーケットがある スーパーの周りにはなぜかリスが多い リスは芝生の合間から突然飛び上がり 素早く木に登ってゆく そしてすぐに降りてくる スーパーの入り口は、コの字型をした巨大駐車場だった 縦に長い つじさんの字は縦に長い 一度見ればすぐに判別できる癖字だ 論理的で、下書きしたような手紙を書く 「下書きなんてしない」 と3回は言っていた そして私はスーパーの先にはまだ行ったことがない                             (2001.4.17  バッファローにて) 中村葉子 1971年生まれ。詩集に『1993中村葉子』『八日電球』『自由自在スパナ』(私家版)がある <TOP>に戻る