関口涼子との往復書簡4

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第4回目のメール フランスの場合、「組織」に対する個人の働きかけの力が日本よりも強いのだな、とい う印象を受けました。日本だと、個人は「組織」の中に埋もれてしまう。まあ、だんだん そうでなくなっていく感じではありますが。フランスでは個人が自分の意志を実現するた めに集団を利用している具合なのでしょうね。その利用の仕方に多少のいやらしさがある にせよ。 そういう意識の在り方の下では、芸術家は何らかの意味で、個人が感性の領域において 社会に働きかけて社会を変革していく、という自覚を持つものではないのでしょうか。 日本では組織に個人の芽が摘まれてしまう怖れが生じてしまいます。だから、日本で本 当に表現をしたい人は、極端に閉鎖されたところでアウトサイダーのアーティストとして 立つことになる。これはこれでなかなか面白いんじゃないかと思っています。 次回も期待しております。 辻和人
関口さんからの4回目の返信 > > フランスの場合、「組織」に対する個人の働きかけの力が日本よりも強いのだな、とい う印象を受けました。日本だと、個人は「組織」の中に埋もれてしまう。まあ、だんだんそ うでなくなっていく感じではありますが。フランスでは個人が自分の意志を実現するために 集団を利用している具合なのでしょうね。その利用の仕方に多少のいやらしさがあるにせよ。 まさにその通りだと思います。例えば私はこちらで作家協会加盟の申請をしているのです が、というのも、作家協会を通して社会保険の手続きをすることになるからです。ここで年 金も払います。つまり、作家協会は作家と国家を結ぶ働きをしているわけです。これは演劇 関係、音楽家などすべての文化関係自由業者の分野でそれぞれ存在しますが、政府が作った ものではなく、おそらく60年代に芸術家自身の働きかけでできたようです(確かではあり ませんが・演劇に関してはそうみたいです)。不安定な状況に置かれがちな芸術家は、ここ で、税金・年金を「芸術家として」払うという社会的責任を果たす代わりに、何かあったと きには国家に今度は個人に対する責任を果たすよう要求することができるわけです。 > > そういう意識の在り方の下では、芸術家は何らかの意味で、個人が感性の領域において 社会に働きかけて社会を変革していく、という自覚を持つものではないのでしょうか。 そうですね。画家が行っているアトリエ解放とか(地区ごとに、日を決めて、画家がアト リエを開放し、市民が見に来られるようにする。これは一時ちょっとブームでいろいろなと ころでアトリエ解放がありました。)学校へ行って一日絵画教室を行ったり。 Creative Writingも、市民、学校を対象に行われていますが、「作文教室」とは違い、も う少しウリポなどの行っている文章遊びなどに近いものです。「美しい文章が書けるように なりましょう」とか、アメリカの大学にあるような、ある程度の文章作成能力がある人を対 象に批評文が書けるような練習をするような実務的な目的を持つものというよりは(勿論そ ういうのもありますが)、特に学校で行われているのは、今まで「言葉」について考えてこ なかった人たちにも、言葉の機能・存在意義について小さい発見を行わせるようなもののよ うです。監獄でそれを行っている人もいて、これは後に、それをネタに本を書いたんじゃな いかとか言われて問題を呼んだりもしましたが。 またそのうちに次回書きます。 関口涼子